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Bon Joviはすごい!〜ハードロック・ヘヴィーメタル雑語りへの反論〜:オジ&デス対談第8弾 Vol.6

Vol.4〜5では、ハードロック/ヘヴィーメタル(以降、HR/HMと略す)とグランジ・オルタナの音楽的・人脈的な繋がりについて話しつつ、どちらにもそれぞれの良さがあり、どちらもロックとして楽しめるという話などをしてきましたが、Vol.6は、B’zの話から始めていきます。そして、もう少し「ロック親父(というか音楽評論家)の雑語り」の悪影響とそれに対する反省のなさなどについても検証(笑)しています。

アンフェアな「パクり」批判

デス:ところで、Bon Jovi(ボン・ジョヴィ)に関しては「観客に媚びるように笑顔を振りまくのが嫌い」みたいなこと言ってた奴がいるんだよ。

オジサン:??じゃあ、無愛想に演奏した方がいいんですか?

デス:ステージ上で、思わず笑みがこぼれてしまうような状況なのに、昔の日本によくあった、あえて「男はむやみに笑わない」みたいな価値観というかさ…。 

オジサン:苦虫かみ潰すような顔してる方がいいんですかね?なんなんですかね? 

デス:The Beatles(ビートルズ)とかだって、みんな笑顔じゃん。特に初期の方ね。 

オジサン:笑顔のミュージシャンが嫌だっていうひとは、Oasis(オアシス)だけ聴いてればいいんじゃないですかね。いつも同じ姿勢で同じ様子で媚び売らないことにかけては天下一じゃないですか。 

デス:ね、なんか笑顔になっちゃいけないっていうのが、ちょっと意味がわからない。 

オジサン:楽しいから笑ってるわけですよね。別に媚び売ってるとかじゃなくて。 

デス:実際、Bon Joviのライブは楽しいわけだよね。で、Ozzy Osbourne(オジー・オズボーン)とかだってさ、ステージ上で結構ヘラヘラしてるわけだよね。 

オジサン:あれは「笑ってる」と言っていいのかわかりませんけど…(笑) 

デス:結構ヘラヘラしながらバケツで観客に水かけてたりしてるんだよ。 

オジサン:鳩食べたりとかもしてますけどね。 

デス:そうそうそう。
 あと、B’zの話もしておくと、「B’zはパクりが多い」っていう批判がかなりあるけれども、あいつらが有り難がっている(rockin’ on=ロキノンの渋谷陽一の好きな)Led Zeppelin(レッド・ツェッペリン)のファーストアルバムなんかは、パクりだらけってのが定説なんだよ。 

オジサン:そうなんですね。 

デス:うん。だから、パクリが良いか悪いかは、一旦横に置いとくとして、「パクりがいけない」っていうんだったら、他のパクりも同じように批判しないとフェアじゃないよね。でも、ロキノン系親父は、B’zとかのパクリにだけ文句を言うわけだよ。要するに、あいつら、まったくもってフェアじゃないんだよ。 

オジサン:ですね。アンフェアな社会に抗議してきたのがロックだったりするのに、ですよね。 

デス:他にも例を挙げれば、(NIRVANAと同じように)あいつらが持ち上げてるSex Pistols(セックス・ピストルズ、以降「ピストルズ」)も、Paul Weller(ポール・ウェラー)のいたThe Jam(ザ・ジャム)っていうバンドからパクってると言われてる。ピストルズはロンドン・パンクの最初のバンドみたいなイメージを持たれてるけれども、アルバムデビューの順番とかで言うと、必ずしも最初じゃなくて、まあ割と他のバンドと同時多発的だったわけよね。ピストルズ、The Clash(クラッシュ)、ザ・ジャムとか、あとThe Stranglers(ストラングラーズ)とか…。 

オジサン:名前聞いても全然知りませんねぇ、例によって(笑) 

デス:でも、ポール・ウェラーは知ってるよね? 

オジサン:ポール・ウェラーは知ってます。(以前の対談でもポール・ウェラーの話も出ている) 

デス:まぁ、そのポール・ウェラーがいたザ・ジャムってバンドのある曲にそっくりな曲がピストルズにもあって。一応、ザ・ジャムの曲の方が世に出たのは先なのね。だから、ポール・ウェラーが「パクりやがって、ふざけんなよ」とシド・ヴィシャス(ピストルズのベーシスト)を殴ったという噂もあったりするんだけども。 

オジサン:ロンドンパンクの、というかピストルズの話については、前に『音楽関連の映画』の対談をした時にも、結構デスのひとが話してくれてるので、関心のある人にはそっちの記事も読んでもらうといいんじゃないかと思いますね。 

