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肩書きとか、見た目とかそういうのについて考えてみるよ

とある記事を読んで思った事があったのです。

その記事は障害のある方のアートに関係する記事でした。その記事自体の内容は全く関係ないですし、その記事に賛成や反対の意見を表明するためにこれを書いていないため、リンクは載せません。

ただ、芸術をそれ単体として見たいと思う謎の気持ちについて考えてみました。

その絵はピカソが描いたからすごいの?

ピカソのゲルニカはすごいエネルギーを感じる絵だと思います。それはテーマは技法ももちろんですが、あの大きさに人は圧倒されるのではないかと勝手に考えています。

しかし私は中学校時代ピカソのことを非常に軽んじていました。よく知りもしないまま、自分と同じように絵が下手な人なんじゃないか、とさえ思っていたのかもしれません。本当にアホでした。

19の時、初めてヨーロッパのいくつかの美術館でピカソのいろんな年代に描かれた絵を見て、この人の絵の世界は何て果てしないのだろうかと、呆然としました。

部活ばっかりで今まで美術館なんて行く方が珍しかった人間にも、なんかすごい、何だこれは、となる絵がいくつもありました。ピカソだけではありません、ゴッホ美術館で見た赤いどこかの風景画も、シャガールのよくわかんない色の青い絵も、マティスの絵なんか無料で見られるのでたくさん見ました。ポンピドゥセンターでたまたまやっていた草間彌生の企画で流れていたビデオも、よく分からないものが沢山ありました。

私は記憶力が悪く、日常の出来事などを覚えているのが苦手なのですが、10年くらい経過した今でも、それらの作品を見たときに何か受け取った印象の事をぼんやりと思い出すことができます。これは私にとってはなかなかないことなのです。

記憶力の悪さというか、これは自分の性癖ですが、ピカソがどういう人生を歩んだか、とかそういう部分にはあまり興味がありません。そしてよく知りません。他の芸術家についても、テレビで喧伝される(ゴッホは耳を切った)みたいな事を除いてはあまり知りません。

鑑賞する者として不誠実な態度と思われる方もいらっしゃるのでしょうか。でもそれで良いと感じています。

絵でも、音楽でも、何でも、誰かが創り出した物をその人の人格と結びつけて評価するべきではない事の方が多いのではないだろうか。

有名な人が描いた絵だから、あの絵はすごかった、とか、有名な監督が撮った映画だから、いい映画だった、とか。さらに卑近な例だと、「東大生が」、「元外資コンサル」、とかそういう肩書きも似たようなものだと思っている。

上のような者に、我々は得てして騙される。

まさかあ、お前だけだろ。と今思った人ほど。

なぜなら、自分の興味のない分野では、ある物事に触れるとっかかりが非常に少ないからだ。仮に勉強法に非常に関心が高く、本だけでなく、論文レベルで勉強の効率をあげる方法を学んでいる人がいるとする。反対に、今まで勉強なんてあんまり方法から考えてこなかったけれど、子供が勉強をする上でどうやったらいいか聞かれた親も想像する。両方に自分を投影して考えれば、後者の立場になった場合、「東大生が教える最強の勉強法」という見出しを信頼して内容を鵜呑みにしてしまわないと断言できるだろうか。

私は、普段スキンケアにほとんど興味がないのだが、肌荒れがひどくなって、どうしたらいいか調べる際に、まず誰を信じたらいいのかが全く分からなくて困り果てたことがある。医者に行くのが一番だけれど、元美容部員、元エステティシャン、などなど、内実のわからない肩書きを頼るのは怖い。

肩書きのある人々がウェブ上に残す記事は、芸術の話とは関係がないと思われるだろうか。反証可能性という点、何か具体的な主張が行われているか、より根源的な何かに訴えかけているのか、という点で違いは存在する。

しかし、我々はあるものに触れる時に、それが何かを理解する上で、誰がそれを作ったのか、という事に意識を持たざるを得ない。そして、その「誰が」の部分に自分の印象を操作してしまうことがあるのではないか。

ピカソの絵も、とても沢山あるのだから、嫌いな絵があって当然、見ても何も感じないものがあっても当然。そこに新たな価値を見出す(例えばピカソの習作を見て、このように練習していたのか、などを学び取れる感性を養っているような方)ことはできるけれど、別にそうしなくてはいけない訳ではない。

自分の感性を歪めたくないという願い、怖れ

浅学の身で、上述したような事が学問上どのように位置付けられているかも分からずこの文章を書いている。

このような事を意識するのは、自分の感性が何か脳みそによって歪められるのを怖れているからではなかろうか。そう推測している。

初めてなにかを目にする時の感動を、いつも味わいたいと思っているのではないかと。

とある物に出会った際、自分とその内容の正面衝突がそこで行われるのではなく、歴史的に見たらこう位置付けられるよね、この人の作品のなかでは珍しい作り方だね。みたいな事を考えてしまうのが嫌なのではないか。

