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ビクトル・エリセ「マルメロの陽光」とモーパッサン「ピエールとジャン」の序「小説について」 ――日本語を書くために


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「ピエールとジャン」は、モーパッサンが1887年12月から1888年1月まで雑誌に発表した。それを単行本化するにあたって、「小説について」という小説論をこの作品の序として冒頭に置いた。川端康成が引用したのは、この「小説について」からであった。

モーパッサンが、なぜ小説作品の前書きに小説論をわざわざ配置したのかという疑問には、今は向かわない。「新文章読本」で川端康成が引用した「小説について」は、そこに書くことの要諦が簡潔に抜粋されていて、それは、なんらかのかたちで書く仕事やその他の創造的な仕事に関わっている人々へのヒントに満ちているので、ここで読んでおきたいと今は考えることにする。

まず、川端が引用した部分を記しておく。

――われわれの言おうとすることが、たとえ何であっても、それを現すためには一つの言葉しかない。それを生かすためには一つの動詞しかない。それを形容するためには一つの形容詞しかない。さればわれわれはその言葉を、その動詞を、その形容詞を見つけるまで捜さなければならない。決して困難を避けるために良い加減なもので満足したり、たとえ巧みに行ってもごまかしたり、言葉の手品を使ってすりかえたりしてはならない。どんな微妙なことでも、ボワロウの「適所におかれた言葉の力を彼は教えぬ」という詩句の中に含まれる暗示を応用すれば、いいあらわすことができる。

これを読んで、文章を書くことのみならず、絵を描くこと、音楽を演奏すること、俳句をひねり出すこと、車の外形をデザインすること、設計図を書くこと――など、あらゆる創造の瞬間に行われているに違いのない習練の厳しさ、あるいは要求されている眼力の正確さを感じないでいられるだろうか。すくなくとも私はそういったことを感じた。そこで、もっと詳しく知りたくなった。音楽でいえば、あの音でもなくその音でもなく、この音だと思える音を瞬間瞬間捜し出すようなことであり、車のボディデザインでは、万の単位の線から1本の放物線を選り分けるようなことである。

モーパッサンは、師ルイ・ブイエや師フローベールから教わったことを反芻しながら、ものを見る眼を培い、小説を書き、名をなし、そして、これから小説を書こうとしている若い人々に書くことの基本を伝えようとした。噛んで含めるように書かれた、その達意の文章が、翻訳であっても伝わってくる。

そこのところをすこし抜粋しておこう。川端康成が「新文章読本」で引用した少し前のところで、モーパッサンは、フローベールから教わった言葉としてこんな風に書いている。

――才能はながい辛抱である。問題は表現しようと思うすべてのものを、だれからも見られず言われもしなかった面を発見するようになるまで、十分ながく十分の注意をこめてながめることである。

――どんなささいなものでもいくらかの未知の部分を含んでいる。それを見つけようではないか。

――燃えている火、野原のなかの1本の木立ちを描写するのに、その火なり、木に向かって、それが、もはやわれわれにとって、他のいかなる木、いかなる火にも似ていないようになるまで、じっと立っていようではないか。

ここまで書いてきて、スペインの映画監督ビクトル・エリセの作品「マルメロの陽光」のことが、電撃的に思い出された。

<2>

「マドリッド・リアリズム」と呼ばれるスペイン具象画の巨匠アントニオ・ロペス・ガルシアが、自宅の庭に自ら育てたマルメロの木を写生している。およそ3メートル高に育ったマルメロの木には、果実がたわわに実を結び、緑濃い葉むらの中にライト・イエローの光を放っている。太陽光線が、そのマルメロに燦々と降り注ぐ午前中の約2時間が、画家の心をもっとも惹きつける至福の時間である。マルメロの頂点の輝きをキャンバスに写し取ろうとして、画家は毎日毎日、雨の日でさえも、マルメロの木の前に立つ。