デス:あと、B’zに関しては、れっどさん(珈音のこと)もニュースレターで書いてくれてるから、B’zの何がすごいかっていうのは、あれ読んでもらったらわかる。 

オジサン:そうですかね?B’zに関しては、れっどさんは「ニワカ」ですからねぇ。 

デス:でもまあ、B’zのすごいところってのが、特に歌詞の面に関して、割と端的にまとまっていると思う。意外と気づいてない人も多いポイントだと思うよ。 

オジサン:ああ、そうですか。じゃあリンク貼っておきましょうね。

デス:で、B’zの「パクり」の話に関して、この前オレがネットサーフィンしてるときに誰かがブログとかに書いてて、その通りだなと深く頷いたんだけれども…、まあB’zが百歩譲ってパクりだったとしましょう。いいか悪いかともかく、パクりであるっていうのは事実だとしてね、じゃあ、誰もがパクってあんだけ巧みにアレンジできるかって言ったら、誰もやれないわけだよ。 

オジサン:B’zの他にやれた人がいませんからねぇ。 

デス:そうなんだよ。前にあんまりB’zは好きじゃない年上のロックファンの人と話してるときに、オレが「B’zのことをみんな"パクるのは才能がないからだ"って非難するけど、別にパクってなかったとしても、今と同じように売れてると思いますよ」って言ったらね、「それはその通りだと思います。パクっただけでそんなに簡単に売れるんだったら、僕も今頃パクりまくって億万長者になってます」とかその人が冗談で言っててね(笑)。 

オジサン:それに、前にデスのひとが言ってたじゃないですか、「パクってるって言われてるけど、もともとは英語の歌詞が乗っていた曲を日本語の歌詞であれだけうまくはめて、上手に自分たちの曲にしてるっていうのは才能がなかったらできないんだ」って。 

デス:そうそう。それもさっき言及したブログで的確に指摘されてた。 

オジサン:で、れっどさんなんかは、お友達がB’zが好きで、「この曲がAerosmith(エアロスミス)のこの曲にそっくりだから聴いてみて」とか言われて、「マジでそっくり!」ってなったのが、B’zを最初に意識して聴いたとき、っていう話を前にしてたんですけど、その時も別にパクりやがってとかは全然思ってなくて、「ウケる」ぐらいの感じだったみたいなので、なんかそのパクりだからっていうことをネガティブな意味でやたら言いたがる人っていうのは、ちょっとよく分かんないなみたいな。 

デス:逆にそれぐらいしか具体的にB’zをディスれる理由がないんじゃないのかな。実際、B’zのパクリと言われている曲は、元ネタがツェッペリンであれ、エアロスミスであれ、最終的にはB’zにしか聴こえないわけだよ。どんなにエアロスミスの曲に似てても、単なるエアロスミスのコピーバンドには聴こえないんだよ。B’zにしか聴こえないからこそ、「ネタ元とはかけ離れた酷いパクリ」とか言うわけで、それはB’zらしい再構築に成功してることを逆に証明してるよね。あいつらが好きそうな言葉遣いをするなら… 

オジサン:“ケミストリー”ですか?(笑) 

デス:"有無を言わせぬ強烈なオリジナリティ"とかですよ(笑) 

オジサン:強烈なオリジナリティ(笑)。まぁ、あと「このメンバーでこそのケミストリーが…」とかいうわけですよね。 

デス:そうそうそうそう。 

オジサン:この前も話しましたけど、ロック親父が「何か言った気になれる」Wordsですよね、アティチュード、ケミストリーとか、あとグルーヴとか。


ソフトウェアやメディアの変遷と音楽の変容

デス:今の「グルーヴ」で思い出したんだけど、メタリカより先にグルーヴやリズム重視のメタルをやってた代表格のバンドとして他にPANTERA(パンテラ)がいるよね。 

オジサン:ああ、そうですね。影響力や重要性では、場合によってはメタリカのブラックアルバム以上じゃないですか? 

デス:パンテラがメジャーデビューしたのが90年かな?Metalica(メタリカ)のブラックアルバムよりも1年早い。 

オジサン:パンテラが"グルーヴ"重視って言われるのは分かるんですよ。 

デス:ちなみにあのパンテラも、メジャーデビューする前はJudas Priest(ジューダス・プリースト)みたいなハイトーンボーカル型の正統派メタルだったんだよね。 

オジサン:?!ちなみにフィリップ・アンセルモも髪が長かったりしたんですか? 

