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オジ&デス対談第8弾を終えて

 普段は、「対談」シリーズに関しては、編集と投稿という“裏方“に徹するようにしているのだが、今回はVol.8までの投稿を終えて、改めて色々と考えたことなどがあるので、ちょっと長めの編集後記のような文章を書いてみたい。

音楽が繋ぐもの

 デス氏は、映画もかなり観ているものの、やはり音楽マニア歴の方が長いというか、重症度が高いので、音楽の話をしたら映画以上に長くなるだろうな、という予感はしていた。そのため、録音前に「90分くらいで話そう」と制限時間を設定していたのだが、結果としては、90分で3時間分喋っているような状態になってしまい(しかも、総録音時間は3時間超え)、書き起こしも編集も全く楽にならず、むしろ早口すぎて聞き取りがハードになった部分もあったので、追加収録の時には時間制限などはしなかった。今回は、音楽関連ということで、事実関係の確認やバンド名の表記などについてはデス氏にも編集段階でかなり細かくチェックを入れてもらった(それでも誤字などがどうしても出てくるので、気付いた方は教えてください…)。正直なところ、思ったよりも大変で、途中で「対談とかやめておけば良かったのか?」と思ったこともあったのだが、そんな気持ちは記事を公開したら吹き飛んでしまった。
 というのも、公開後、割と早い時期から音楽ファンの方々から好意的なコメントなどをいただけたからだ。SNSで感想をシェアしてくれた方もいれば、「いいね」やサポートで応援してくれた方も。当時の様子を知っているファンの方からの喜びの声やリアルタイムを知っているひとならでは情報などもあり、音楽を通じて時を超えて感動を共有できることがとても嬉しかった。また、自分の好きな音楽との関連性や共通項を考えて教えてくれた方もいて、改めてBon Joviの音楽について「まだ気付いていなかった魅力」がたくさんあることを実感している。また、記事を読んだことでそれまでスルーしていた音楽を聴いてみたという声もあった。
 卒業論文を書いていた頃、「読んだ人がそこで扱われている作品を観てみたい・読んでみたいと思うような論文はいい論文」と指導教授に言われていたこともあり、これまでの対談でも「読んだ人が映画を観たくなるように」ということは意識してきたのだが、音楽は「音」という非常に感覚的なものでもあるので、映画や小説以上に言葉で魅力を説明するのが難しいジャンルだと思っていた分、自分たちの記事が誰かの「音楽との出会い」に貢献できたことは光栄だった。
 そして、この対談の編集作業や読者さんからのリアクションなどを通じて、自分自身も、もっと先入観にとらわれずに音楽を聴いていこうという気持ちになった。それがとてもありがたいことだと思う。

 私自身は、「聴覚」よりも「視覚」の人だと自分のことを思って生きてきた。音楽を聴くのは好きだが、演奏もできないし、歌もうまくない。むしろ、輪唱などでも自分のパートに集中しないとグダグダになってしまうタイプだ。自分が歌いながら、ハモりを楽しむのが苦手。だから、どこかで「自分には音楽のことはわからないんだ」と諦めてしまった方が楽だったのかもしれない。しかも、裁量性労働なので在宅中も仕事をしていることが多く、音楽を聴くことだけに集中することが非常に少なかったため、どこか聴き方が雑になりがちでもある。一方で、「どうせわからないから」と思っていることが、逆に聴くことへのハードルを上げてしまっていたようにも思う。勿体ないことをしていたと思う。
 まぁ、だからと言って、「音楽は心で聴くものですよ」みたいなふわっとしたことを言うつもりはなくて、やっぱりある程度は理屈っぽく聴いてこそ分かることもあるので、そこは面倒くさがらずにいきたい。