ビクトル・エリセ監督の「マルメロの陽光」(1992年、スペイン)は、「1990年9月20日土曜、秋、マドリッド」と字幕されたイントロによって、ロペスとマルメロとの対峙の、その記録を開始した時刻を告げる。秋は次第に深まり、冬が訪れ、マルメロは落果し、土に帰っていくが、春が来てはまた新芽を吹き……。画家は、その時間をもう何年間もマルメロの生と死とともにしている。だが、1度も、画家の満足のいく陽光(ひかり)を捕らえることはない。

この映画が撮られた1990年の試みでも、陽光の頂点とマルメロの結実の頂点と、それを描くキャンバス上の進捗が追いつかずに、カーボンによるデッサンへと切り替えた画家ロペスを映し出す。映画監督エリセは、画家ロペスになんら指示を与える関係になく、画家ロペスのマルメロへの対峙の形相を
淡々と写し取るだけである。

この対峙こそ、映画の中で、中国人ジャーナリストがロペスにインタビューを試みるシーンで語るように、愛なのだ。この愛は、周辺に犠牲を強いるようなマニアックなそれではなく、日常の中にあり、愛犬シベリアン・ハスキーの、改築工事で出稼ぎに来ているポーランド人3人の青年の、妻マリアの、長男、長女、次女の、同僚エンリケの……生活に溶け合い、相互に干渉しあうことはない。

結末部で、妻マリアの描く油絵のモデルとしてベッドに横たわったロペスは、まどろみに入る。ここで、監督エリセの演出というべき、ロペス自身のナレーションが入る。ロペスは、次のように語る。

ここはトメリヨソ
私は生家の前にいる
広場の向こうに
見たことのない木々がある
マルメロの濃い葉むらと
黄金色の実が見える
木々の間に両親と私……
ほかの人も一緒にいるが
だれかは分らない
さざめき、談笑、語らいの声が聞こえてくる
私たちの足はぬかるみに
埋まっている
果実は枝についたまま
刻々しわが寄り
軟らかくなっている
やがて表皮にしみが広がり
動かぬ空気に発酵した香りが漂う
私に見えているものを
ほかの人も見てるのだろうか
マルメロの実が
光のもとで熟れて腐っていく
その光は
鮮烈なのに陰を帯び
すべてを鉱物と灰に
変える光
それは夜の光でもなく
黄昏の光でもない
夜明けの光でもない

<3>

ビクトル・エリセが「マルメロの陽光」で描き出そうとしたものは、ある偉大な画家の創作における狂気というものでなければ、創作技法の秘密を覗き込んだものでもあり得ない。では何だったのかという問いには、映画を見れば容易に答えが見つかるから、それには答えないでおこう。

ここでしばらく考えておきたいことのひとつは、フランスの小説家ギイ・ド・モーパッサンが、自作「ピエールとジャン」を単刊発行した時に、まるで前書きのように「小説について」と題した論考を付したのだが、その内容に直接連なっている「マルメロの陽光」についてである。

映画「マルメロの陽光」は、画家アントニオ・ロペス・ガルシアが、マルメロの実や葉が太陽の光を浴びて輝く様を描こうとする姿を、1990年の秋から翌年の春にわたって追いかける。この間の映画の眼差しは、画家の身辺雑事におよぶ生活にはいっさい向かわず、画家が絵に対している時間だけに向かっている。家族との食事や団欒とか、入浴とか、近所付き合いといった雑事は、極力、殺ぎ落とされている。

だからといって、映画の眼差しが、画家の「美的生活」に焦点を結んでいるのでは、毛頭ない。映画が向かっているのは、画家が絵を描くという行為そのものである。作品行為それ自体である。さらにつけ加えるならば、アントニオ・ロペス・ガルシアという画家の作品方法論への言及にも力点がある。この言及なしに、画家アントニオ・ロペス・ガルシアは描けない、と映画の側が見なしたところの作品方法論への力点というものである。絵を描くこととはどのようなことなのか、アントニオ・ロペスはどのように描くのか、といった技法上の問いを映画の眼差しは持っているようである。