デス:長かった。 

オジサン:あ、やっぱり長髪だったんですね。 

デス:パンテラの最後のアルバムの頃も長かったんだよ。それ以外の時期はずっと丸坊主のイメージがあると思うけど。 

オジサン:丸坊主で上半身は裸でハーフパンツ履いて、なんかノシノシ揺れながら歌ってる人みたいなイメージがあります。 

デス:パンテラもね、メタルよりもどちらかというとハードコア・パンクみたいな歌い方だとか言われてて、フィリップ・アンセルモの外見って、髪も短くてハードコア系のバンドにもいそうな感じだよね。だから、パンテラもオルタナティブ・ロックにも通じるような、従来のメタルとは違う、パンキッシュな要素も備えた、90年代らしいバンドっていうふうにも言われてた。でも、メジャーデビュー前は、音楽的には思いっきりジューダス・プリースト系。スレイヤーとかメタリカほどにアンダーグラウンドな雰囲気のメタルでもなく、もっとメジャー志向なメタル。そういうバンドが、90年代以降にトレンドになるような、あんなアルバムを作ってるわけだよ。 

オジサン:まあ、でもロック親父とかに言わせると、「そういう80年代的なHRとかHMだと売れないから、ああいう路線にしたんだから、やっぱHR/HMは時代遅れでダサくてオワコンだったんでしょ」みたいなことになってて、「HR/HMバンドとかがオルタナ勢に影響されて色々変わったのも、80年代的なああいうのがダサくて中身がなかったからでしょ」みたいな話に多分なるんですよ。
 だけど、映画でも何でも、時代ごとに流行り廃りっていうのがあるわけですよね。で、それは、音楽だったらMTVの登場っていうのが、やっぱりすごく大きな動きだったし、それ以前だったらラジオが登場した、テレビが登場したっていうことも、音楽業界にとって大きな動きだったわけじゃないですか。そういうふうにメディアが変われば、音楽業界そのもの、音楽自体にも、大きな変化が生まれてくるっていうのは当たり前のことで…。 

デス:SPレコードからLPレコード、カセットテープやCDやMDといったソフトフェアの変化もそうだし、インターネットもそうだよね。 

オジサン:はい。インターネットが登場したことで、ギターソロがほとんどない曲の方が増えてきたって言われたりしてるわけじゃないですか。ギターソロ飛ばして聴いちゃう人がいるからっていうことで。そういう風にメディアが変わることによって、音楽のスタイルが変わっていくのは当たり前のことだから、別にHR/HMがダサくて薄っぺらくて表層的なパーティーロックだったから終わったわけではなくて、80年代とムードが変わったっていうことですよね。もちろんそこには冷戦の終結とかも関係あるかもしれないですし。まあ、冷静に落ち着いて考えればいいのに、とりあえずHR/HMを馬鹿にする方向に行くっていうのが、なんか弱い者いじめっぽくてダサいなって思いますね。 

デス:でさ、「つまんないから終わったんだ」っていう話をすれば、グランジとかだって、今誰もグランジらしいグランジなんてやってないし、ラップメタルなんかも、今だったらちょっと時代遅れみたいな感じなわけだよね。ラップやヒップホップ自体は今でも人気があるけど、Rage Against the Machine(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン)とかLimp Bizkit(リンプ・ビズキット)とかに影響を受けたようなヘヴィな演奏の中でラップをやるタイプのバンドは目立たなくなってる。 

オジサン:ちょっと「90年代っぽくて懐かしい」って感じになりますよね。 

デス:今そのまんまやってると、正直ちょっとダサいっていうかね。70年代や80年代とか時代的にはもっと古いはずのロックより、かえって古く感じたりしてしまう。
 で、さっきのストリーミング全盛期になってギターソロが飛ばされるようになったっていう話ね。それも、割と頑固なロック親父風情が、「ギターソロが飛ばされてしまうなんて嘆かわしい」みたいなこと言ってるんだよね。「イントロが長いと飛ばされるなんて」とか、「音楽というものがすごくインスタントになっている」なんて言って嘆いているんだけれども、そういうタイプのロック親父がかつて何を言ってたかっていうとね、「ギターソロは時代遅れだ!」って言ってたわけだよ。ロンドンパンク期やグランジ・オルタナ期とかにね。「ギターソロとか長々と弾きたがるのは、自己陶酔したアホなメタラーで…」 

オジサン:「テクニックをひけらかして…」みたいな? 

