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夏の終わり、圧倒的小言とまた更新するねの契り

モヤモヤすることがあった時、どうにかならんかねと思うようなことがあった時、発散したくてひとまずTwitterを開く生粋のツイッタラーです。


気分的にはさ、「クゥ〜!おいらはいま!嫌な思いしました!つらい、誰でもいいから聞いてくださいよ!」って感じなんだけど、やはりそんな愚痴なんてものは誰も求めてなくて、なんならフォロワーさんからしたらそんな見たくないものがタイムラインに流れてくるって結構酷な話じゃない。


逆の立場だったら思うもん。ほんですぐミュートしちゃうもん。

まあ、何呟いても自由なのがTwitterなんやけど。


Wi-Fiがない環境で見たくないツイートを表示して大事なギガを消費させちゃう現象のことを、職場の人との間で「ギガ泥棒」と名付けた。

おいらはそんなギガ泥棒にはなりたくないので下書きに閉じ込める。


でもこんなふうに下書きばかり書いていると、自分の中には溜まっていきますわな。
誰かに聞いてほしいけどそれが叶わなかった時、一瞬悲しくなるけれど「まあいいの」って思える。
それは一緒にご飯行って駄弁られる友達がいるからなんでしょうね。
悲しいことがあったらすぐ友達に連絡する。
会う約束をする。
でも、だからといっていざ当日を迎えても愚痴ることはない。
会う頃には感情の熱なんてものはとっくに冷めていて、ふふふ、一緒に居られて今日も楽しいねー(笑)なんて気持ちになって帰る。
せっかく会ったのに?!って思わんこともないけど、それで良いと思ってる。

こう見えて(どう見えて?)心の底からバチギレることはないし嫌いな人だって1人も思い浮かばないけれど、仕事のこととかになると過剰に一生懸命になっちゃって、たまーーに激昂しちゃったりもして、iphoneをぶん投げてしまう悪い癖を治したい。

ので、苛立ちの感情とじっくり向き合って考えてみたのだけど、大体のことが実はそんな大した事なかったりするのかもなってちょっとだけ思いはじめた。

「自分はこう思われたいのに」とか「あの人はこうであってほしい、なぜなら自分がこんな思いしたくないから」みたいな勝手な願望、感情が怒りの基盤になっているときは、相手に執着しているのかもしれないよね。

「それをやめてしまうのはある種の諦めだ!」なんて突き放さないでよね。強いこだわりを緩めて、変に執着することを辞めちゃえ!って思えたら、ちょっと楽になれたんだよ、おいらの場合は。

相手が突拍子もない鬼犯罪者とかの場合は違うよ。
ほんと、普段の日常生活で起こる些細な出来事レベルの話です。

相手や自分のことを許すってなんでこんなに難しいんだろうか。

9月になった途端、大嫌いな夏が足早に去ろうとしている。その背中を見ながら少し嬉しくなりつつ、日が落ちるはやさになんだか少し寂しくなったりもして、ぼーっと考え事をする時間が増えた。

いつのまにか蝉の声も消えちゃったね。
温かい季節が過ぎると、近所の子供達の声も聞こえなくなるよ。
気づけばおいらはいつだって移ろう季節に一喜一憂しながら生きてる。
春の次は夏、夏の次は秋って決まってるのに。分かりきってるのに。

みんなは最近どんなふうに過ごした?

最近映画観たし、アニメも観てるし、画集も買ったからまた更新したいと思ってます。
気が向いたら読んであげて。

おやすみ〜😴

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