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綴じる日

2/1

猫のぬいぐるみを膝に乗せながら作業したり、ご飯を食べたりする。

2/2

友人たちと3時間ほどの長電話をする。主に私の愚痴だった気がするので反省をしている。

早く春夏の服を買いに行きたいな。
「aftersun/アフターサン」を観て、夏が恋しくなる。暑くて最低だが、でも開放的な服や音楽は好きだ。今年こそはプールサイドにあるペンチに寝そべり、ジュースみたいなカクテルを飲みたい。

2/5

今日はいい日だ。
久しぶりのデッサン会では納得のいくポーズがとれて、憧れの人に会い、吉報が舞い込んだ。
お年玉まで頂いたので、これはもうお祝いをするしかないと思いケーキを買った。

「息子の面影」を観る。
淡々とした現実がうつっていた。世界が怖くなる。
どこでどのように生きたとして、後ろから撃たれて死ぬ可能性について考えたことがない。

2/7

寝る前にラムミルクを飲むのがすっかり習慣になった。
少し前まではホットミルクにラムをほんの数滴垂らしただけだったが、この頃はどぼどぼの「どぼ」程度入れている。
これは既にカクテルなのでは?と思いながらも、アルコール度数の高いあたたかい飲み物は私の不安定な入眠を、少しだけ整えてくれる。

眠る前は必ず耳栓をしている。
細かい音が耳に入ってくると、不安になりやすい。また、もう寝付けるぞ!というタイミングでは重ためのアイマスクもしている。顔の上に何か乗っかっていると妙に落ち着く。
耳栓をしたまま映画を観るのは楽しい。音がしない世界で、真っ暗な部屋の中で見慣れた奇妙な映像が流れている。(最近はジム・ジャームッシュを観ている。洒落ているがなんだか腹が立ってくるのは何故だろう。)

夜中にふと目が覚めて、映画が流れっぱなしな時は夢の中で夢を観ているようだ。何かの拍子に夢の中に留まることになったらどうしよう。例えば私の意識だけが夢の中で、夢の中でまた夢を見ている時は、体は何を感じるのだろうか。自分の意思で目を覚ますことは出来るのだろうか。案外、今と何も変わらないかもしれない。

2/8

手持ち無沙汰だったのでジムに行き、重たいものを持って遊ぶ。
九十キロが挙がったのでジム内を意気揚々と闊歩した。

2/9
親友の子供の写真を撮る。
この前まで掴まり立ちをしていたのに、もう立って歩いていた。すくすくと育っていて生命力に溢れている。なんだか眩しかった。
この人とも仲良くなれるといいなと思いながら写真を撮った。

夜は女の子とドライブへ。
海に行きたいというわがままを叶えてもらう。夜の海は静かで迫力があった。
海からの引力を強く感じる。ぐっと肩を掴まれるような印象を受けた。実際は何なのかわからないけれど。


2/12
きらきらと輝いているものを常に求めていた。それを集めては私の灯火、夜標、献灯、として何よりも大切にしてきた。

しかし自信が無くなってしまった。もうきらきらとしたものを愛することは出来ない。こんなに虚しい気持ちを抱えたまま生きていくのかと途方に暮れた。
原因は私にある。弱い。私が弱いのは、何も考えなくて良い楽な方に気持ちが流されるからだ。良くないことに気づいていても指摘するのは大変だし疲れる。うやむやにしておく事は安全で優しく見えるし。
こんなだらしのないまやかしの生き方をしていたら自信なんてなくなるに決まっている。

たくさんの矛盾と過ちを認めるのは苦しくて恥ずかしい。逃げた方が簡単だ。でもそんな自分が嫌だ。怖いけれど向き合うしかない。怖くて恥ずかしくて苦しくてつらい行為だけが自分を変えることができる。
傷だらけになっても良い、自分を裏切りたくない。

自分の一番暗いところを差し出すような気持ちで伽十心くんのグループ展の搬入をした。
帰り道、虚しく過ごすのは今日までにしようと決めた。

展示の詳細はこちらのリンクからどうぞ

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