デス:そう。あんなものはもう流行らないんだって言ってたのにね、20年とか30年とか経ったら今度は同じようなクラスタが、「ギターソロが飛ばされるのは嘆かわしい」と言ってるわけ。お前ら何なんだよ?と。で、ギターソロとかイントロとかって、例えばNIRVANAみたいなタイプのオルタナ系はあんま長くないんだよね。イントロとかソロが長いのは… 

オジサン:HR/HMですね。Megadeth(メガデス)なんて歌ってる時間より弾いてる時間の方が圧倒的に長いですからね。 

デス:そうそうそう。だから、まぁ、ロック親父のいつものご都合主義だよね。「俺らはね、音楽とかロックとかいうものに一家言あるんだ」「どんなに時代が変わっても大事にしてることがあるんだ」みたいな感じで、頑固一徹のフリしてるけど、実はすごくご都合主義で風見鶏で、いい加減でその場しのぎでミーハーなんだよね。 

オジサン:その場その場で「俺はなんかちゃんとわかってんだよね」っていうふうに他人から思われたい、っていう話ですよね。 

デス:もちろんね、「20年、30年前はギターソロはダサいと思ってたけど、今はギターソロはやっぱあった方が良いと思う。でも、今はギターソロが飛ばされやすい時代で寂しいな」っていう意見に変わるのは別にいいんだけども、変わった理由とか全然説明しないわけだよね。いい加減だから変わった自覚もないし、大した理由もないんだろうね。 

オジサン:いつの間にかそういうことになってて、何なら「俺は昔からギターソロとかちゃんと聴いてましたよ」「俺はギターのこと分かるからね」「ギターとか弾いてるし」みたいな感じで、「だから、前からギターソロは楽しんでましたよ」みたいな空気を出してるわけですよね。 

デス:そうそう。で、散々、ギターヒーローとか長々としたギターソロとかを、ダサくて時代遅れだって言っておきながら、今度は若い人がJeff Beck(ジェフ・ベック)を知らないことを嘆いてるわけだよ(編集註:具体的には、珈音のニュースレター「オンナこどもにはわからない」で取り上げた東京新聞の特報記事のこと、記事の一番最後にリンクを貼っておきます。)。いや、もちろんね、全くの同一人物が言ってるわけじゃないけど、まあ同じような人たちが… 

オジサン:まあ、同じグループに分類できそうなおっさん達ですよね。 

デス:そう、伝統芸のように、常にメインストリームの音楽シーンを嘆いてるロックおじさんクラスタね。そのロックおじさんクラスタ同士で相互批判とか、過去の総括は一切しない。総括もせずに、今更Bon Joviを表紙にしたりするわけだよね。 

オジサン:節操ないですよね。 

デス:まあ、実にいい加減。そういう自分たちのいい加減さを棚に上げて、他人が音楽をいい加減な扱いしてる、という話ばっかりしてるんだよね。


デスのギター

汚れた商業主義とそれに毒された大人たちという仮想敵

デス:あとね、常にディスる対象を探してるようなところがある。簡単に言っちゃうと、敵がいた方が何かと都合がいいわけだよね。“本来の素晴らしい音楽、素晴らしいロックっていうものを危うくする商業主義にまみれたしょうもない音楽“っていう、ある種の敵を常に想定して、それがグランジ・オルタナ時代だったら旧時代のHR/HMで、今だったらギターソロを飛ばすようなリスナーやそういうリスナーに支持される音楽になる。一時期、ヒップホップが槍玉に上がっていた時もあったんだけども…。 

オジサン:えええ?!そうなんですか?! 

デス:ヒップホップのことも、「ラップとかいう喋りばかりでメロディーが全くなくて、サンプリングっていうパクり手法で成り立つ音楽で、あんなものはあっという間に消える」とか言ってた奴らもロックファンの中にはいたんだよ。で、ヒップホップがその後どうなったかっていったら、90年代以降はロック以上の人気音楽の王者であり続けているんだよ。その間にヒップホップをバカにしてたロック親父も「パブリック・エネミーはロックだ!」とか叫ぶ向きにしれっと変節したけど。 

オジサン:例の「ロックだ!」認定ですね。(Vol.5参照) 

デス:ああいう、敵を作って自分たちのコミュニティの結束を図るみたいなのって、ナチスとかトランピストとかカルトとか、ネトウヨとか安倍晋三みたいなやり方だよね。でも、ロック親父っていうのは一応は… 

オジサン:左翼・リベラルを気取ってたりする、っていう…。 

デス:ロックをはじめ、常に自分たちはカウンターカルチャーの主たる担い手だと思ってるから。だから、自分たちは、ナチスとかトランプとかと対峙する側だって思ってるわけよね。まぁ、実際に対峙する側であるのはある程度は事実なんだけども、別の面ではナチスとかトランプが好きなネトウヨなんかと大して変わらないような醜悪さを持ち合わせるわけだよ。 