とても上品かつ礼儀正しく、謙虚な美人を見て、「美人なのに珍しい」とか言う人。イケメンだけど、不器用な人に「残念なイケメン」とか言う人。私はそういう人々をものすごく嫌っている。私に対して、「卓球部みたいなのに割と動けるね」みたいなことを言う人も、その意見に同意することはできない。

かといって自分も、美人な人には何となく相手にされていない気持ちになる事が多い。そうすると、初めて会う美人な人に対しても、この人も自分のことなど興味ないのだろうな、と思ってしまったりする。そもそも美人とかタイプをカテゴライズして、そういう人々に相手にされない、という認識が誤っている事に気付かない。

自分に興味を持ってくれた人などそもそも今までの人生で全然多くなかった。こちらから働きかけて、ようやく話をしてもらえるというのは、容姿が自分の好みか否かにかかわらず同じであって、好みの容姿の人も、そうでない人も等しく私に興味などなかったのである。

そういう事に気づけない場合、ずっとその様な認識に苦しめられる。自分のタイプの人と話すときは変に力が入ってしまったりする。それで全然いいのだけれど、それは相手が美しいからではなく、自分が変に構えているからだと気付かず、「美人なのに気さくですね!」みたいな失礼な事を平気で言ってしまうのだ。

相手に快く思われないのはごくごく当たり前のことだ。

だからといって、見た目を全く度外視して会話する事も難しい。どうしても相手の顔や表情を見て話す方が会話はスムーズに進む。そうするとこちらの脳が勝手に「ああ、きれいだなあ」みたいな気持ち悪いことを本気で考え始めたりする。

ひどく脳みそに翻弄されているのだ。これはわたしだけなのだろうか。

顔とか、歴史とか、人格とか、そういう曖昧な先入観を切り離して、会話ができたら、なにかを見れたら、聴けたら、とても楽しいのではないかと思う。

自分の感性を守る、唯一絶対の方法

広告の氾濫する世の中でも近年目にしないレベルの大言壮語。

我々が物事を正しく認識できないのは、もはや自明のことである。こんなことでくじけていては、先に進めない。

偏見上等、先入観上等、気づいたらすぐ改める姿勢さえあれば、それでいいと思う。

でもここぞ!という時にそういうものから解放される方法を1つ知っている。

それは、集中する事。

よく知らないけれど、ここ数年言われるマインドフルネスも似たような事なのでしょうか。

集中する事が唯一、我々を守ってくれる。

目の前の絵に、今耳に入ってきている気持ちのいいゲームのサントラに、対話しているその内容に、ただその事にぶつかること。そういう状態だったと今考えれば思える時、私は解放されていた。真の意味で楽しんでいたように思う。

だから皆さんにも楽しんでほしい。

先入観とかそういうのからどんどん自由になっていけたらいい。

反対に、いろんな事を学んで、文脈を楽しむ事ができるというのも素晴らしいことなのだと思う。(私はなんだか避けようとしてしまうが、本当に素晴らしいと思うし、知的で持続可能な営みだと思っている。)

最後に

「障害のある方のアート」もまずは絵だけ見たい。絵が「いいな」と思ったら、たとえ障害のある方が描いたと知っても絵の感想自体は「いいな」のままで。「好みじゃないな」と思ったなら「好みじゃない」のままで感じていたい。とふと思って、自分の悩みや、考えの傾向などを思いつくままに書いてみました。

(当然の事ですが、社会にアクセスしづらい状況にある方が、芸術によってアクセスを試みる事は、本当に価値のある事だと思っていますし、そこを否定したいわけではありません。)

(また、絵を製作する過程に思いを馳せながらその絵を見る時に、鑑賞者にあるであろう敬意や、励まされる気持ちは、私も共感します。ただ、そのような感情と絵を見たときの印象をごちゃっとしちゃうのが少し怖いなって思っているのです。)

最後、言うことがほぼなくなって、結局日ごろの考え方、そしてその場の集中力、という陳腐な終わり方をしましたが、私自身ははそれらが大事なことだと改めて気づけました。

見た目や、肩書き、切り取られた一部が輝いて見える、強調して聞こえる時こそ、われわれはよく目を凝らして、耳を澄ましてみるべきなのだと、今は考えています。

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YOJI HALO

ペンに対してペンを取る者は、ペンに滅ぶ。おしりペンペン! 言葉を信じて、磨き続けるために。それをどっかの 誰かに伝えるためにノートを書きます。メシの種も生えればなお良い。
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