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現代新聞表記で「芸術論覚え書」を読む<11>生命の豊富とは現識の豊富





月島の路地

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第24段落から第27段落までを
現代新聞表記で読んでみましょう。



一、生命が豊富であるとは、物事の実現が豊富であるということとむしろ反対であると解釈したほうがよい。なぜなら、実現された事物はもはや物であって生命ではない。生命の豊富とは、これから新規に実現する可能の豊富であり、それはいわば現識のことである。現識の豊富ということがとかく見過ごされがちなところに、日本の世間の希薄性が存在する。いずれにしても現識の豊富なことは、世間ことに日本の世間では鈍重とだけ見られやすい。

 安っぽくてピカピカした物の方が通りがよいということは、このようにして、人生が幸福であることではない。価値意識の乏しい所は、混雑が支配することになる。混雑は結局、価値に乏しい人々をも幸福にはしない。
 
一、幸福は事物の中にはない。事物を見たり扱ったりする人の精神の中にある。精神が尊重されないということは、やがて事物も尊重されないことになる。精神の尊重をロマンチックだといって笑う心ほどロマンチックなものはない。これを心理的に見ても、物だけで結構などと言っている時、人は言葉に響きを持っているようなことはない。それは自然法則とともに事実である。

一、芸術作品というものは、断じて人と合議の上で出来るものではない。社会と合議の上で出来るものでもない。

一、精神的不感症が、歴史だけが面白いのではないか、などと思ってみることがあるものだ。だが歴史とは、個人精神の成果の連続的雰囲気である。個人の精神が面白ければそれは歴史も面白いだろう。しかし、歴史は面白いが個人は面白くないなどということはあり得ない。

(角川書店「新編中原中也全集 第4巻 評論・小説 本文篇」より。)

※「現代新聞表記版」とは、原作の歴史的仮名遣い、歴史的表記を現代の新聞や雑誌の表記基準に拠って書き改めたもので、現代仮名遣い、現代送り仮名、常用漢字の使用、非常用漢字の書き換え、文語の口語化、接続詞や副詞のひらがな化、句読点の適宜追加・削除――などを行い、中学校2年生くらいの言語力で読めるように、平易で分かりやすい文章に整理し直したものです。

第24段落は
名辞以前という
大きな森だか海だか
詩や芸術の根源に触れようとして
生命が豊富であることに言及します。

生命が豊富であるとは
物事の実現が豊富であることではなく
その反対である。

実現された事物とは物であって
もはや生命ではないから。

生命の豊富は
これから実現するであろう
可能的な豊富であるから
それは現識のことなのである。

であるにもかかわらず
現識の豊富は見過ごされている。
世間の認知は薄い。

どころか世間は
現識の豊富なことを鈍重と見誤る。

安っぽくてピカピカした物の方が通りがよいことは
こうして
人生が幸福になることではない。

価値意識が乏しく
混雑が支配するし
混雑は
価値意識に乏しい人々をも幸福にはしない。

第25段落。

幸福は事物の中にはない。

事物を見たり扱ったりする人の精神の中にある。
精神が尊重されないということは、やがて事物も尊重されないことになる。
精神の尊重をロマンチックだといって笑う心ほどロマンチックなものはない。

これを心理的に見ても、物だけで結構などと言っている時、人は言葉に響きを持っているようなことはない。
それは自然法則とともに事実である。

第26段落。

芸術作品というものは、断じて人と合議の上で出来るものではない。
社会と合議の上で出来るものでもない。

第27段落。

精神的不感症が、歴史だけが面白いのではないか、などと思ってみることがあるものだ。

だが歴史とは、個人精神の成果の連続的雰囲気である。
個人の精神が面白ければそれは歴史も面白いだろう。
しかし、歴史は面白いが個人は面白くないなどということはあり得ない。

途中ですが、今回はここまで。


最後まで読んでくれてありがとう!

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