オジサン:鬼畜米英とか言ってた大日本帝国みたいなことやってるわけですよね。 

デス:でもさ、ある集団の結束を強めて盛り上げるために、適当にスケープゴートにされる方の気持ちにもなれよって話であって。みんな文句言わないけどね。あいつらほど狭量じゃないから。
 そういうことへの反省がね、1mmもないし、なんなら、自分たちは繊細だとか思ってるんだよね。 

オジサン:自分たちは繊細で優しいから、ウェイウェイしたパーティーロックとかじゃなくて、内向的で内省的な朴訥としたロックを聴いてるんです、みたいな風に思ってるんですかね。 

デス:だから自分たちのコミュニティを代表するようなアーティストだったカート・コバーンなんかはあんなに心を痛めるんだ、みたいなね。 

オジサン:「この汚れた資本主義社会のせいでカートは…」みたいなかんじで、勝手に殉教者にしちゃうわけですよね。 

デス:でもね、お前らが言うところの、その汚れた社会とそれを体現する連中って、まさにお前らもそれと同類じゃん、みたいなさ。何一つ変わらないじゃん、って言いたい。雑誌が売れない時代になって、あわててBon JoviとかB‘zとかを表紙にし始めるっていうのもね、それお前らの大嫌いなはずの商業主義じゃないの?って話じゃんね。むしろ、かつてはHR/HMっていうもの、もしくはBon JoviとかB‘zみたいなメジャーなバンドというものを馬鹿にしてたけれども、考えを改めましたって言うんであればね、別に不祥事を起こしたわけじゃないから謝罪文まで出す必要はないけど、なんで心変わりしたのか読者として素直に知りたいし、ジャーナリズムを担う者であればそういう説明責任は当然ある。 

オジサン:そこは誠実さが求められるところですよね。 

デス:単純にリスナーとしても、オレなんかはそこが気になるわけだよ。もともと別に嫌いじゃないのに嫌いなふりをしていたのか、もしくは嫌いだと思ってたけれども、その評価が変わるきっかけがあったのとかね。他人のことは追及するくせに自分たちは追及されないつもりでいるというのは、どんだけ傲慢なんだと。 

オジサン:「当時は、一瞬で消えるような表面的な音楽だと思ってたけれども、今もこうやってBon Joviが活動していて、よく聴いてみたら良い音楽だったと気づきました」とか、その程度のことを言えばいいだけだと思うんですけど、なんか「前から私たちはBon Joviを評価してましたよ?」みたいな空気出してるわけですよね? 

デス:だから、いわゆるロックが仮想敵にしがちな“汚い大人“みたいなやつね、お前らがまさにそれだよねって思うわけよ。 

オジサン:それでいて、常に権威にプロテスト・レジストしてるつもりなんですよね…。年齢的に考えても、むしろ自分たちが権力とか権威の側の場合も少なくないのに。 

デス:ロックについても、自分たちに都合のいいストーリーに歴史を書き換えるというのもそれだよね。グランジ・オルタナ革命によって、旧世代のロックが過去のものになったというストーリーにしたがるけど、そんなことはないわけだよ。 

オジサン:彼らが語る歴史とは違って、HR/HMバンドって、90年代に入ってからも、たとえアメリカでは多少売れなくなっても、イギリスとかヨーロッパとかでは変わらず売れ続けたパターンも結構ありますよね? 

デス:うん、そうだね。例えば、イギリスでは、オアシスとかBlur(ブラー)みたいなブリットポップ勢と、グランジ・オルタナみたいなUS勢と、Iron Maiden(アイアン・メイデン)とかDef Leppard(デフ・レパード)とかジューダス・プリーストみたいなUK出身のHR/HM勢、Bon JoviやKISS(キッス)やメタリカのようなUS出身のHR/HM勢、さらにGreen Day(グリーン・デイ)のような新世代のパンク勢とか、どれも売れている、みたいなカオティックな状態だった。だから、あるシーンに属するバンドだけがチャートを席巻して、かつそういうバンドだけをリスナー全員が聴いて…なんて、そんな単一的で極端なことは起こってない。にもかかわらず、そういうことが起こったかのように言いたがる。 

オジサン:日本もHR/HMは常にそれなりに売れている国ですよね。 

デス:そうなんだよ。90年代のアメリカではかつてほど売れなくなったと言っても、例えばBon Joviとかエアロスミス、Van Halen(ヴァン・ヘイレン)なんかは、アルバムを出せば必ずトップ10入りしてて、何百万枚とか売れてたわけだよ。
 だから、あいつらが思ってるほどは、残念ながら消えてない。実際には共存してる状態だったわけだよね。そして近年は80年代からのHR/HM勢がまた全米トップ10とかに入るようになってる。


80年代文化の流行と再評価

デス: ところで、90年代には、80年代がいろんな意味でダメな時代っていう結論にされてたんだよね。アメリカだけじゃなくて日本でも、いわゆるバブル時代を思い浮かべてもらうといいと思うんだけど、音楽に限らず、80年代って浮かれていてちょっとダサい時代ってことにされてた時期が長かったんだよね。 

オジサン:厳つい肩パットに青のアイシャドーで〜みたいな? 

