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小説感想 雷鳴 梁石日(ヤン・ソギル)

27年振りに再読となる。

1995年の刊行と本の奥付きをみると
印刷されており
月並みであるが、まったく歳月の寄るのは、はや過ぎる。


作者は在日二世であり
ぼくの父も在日二世
当たり前だが、ぼくは三世となる。


日本統治時代の済州島の下級両班の
ひとり娘李春玉(イチュノギ)が
主人公

この女性のモデルは作者のご母堂の
ようだ。


そこに、小説としての虚構と創造が
入り、主人公を生身の人として
生き生きと存在させ
峻烈で過酷である世界に
対して、自ら選択する
凛とした人物像に描いていると感じる。


10歳の男に嫁ぐ
およそ、現代で想像もつかない
婚姻というのは存在した
儒教、科挙制度の弊害であろうが
主人公春玉は選択する権利はない
抗うのも不可能である


朝鮮では、パルチャ(八字)という言葉
があり、これは運命と直訳する

そして、この言葉を表現するのは
非業や悲運、不運という天から降って
きたものに出会った際に
胸をダンダンと叩いて「パルチャ(八字)だ」
と嘆くものが多い

悲しみもあるが諦念に近い


悪人がいっぱいでてくるのも
より主人公の存在感を増す
大きな悪人もいれば
小さな悪人もいる
また、ほとんど会話らしい会話もしない
ある出逢いもある


この本を、また、読んでみようと
思うまで27年かかった


ぼくが若くはないが、
今ほどには
人生の峻烈さと残極さを知らず
そして、愛情を知ってか知らずかであり、
あらゆるものを自分で選択してるようで
選択させられていた頃に読んだのだが
主人公に対する感情移入が過ぎて
「よくもこんな仕打ちをするな」と
憤り、その時はとても後味が悪い印象が残ってしまった

「もうあんな思いは嫌や」と思っていた…
独立した成人であったが、まだまだ
甘かったんだろう


しかし、今は違う
この主人公春玉(チュノギ)に
共振し、共感し、とても身近であり
実体があるとしか思えず
小説の主人公に恋のような気持ちに
なり、生まれて初めての経験を
させて頂いた

そして、彼女の決断に
清々しさを大きく感じ
勇気と励ましをもらったようだ

作者の梁石日氏に
ありがとうございますと言いたい。


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