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野良猫と向き合ってみて

 Twitterではちょくちょく迷い猫の話はつぶやいて来たけど、今月のはじめ頃、迷い猫を保護した。私に保護された時点でこの猫は、目やにや膿で両目が開かず、鼻水を垂らして一人ぽつんと家の裏の川沿いにいた。とにかく保護した。今日はこの仔猫にまつわる話と、人間の関係とでも言うか、とても悩ましい問題について書こうと思う。

実は、娘も昨年、このような状態の仔猫を保護し、自分で飼っている。その猫は、目も病気も回復し、普通の飼い猫として元気に生きている。私はと言うと、家業のパン屋が忙しく、犬をすでに二匹飼っているため、これ以上動物を家で飼うのは無理な状態である。おまけに、母が91歳にもなり、近い将来、実家に行くことが増えるか、諏訪で引き取れば、かなり多忙となる。が、眼の前に瀕死の状態でいる仔猫を放置できず、助けて、できることなら里親に引き取ってもらえるならと、とりあえず保護し、猫ボランティアの方に相談した。

目が見えるようになれば無問題とのこと。現在、里親希望者が多く、一匹に対して10人という倍率だそうだ。気が軽くなった私は早速、この仔猫を連れて動物病院にかかった。必要な点眼薬と抗生物質の飲み薬を処方され、まずは一安心したのだった。

ところが、目薬を使って猫の目はなんとか開いたものの、眼球に幕が張りついたような状態が改善しない。しかも、少し目が飛び出ている。わずか3日ほどでどんどん眼球が全面に飛び出してくるではないか。慌てて画像を猫ボラの方に送ると、医者を変えてみようというので、家から歩いてでも行かれる距離にある動物病院に行った。そこでは、角膜炎と診断された。可能性として目の膜は取れるかもしれないとも言われた。新しい目薬をもらって帰宅後、処方のとおりに点眼するが、目が見えていないのを疑い始めた私は、ネットでもいろいろと情報に当たった。

診断の通り、角膜炎の症状ではあるが、目が飛び出るほどに眼圧が上がってしまった原因がよくわからず、この獣医さんの受信後3日しか経っていなかったが、悪化した目の画像を猫ボラの方に送ると、以前、眼球摘出手術を手がけた獣医師に診せてみようという。午前中、彼女に仔猫を託して私は自宅待機となった。

一時間後、彼女から電話で、獣医師と話して治療方針を決めて欲しいという。医師に変わって話を聞くと、猫の目はすでに失明していて、病名は緑内障。治療は、眼球に針を刺して、中に溜まって眼圧を上げている原因の水を抜くということ。そして、この治療で視力は戻らないことと、水を抜いてもまた溜るのを繰り返すようなら、眼球摘出も覚悟するようにという内容だった。

その前に診てもらった医師二人の、あまりの軽い対応が、私への気休めとなっただけで、本当は深刻な病気を抱えた仔猫だった事が判明した。生まれつきの緑内障なのか、進行した結果かはわからないが、すでに失明しているとは思えない動作はどこから何を感じ取ってそうなるのか、まさかの結果に驚いた。そして、猫は飼えないけど、保護はしようと考えていた私には、新たな大きな悩みのタネとなった。

まず、猫ボラの方は、両目が見えなくても目玉があるのとないのじゃぜんぜん違う上、両目がないとなると里親で、それを承知で引き取ってくれる人はいないだろうという。そうだよな。その前に、目の摘出手術費は誰がカバーするのか問題もある。猫ボラでは、そういう費用は一切ないという。もちろん当てになどしていないが、哀れに思って保護した私に、「あなたしか飼える人はいないでしょう」という全視線が向けられている。

全盲だからと言う理由とは無関係に、善意で解決できる問題ではない。動物を飼う覚悟とは、そんなことではない。命を託されているわけで、飼うからには一生、面倒をみる覚悟が要る。物理的に無理なのである。今の私には。

昨夜、胃に穴が空くほど考えた末、安楽死を選択した。私が保護しないであのまま川沿いに横たわって入れば、そのまま誰にも気づかれずに死んだろう仔猫が、幸か不幸か拾われて助けられたけど、育て先がないため、安楽死をさせるほかないのだ。そこまで私の「できません」は、考え倦ねた結論なのだということを猫ボラの方にわざわざ連絡して話した。

彼女、安楽死など承知するはずがないのはわかっていたが、彼女が里親探しは無理だと最初に私に投げたため、私としての結論を彼女への礼儀として話しただけである。彼女がなんと言おうと、私にはこれ以上、大きくなる猫を育てられないのがわかっている為、再考はあり得ない。

仔猫の件で長い時間彼女と話す中、猫ボランティアの趣旨だが、それが彼女が殺処分の反対と大きく関係していることがわかった。

保健所に捕獲された仔猫や猫が毎日、殺処分されている事実を知ったある時、里親と譲渡会ができたら、捕獲された野良猫の何匹かでも助けられると考えた彼女は、野良猫捕獲の依頼を保健所から受けて、地域に捕獲しに行くことをボランティアで始めた。その当時の目標として、この地区の殺処分ゼロを設けているため、自分の志向に反する殺処分など、私は許さないという話になった。

仔猫をねずみ取りの糊付けで捕獲後、2つに折りたたんですてていた男性に、猫虐待者だと言っている彼女だが、ネズミ取りでネズミを捕獲するのは虐待じゃないのか?と、意地悪な質問をしたら、そう言われると困ると言っている。

猫を保護するのは結構だが、猫被害に困っている人が多くいるのも彼女は知っている。手強い相手で有名なのが、豪州のクジラ保護団体だ。クジラが可愛そうだというこの保護団体は、他の動物は屠殺しても良いらしい。そういう矛盾を抱えながら、異論者を相容れないのも、偏った正義でしかないと私は思っている。

嗚呼。面倒くさい中に入ってしまったと、正直に思った。

案の定、安楽死を選択しているという私に驚き、まさか、そこまで逼迫した問題とは思わなかったらしい。結局、待ったがかかり、時間が欲しいと言い始めた。

昨夜、両眼失明している猫を飼う人の話や、その猫の様子を画像を付けて送ってきた。私への説得工作だろうと思うが、できないと言ったらできないのだが。そして、最初に里親の可能性があることと、目が治るという前提で、なんとかしようとしていたのは彼女らであって、私は端から放置もできた。

意見がちがうというよりは、人と動物の命の重さは同じであると思うが、自分たちは動物から見たら人である。人のグループには動物は入れない。それを同じ土俵で価値判断するので、片方は人非人となり、非難を浴びるハメになる。だが、所詮、生きる土俵が違う。それをうまく噛み合わせてできることならなんとかしたいのは当然だが、できないという私に、何の手伝いがあれば保護できるか?とは、誰も聞いてこない。多少だが、それなら可能性はある。数人で分担して育てるなら、それなら、なんとかなるかもしれないのだ。が、私の出来そうなことはわずかしかなさそうだ。

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