デス:そうそう。そういうファッションもそうだし、当時流行ってたカルチャー全般というか。オレの記憶にあるのは、特に90年代半ばからゼロ年代の中盤ぐらいまでかな?音楽に関してもU2とか一部の例外をのぞいて、80年代に売れてた音楽っていうのは総じて駄目みたいな扱いになってた時期があった。 

オジサン:そんなかんじだったんですね。
 でも、ここ数年くらい、Netflixのドラマ『ストレンジャー・シングス』に代表されるように、特に映像の世界を中心に80年代リバイバルですよね。しかも、一過性のブームではなくて、このまま「80年代のカルチャーを愛でる」ことが、もう、一つの新しいカルチャーとして定着してきてる印象です。 

デス:50年代とか60年代、70年代のカルチャーとなんら遜色なく、80年代には80年代の良さがあるよね、っていう感じになってきてるよね。Netflixで『目指せメタルロード』なんてメタラー映画が作られたり、Mötley Crüe(モトリー・クルー)の伝記映画が作られたり、マーベルの映画やドラマではGuns N‘ Roses(ガンズ・アンド・ローゼス)やBon JoviやLita Ford(リタ・フォード)の曲が大々的に使われたり。 

オジサン:スティーブン・スピルバーグやスティーブン・キングの再評価とか、『ゴースト・バスターズ』や『インディ・ジョーンズ』、『トップガン』のような80年代のヒット映画の続編やリブートも盛んですよね。 

デス:80年代のホラー映画の続編やリブートも多いんだよね。あと80年代の日本のシティポップが海外で流行ってたりもする。でも、かつては、80年代はすべてがダサい時代みたいな感じで、ロック的には「谷間の時代」とか言われてたわけよ。 

オジサン:そうなんですか? 

デス:そう。60年代、70年代までは良かったけど、80年代はダメで、90年代になってまた復活した、みたいストーリーになってたんだよ。でも、今はそんなこと想像もできないくらい80年代リバイバルだよね。で、その80年代リバイバルの担い手っていうのは、うちらと同世代の80年代生まれで、子どもの時になんとなく80年代のものに触れていた世代が多いような気がする。 

オジサン:今40代のひとたちが中心って感じですかね。でも、ちょい上の世代とか、なんだったらデスの人たちより下の世代の人たちも沢山いますよね。 

デス:うん。要は、グランジ・オルタナ革命なんたらかんたら〜みたいなこと言ってた連中よりは全体的に下の世代が担い手になっている。で、そういうものが今は売れるもんだから、なんかかつては80年代をディスってたようなスノッブ系のサブカル連中がさ、こぞって… 

オジサン:「ストレンジャー・シングスはエモい」とか言ってるわけですよね。 

デス:そう。そのストレンジャー・シングスで使われている曲の中にも、Bon JoviとかDuran Duran(デュラン・デュラン)とかJourney(ジャーニー)とかTOTOとかScorpions(スコーピオンズ)とか、かつては「80年代のダサいもの」とされてたような曲が、けっこうあるんだよね。そのストレンジャー・シングスを「エモい」とか、それこそ絶妙に古臭い言葉を使って喜んでる。あんたら、あれだけ80年代のもの馬鹿にしてたくせに、その反省はどうした?ですよ。「東京のロックおじさん、反省はどうした?」みたいな感じだよね。

(編集註:Vol.4の註でも言及したが、音楽評論家であり映画評論家でもある宇野維正氏は、『ストレンジャー・シングス』の音楽の使い方を持ち上げるために、同じく80〜90年代を舞台にした女性主演の映画である『キャプテン・マーベル』『バンブルビー』の音楽の使い方を雑に貶していた。)

オジサン:自分らはご都合主義のくせにね、「東京の女の子、どうした?」じゃねーよ、って感じですか。 
(編集註:Vol.4参照)

デス:他にも80年代のものを散々ダサいって言ってたやつら、昔いっぱいいたよな〜みたいな。10年前くらいまでね。そいつら、どこに行ったの?