映画が、画家自身に絵を語らせている部分がいくつかあるが、そのひとつは、中国人女性ジャーナリストのイタンビューを受けるシーンである。ジャーナリストは、アントニオ・ロペスが、デッサンを写真の模写からはじめないことに触れて問いかけると、

「僕はこの木といることがうれしいんだ。結果としての作品より大切でね。写真にこんな楽しみはない。」
――あなたは、この木を愛しておられる。
「もちろんです。」
――それに構図が緻密で独特の強い印象を与えますが。

という応答になる。

この応答あたりから、ジャーナリストと画家は、丁丁発止の対話に入り込んでいく。画家は、意を得たり!とばかりに、

「それはこの絵に限らず、シンメトリーが生む秩序が好きだからです。木を画面の中央に置き、視野の中心を画面の中央に置く。」
――多くの画家は対象を中心に置かない。ふつうは嫌がられますからね。
「でも木が中心にあることによって、木が存在感と威厳を獲得する。人間と同じで木は中心に置く。空間の美学的ゲームとは無縁になる。中央に木が存在して、シンメトリーによる秩序を得る。」
(*「 」内はロペス、――は女性ジャーナリストの発言)

「マルメロの陽光」は、作品を生み出すということの内実についての、もうひとつの内実である。映画という作品がまた、作品を生み出すということの内実にもなっている作品なのである。

ここで、わたしたちは、川端康成が「新文章読本」で触れたギイ・ド・モーパッサンの小説「ピエールとジャン」の冒頭の論考「小説について」に立ち返ることになる。

川端康成が「新文章読本」で引用した少し前のところで、モーパッサンは、フローベールから教わった言葉としてこんな風に書いている。

――才能はながい辛抱である。問題は表現しようと思うすべてのものを、だれからも見られず言われもしなかった面を発見するようになるまで、十分ながく十分の注意をこめてながめることである。

――どんなささいなものでもいくらかの未知の部分を含んでいる。それを見つけようではないか。

――燃えている火、野原のなかの1本の木立ちを描写するのに、その火なり、木に向かって、それが、もはやわれわれにとって、他のいかなる木、いかなる火にも似ていないようになるまで、じっと立っていようではないか。

――問題は表現しようと思うすべてのものを、だれからも見られず言われもしなかった面を発見するようになるまで、十分ながく十分の注意をこめてながめることである。

モーパッサンが登場し、フローベールが登場する、川端康成のこの文章を読みながら、「マルメロの陽光」の画家の営みを見返してみる。

――どんなささいなものでもいくらかの未知の部分を含んでいる。それを見つけようではないか。

この文章を読みながら、「マルメロの陽光」の画家の営みを見直してみる。

――燃えている火、野原のなかの1本の木立ちを描写するのに、その火なり、木に向かって、それが、もはやわれわれにとって、他のいかなる木、いかなる火にも似ていないようになるまで、じっと立っていようではないか。

この文章を読みながら、「マルメロの陽光」の画家の営みを振り返ってみる。

フローベールが、弟子のモーパッサンに伝えようとした努力は、「マルメロの陽光」の画家の努力と変わりがない。新進のモーパッサンは、師の言葉、師の教えを誠実に実行し、スペインの巨匠は来る日も来る日もマルメロの木の前に立つ。

見ることとは、いったいどんなことなのだろうか。
見た、ということとはいったい何をいうのだろうか。
見たことを言葉にするとは……。
見たことを描くということとは……。

「マルメロの陽光」の画家は、太陽光線に翳りの現われる晩秋、油彩を断念する。そして、木炭によるデッサンへと切り替える。「あきらめも肝心です」と笑いながら、女性ジャーナリストに応じるその顔に無念の表情はない。おそらく、モノクロームのキャンバスには、「他のいかなる木、いかなる火にも似ていない」火が見えている。

ピエールとジャン
https://www.shinchosha.co.jp/book/865116/

マルメロの陽光 EL SOL DEL MEMBRILLO
1992年、スペイン
ビクトル・エリセ監督


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