サマー・オブ・ソウル 

 先日、Disney+で『サマー・オブ・ソウル(…あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』というドキュメンタリー映画を観た。1969年、対談の中でも言及しているように、音楽史において重要なフェスとして繰り返し言及される、あのウッドストックが開催された同じ年に(も)行われ、大成功を収めたハーレム・カルチュラル・フェスティバルについてのドキュメンタリー映画なのだが、タイトルにある通り、2021年に公開されたこの映画で語られるまでは、忘れられた存在になっていた。私も全く知らなかったのだが、このハーレム文化祭は、1967年から毎年行なわれていたらしい。映画は、1969年6月末から6週間に渡って毎週日曜日に行われていたコンサートの映像と、その映像を見てコメントする当時の主演者・観客たちへのインタビューがテンポよく編集された2時間弱で、ソウル・ジャズ・ゴスペル・ブルース・ラテンなどの大物から若手まで幅広く登場する。ブラック・ウッドストックと銘打って記録映像を売ろうという試みもあったそうだが、当時は興味を示されずに長年お蔵入りになっていたそうなのだ。
 音楽ジャンル的には、ハードロック/ヘヴィーメタルとはかけ離れているし、ゴスペルなどに至っては「歌詞に全くのれない」という問題もあるのだが、演者も観客もほとんどが黒人というこのフェスの映像を観ていると、彼らの経験や想いを共有したり表現したりするためには、どうしたってこういう音楽が必要だったのだという説得力を感じた。楽しそうに体を揺らす子どもたちも、ステージを笑顔で見つめる人も、逆に泣きそうに見つめる人も、みんな音楽を必要としているというか、彼らの中からこれらの音楽が生まれてきたんだな、という感じがある。ゴスペルにしても、彼らの境遇の中から生まれてきたというエネルギーに溢れていて、音楽として好きとか嫌いとかよりも、音楽の持つ圧倒的なパワーに感動させられたし、彼らの姿に崇高さを感じた。司会者が繰り返し「美しい人々」と観客に呼びかける、その「美しい」に込められた意味がよくわかる。そして、だからこそ、この映像は長年「都合が悪い」存在だったのかもしれない、と思った。

リスナーとして自分のルーツ

 この映画を観たのは、オジ&デス対談のVol.3かVol.4を公開した頃だったと思うのだが、「モスクワ・フェスとある意味で似てるかもしれない、なかったことにされているスゴいフェスの映画があるから、是非観て」とデス氏から勧められたからだ。もちろん、ハーレム・カルチュラル・フェスティバルが正当に評価されてこなかった理由には、人種差別の問題が深く関わっているので、単純に比較して良いわけではないが、「音楽史における重要なイベント」として語り継がれるかどうかが、ごく一部の人たちの偏った音楽史観によって決められていることの影響を受けているという点では似ていると言えるのではないか、と。そして、また、私にはあまり馴染がないジャンルの音楽ではあるけれど、だからこそ、ただ音楽を聴くよりも、この映画の形式は入りやすかった。
 視聴後にデス氏とあれこれ話をしていて、「子どもの頃にマイケル・ジャクソンとか聴いてたんだし、ソウルと縁がなかったってことないでしょ」と指摘されて、確かにそうだなとも思う。マイケル・ジャクソンは「音楽」というより「ダンスの師匠」っぽい感じだったので(もちろん、足下にも及ばないけど)、あまり意識はしていなかったが。あと、私が小学生のころからローリング・ストーンズを聴いていたのは母の影響だが、母がビートルズよりストーンズ派だったのは、ストーンズの方がブルースっぽさがあるからだと聞いた記憶がある。こうしてみると、私の音楽リスナー歴の割と初期にはソウルやR&Bの要素がまあまああったと言える。日本人のミュージシャンで小学生の頃に一時期ファンクラブにも入るくらい聴いてたのは久保田利伸だし。
 ということで、月並みなことを言ってしまうが、やっぱり音楽って良いね。そして、今後はもっと節操なく色んな音楽を聴いていこうと思うし、可能な限り、自分にとって思い入れが強いミュージシャンのライブには行っておこうと思う。

 最後に…。偉そうに(?)Bon Joviを語っておきながら、CDを持ってなかったアルバムもあるので、対談後にみんなで(*)お金を出し合って買って聴いている。この辺りももっと聴いてから対談したらよかったな、と思うこともあるけれど、そうしたらVol.8で終われなかった可能性が高いので、あの対談はあれでいいということで。
 

*「みんな」とは、どういうことか?
オジサン始めぬいぐるみ軍団には、毎月お小遣が支給されているので、その「ぬいぐるみ基金」と「デスのお小遣」と「私のお小遣」からお金を出し合ったということである。しかし、この辺の事情は、説明すればするほど気狂い味が増す気がしなくもない。

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