「80年代と言えばジョジョ第3部ですよね?ってことで、ボクのかわいい花京院人形を見てください!」

HR/HMディスはただの“内輪ウケ“ネタ

オジサン:ちなみにれっどさんはロキノンはあんまり読んでなくて、読んでた音楽雑誌っていうと、HR/HM専門誌のBURRN!くらいで…。そんな感じだったので、ボクも、まぁ薄っすら世の中がHR/HMを馬鹿にしてるんだなってことは、いろんな場面で、まあ聞き知るに及んではいたんですけど、具体的に直接すごい馬鹿にされたっていう経験はあんまりなくて。なので、ロック親父全般が割とHR/HMを本当に馬鹿にする発言をしてることを知ったのは、実は2010年代のTwitterだということです。ボクも、最初は「(笑)」みたいな、ジョークとして言ってるのかな?って思っていたんで、割とガチで馬鹿にしている感じのひとまでいて、ちょっとビックリしたんですよね。 

デス:あのさ、00年代の、例えば映画とか思い出してもらうとさ、映画を通して見聞きできるアメリカやイギリスなんかのメジャーな文化とかを思い出してみると、分かるんじゃない?特に90年代後半から00年代くらいって、80年代にバリバリ活躍してた人たちって、その存在を無視されるような感じじゃなかった?Michael Jackson(マイケル・ジャクソン)ですらも、もう過去のひとみたいな扱いになってたじゃん? 

オジサン:確かにそうですね。マーク・ウォルバーグ主演の『ロック・スター』っていう映画、あれのエンディングクレジットのところで写される撮影中の風景みたいなので、マーク・ウォルバーグが「HR/HMはもう終わったよね」みたいなことを台詞ではなく、素で言ってたりとかもして。 

デス:そうだっけ?まぁ、あの映画自体がそういう映画だったもんね。 

オジサン:だから、まあ、いろんな場面で、今はやっぱりヒップホップとかR&Bとかが熱いんだなあと思ってはいて、HR/HMはちょっとダサいもの扱いされているっていうのは知っていたんですけど、でも、「HR/HMが好きだ」って言ってる人に向かって積極的にごちゃごちゃ言ってくる人がまあこんなにたくさんいたとは、みたいな驚きはありますね。周りにそういうひといなかったし。 

デス:90年代とか00年代ぐらいまでは、こっちからそういうアンチHR/HM勢に近づかないと、HR/HMの悪口っていうのが聞こえてこないようなところもあったんだろうけどね。 

オジサン:まぁ、ボクは2011年代生まれなんで、あれですけど、やっぱりSNSの影響で悪口が目に入りやすくなったんでしょうね。放っておいても自然と目や耳に入ってくるようになったというか。 

デス:うん、インターネット上で双方向的に交流するみたいなことが増えてから、HR/HM好きってことを表明すると「ええー、ダサいよww」みたいなことをいちいち言ってくるやつとも遭遇しちゃうようになった。そういう状況になったのが00年代後半〜10年代ってことかな。一方で、わざわざそういうこと言ってる連中というのが全世代にいるかというと、そういうわけでもなくて、前にも言ったように、今の50代前半から60代前半くらいの世代に偏ってるわけだよね。 

オジサン:そうですね。 

デス:だから、80年代的なものとかメタルっぽいものをディスるみたいなのって、実は特定のカルチャーに浸った特定の世代でしか通用しないようなところが大いにある。 

オジサン:ある種の内輪ウケネタみたいなものですかね。 

デス:そうそう、内輪ウケなんだよね。でも、視野狭窄なあいつらはそれが内輪ウケだって気づいてない。「HR/HMとか、馬鹿にするのが当たり前でしょ」みたいなテンションのところがある。 

オジサン:で、そういうテンションで人前で馬鹿にして顰蹙を買う、みたいなことがあると。 

デス:もちろんね、その世代でもHR/HMをバカにしない人もいるし、80年代のHR/HMど真ん中世代のファンも含まれてるんだけど、一方でいまだにHR/HMは馬鹿にして当然というのを捨て切れない奴らも結構いる。前にも言ったように、今の若いBon Joviファンの子たちは、Bon Joviが馬鹿にされてた時代を知らないから、馬鹿にされる理由すら見当がつかない。そういう世代がもうすでに出てきてるのに時代錯誤だよね。 

オジサン:ボクもバカにされる見当つきませんけどね。ボク、11歳ですから! 

