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とてもとても、お気持ち

私は個人ブログをやっていて、ふと思いついたことをのべつまくなし連ねてみたり、自分の好きなサンリオについて書いたり、仕事で真面目なことをやったときはどうでもいいことをブログに更新して精神の帳尻を合わせてみたりしている。

ブログを更新しているとたまに知らない人からコメントをもらうがそれ自体はうれしい。ブログを始めた5年前くらいのときは何を書いても一切反応がなくて、自分は何をやっているのかとやるせなくなるばかりだった。もちろん自分のために始めたものなので、そもそも他者に向けた文章を書いていなかった(他人の悪口を書いていた)のだがやはり反応があるとうれしい。今はそれなりに読んでくれる人がいて、記事を楽しみにしていると言ってくれる人もいるから書いていて張り合いがあるし、励みになる。


でもたまに「何だこれ」と思うようなものも来る。

とんでもなく予断と偏見に満ちた記事ですね。

もう少し言葉を選んだほうがよいですよ。読んでいて不快な気分になりました。


自分が書いたものがとんでもなく予断と偏見に満ちていて、かつもう少し言葉を選んだほうがよく、知らない人を不快にさせてしまったらしい。

まずこのコメントを見たときは結局何が言いたいんだ?と思った。知らない人に「不快になった」と言われても、はあそうですかとしか思えないし、だから何をしてほしいのかもわからない。予断と偏見に満ちている具体的箇所も把握できないので次からはこうしますねという建設的なハナシもできず、なぜ勝手に人のブログ読んどいて知らない人に上から目線で偉そうなのかも謎である。気持ちが悪い。


コメントが書かれた記事は上記リンクのものだ。狩猟免許を取ろうとしたが手続きがめんどくさくて大変だったという旨のブログである。なぜかGoogleで「狩猟免許 取得手続き」で検索上位(上から3つ目)になっている。

内容は、当時京都にいたときに狩猟免許(罠)を取ろうとしたが、書類の入手から収入印紙、医師の診断書の入手が大変でどうしようもなかったというもの。2年前なので今はどうか知らないが、書類はダウンロード不可で特定の施設に行かないと入手できず、収入印紙は売っている場所が限られていてかなり苦労した。1番骨を折ったのは医師による精神疾患の有無の診断書で、手に入れることができなかった(煩雑であきらめた)。最初は内科に行ったがダメだったので精神科の病院に電話を片っ端からかけたがどこもいっぱいでなおかつ家からかなり遠かった。こういうとこに限って午前中しか診療を受け付けていなかったり初診の人は時間がかかると言われたりで入手が難しいということをブログに書き、田舎は狩猟人口が減ってて畑とか荒らされまくってるのにこんなに手続きが大変なら猟師になるの難しいよね、という感じでまとめている。いま読み返すと「イノシシを槍で突きたい」とかそういう変な人を刺激しかねない表現をしているので少しだけ反省をする(なんで知らない他人におもねる必要があるのかとは思う、狩猟なのに)。本当に取りたいんだったらもう少しちゃんとやるはずだ、という声も来そうだがある程度やったうえで所感を述べている。がんばりって人それぞれなのでほっといてほしい。

コメントにあるような予断と偏見と言われていた箇所は自分ではどこかわからない。すべて実際に行動して自分が感じたことを書いた。言葉を選んだほうがいい、というのは乱暴な言葉づかいが多かったためだろうが、どこが知らない人を不快にさせたのかはわからない。わかる人は教えてほしい。

つまるところただ知らない人が「私が読んで気に入らなかった」ということでしかない。偏見とかいうのならきちんとどこなのか示してもらいたい。ただのお気持ちに制裁されている。

このお気持ちというのが強くて、完全に主観で論拠も証拠もないのに「私が不快だったから」という個人の感情が大きな影響力を持つ。Twitterでもそういうのを多く見る。

そういえば以前Twitterで名前に「🍤」(エビフライ)をつけた人がたくさん沸いた。客観的要素でなく「私自身の経験がevidence(根拠)」を掲げて行動する人たちだったらしい。こんなことあるんだと思ってすごかった。何でもありじゃん。# 私がエビデンスで検索するとなかなかアレである。

今回のコメントもこれに近いものを感じた。この認識は間違ってると論拠を示して客観的に指摘してくれればいいのに、当たり屋のごとくお気持ちである。私がホントにおかしくなっていて、実際はこの人が正しいのかもしれないがもしそうだったら教えてほしい。お気持ちが先行して、論理よりも優先されてはならないと思っている。

この記事のコメント欄を見ると他にも「知的障害者」だとか「スペックが低い」とか私を腐すようなコメントが寄せられている。これは狩猟反対の動物愛護精神によるものなのだろうか。人間の俺は軽んじられてもいいのか?「仕事でペットショップオープンの記事を書いたら動物虐待だとかコメントがついたことを思い出す。(ただ、理解を示してくれた人がいたのは救いである そうしきまんじゅうさんありがとう)

だから私は「動物愛護を精一杯がんばるやつはだいたいバカで、たいして真っ当な生き方をしているわけでもない糞袋なのに人に偉そうにする」という偏見を強め、とうとう私も不快な気分になったのです。


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