デス:オジサンは、でもほら、老成してるから。 

オジサン:老成とか言わないでくださいよ!それ、むしろデスのひとでしょう?すぐ四字熟語とかことわざとか使うし。
 まぁ、とにかく先を続けましょう。 

デス:うん。で、もう世の中変わっていってるわけだよね。なのに、その狭苦しい、ある世代のある界隈でしか通じないようなHR/HMディスっていうのが、なぜか全世界に通じると思ってるバカなオヤジがまあまあな数いる。しかも、そういうやつらがね、しつこく言わせてもらうけど、おまけに左翼とかリベラルを気取ったりしてるわけだよね。そんな進歩性の欠片もないような思考回路なのに。 

オジサン:別に「メタルが好きじゃない、メタルは聴きませんよ」は、それはそれで全然いいんですけど、「馬鹿にするのがマナーでしょ」みたいな空気を出されると、「そんなお約束は無い!」みたいなね。 

デス:そうそうそう。 

オジサン:で、それをお約束だと思ってる人、今ほとんどいませんよっていうことには、そろそろ気づいた方がいいんじゃないかな、と僕は思いますね。


『E.T.』ごっこをしています

ライヴ・パフォーマンスとSNS

オジサン:あと今、メディアの変化の話をしながら、丁度デスのひとがRammstein(ラムシュタイン、ドイツ語で歌っているインダストリアル・メタルのバンド)のTシャツを着てるんで思ったんですけど、Rammsteinはアメリカでも90年代からそれなりに売れてたんですけど、本人たちが無理やりなことしなくても大ブレイクしたのが、ちょうど十年前ぐらいなんですよね。ネットが普及したことによって、Rammsteinみたいな花火やパイロ、火炎放射器とか、そういうものを使った派手なステージパフォーマンスっていうのが、それこそがライブで体験したいものっていうふうに受容されるようになった面があるのかなって思いますね。 

デス:ネットの動画ストリーミングとかの影響だろうね。やっぱYouTubeの登場以降だよね?YouTubeも最初の方はね、ブロックノイズまみれでそんなに大した画質じゃなかったんだけど、今ではすごく画質が良くなってるし、当然、それ以外のストリーミングサービスも色々出て来て、インターネットで動画を視聴するっていうのが、この10年くらいですごくポピュラーになったじゃんね。Rammsteinみたいなのは、やっぱ映像映えするよね。 

オジサン:そうですそうです。Rammsteinはアメリカで今一つだった時もヨーロッパではずっと人気だったので、まあその間もドカンドカン派手にやってたわけですよ。で、そういう映像をYouTubeとかで見たアメリカ人たちも、自分たちもこれを生で観たいってずっと思ってたんじゃないかなって。SNSとかを通じて、その動画が広まったということが、さらに自分もライブで体験したい、何なら動画を投稿したいみたいな…まああれです、SNS映えしたいみたいなね。そういったメディアの変化に応じた人々の欲求の在り方とかも2010年代のブレイクと関係してきてるのかなとか思います。 

デス:80年はテレビでMTV映えするものが売れてたけど、MTV映えとかダサい、商業主義的な薄っぺらいバンドがやることだっていうのが、90年代にグランジ・オルタナ系から出てきてた風潮だったけれども、結局、一周回ってやっぱりネットなんかで映像映えするほうがいいよね、って感じになってるわけだよね。実際ね、ライティングもずっと同じような単調な感じで、そこで普段着を来てる人たちが普通になんか棒立ちで無愛想に演奏してる動画とか、そんなに面白くないよね。 

オジサン:まあ、だったら音だけでもいいかな?とは思いますね。 

デス:ここでもね、結局、ある世代が、「ロックのコンサートは本来こうあるべきなんだ!」って偉そうに言ってたものが、ことごとく間違ってたっていうことが改めて証明されてるわけだよ。インターネットを通した、新たなカルチャーの形成とそれを支える若い世代によってね。なんか予測を盛大に間違えたおまえら、責任とって退陣しろよ、みたいなさ。政治家だって、なんか間違えると退陣するわけだよ。音楽メディアの連中も、あまりにも多くの間違いを犯して少しばかりの反省すらできない奴らは、なんか偉そうに新書とか出してないで消えて欲しいなあっていうふうに思う。 

オジサン:(笑) 

デス:で…、あと、何だったけな、なんか言おうとしたんだけど…。 

オジサン:なんです?思いの丈をどーんと! 

デス:でも、もうだいぶ話してるよね。 

オジサン:言いたいことが渋滞してるから大変なことになってますよね。 

デス:MTV映えの話からなんか言おうとしたんだけどなぁ。 

オジサン:ボクもインスタ映えしたいです。 

デス:(軽くスルーして)まあ、とりあえずこんなもんで。
 突然「こんなもんで」って言うのもあれだけれども、重要なこと全部話したと思うんだけど、どうしても話したいことが出てきたら、ボーナストラック的にまた対談してもらってもいいから。 

オジサン:分かりました。

(編集註:途中からあまりBon Joviの話をできていないので、後日、Bon Joviの話を追加収録しました。次回以降はBon Joviの話を中心にお届けします。) 

=Vol.7に続く=

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