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幼い頃の約束を果たすことができた限界就活生ランボーの話

私の人生のなかでこれを無くしたら生きていけないと言ってもいいほどのものがある。





それはヲタ活。






これを無くしてしまったら私の人生はきっとただの灰色の味気のないつまらない人生に見えると思う。






でもヲタ活のおかげで今までの人生はバラ色の人生だった。






一度これを書くにあたって私のオタク遍歴を本当に軽く要所要所抜粋して書いてみることにした。するとこんな感じになる





1.元J系アイドル(新社名は未だに馴染めず私の友達と話していてもこっちで話す方が楽だからだ。XをTwitterと呼ぶようなものだ)
2.アニメ
3.声優
4.YouTuber
5.アイドル
6.芸人【現在進行形】





というようになっている。これを読んでいる人達の中にはこれは一括りにした方がいいんじゃないかと思う人がいるかもしれないが私自身で思い出して
見ると別ものだったからこれは許して欲しいし
これらすべて卒業したのかと言われると
完全に卒業したものもあればいまだに何となく
好きな物もある。例えばアイドルは未だに好きで
ダンスの振り付けを覚えるほどだし曲やライブにも参戦している。


櫻坂46のアニラ
(あと土生瑞穂さんの卒業セレモニー)
櫻坂46 小林由依卒業式コンサート




自分の中でのこれを今推すという優先順位があって今は芸人でこれに関しては恐らく不動の一位というくくりだけど時期によってはJ系アイドルが一位に
なったりすることもある




そして様々なオタ活の王道を通ってきた私だが芸人のオタクを始めたのは実はかなり遅かった。






これにも私にとっては深く他人から見れば浅い想いがあるのだ。






それは至極真っ当、幼い頃から【お笑い】または【お笑い芸人】が私の生活の中で当たり前に
存在していたからだ。





私の家はお笑い番組やバラエティー番組に寛容な家でよく見せてくれていたのだ。でも今思えば幼い頃に「ロンハー」「ワンナイ」「ゴッドタン」と
様々なお笑いの英才教育を受けていた影響も
あってか生活の中でお笑いを見ることが当たり前でありトイレに行く、お風呂に入るという分野の話であったが今振り返ってみても私は今年22歳になる年なのだが幼い頃にゴリゴリ下ネタのお笑いを見たらそりゃ人間として欠落してどこかおかしくなるのは当たり前だなと思った。(ロンハーも国生さゆりや杉田かおるがいた時代のバチバチの格付けしあう女たちが未だに好きだしマジックメールも大好きだしワンナイも今思えば下ネタエグいのによく親は見せてくれたと思うし私もわからず笑っていたしゴッドタンに関しては初めて見たのはキス我慢選手権だった…親はなんで出かける時にこれを暇つぶしの間の映像として子供に見せたのか分からない)





ここまで色々書いたからある意味普通のお笑い番組は見ないと思われたかもしれないが「エンタの神様」や「爆笑レッドカーペット」「アメトーク」「リンカーン」「クイズタレント名鑑」「ピカルの定理」も大好きでいつも見ていた。(個人的にピカルはビバリとルイが大好きでその影響も多大に受けたと言っても過言では無い)特に私の世代では
「エンタの神様」と「爆笑レッドカーペット」が
特に今思えば熱狂的ファンが多く幼稚園に行けば
小島よしおだったりにしおかすみこ、ゆってぃ、響の真似をしている同級生を多く見た。私もこの頃はすごく好きでよく見ていたが特に好きだったのが「マシンガンズ」だった。





幼い頃に見たから記憶は朧げだが微かに感じたのは『この金髪の人かっこいい』だった。




もちろんネタも好きだった、子供ながらに毒舌を言っているのがすごく好きで母親と一緒にテレビの前でゲラゲラ笑っていた
(今考えたら悪口で笑っている幼稚園生というのも中々だと思うし幼稚園の時に誰が好きなのと言われた時にマシンガンズ!と言った時に誰と言われたしそう言って面白くないよと言った友達のことを未だに覚えている)




それと同じように金髪のお兄さん……
のちにThe SECONDで最高得点と最低得点を
叩き出しネタを2本しか用意していなかった
ある意味最高で最強にかっこいい芸人
「マシンガンズ」との初めの出会いだった




ここまで私がどのようにしてマシンガンズに
出会ったか何となくわかったと思うがひとつ思う
ことがあると思うのだ。




『じゃあなんでライブに行かなかったの?
いくら幼稚園生でも母親に頼んだりしたら会おうと思えば会えたでしょ』




と...勿論当然思ったし何なら一緒に見ていた母親に
なんとなく『マシンガンズに会いたい』って
幼いながら気を使ってそれとなく言ってみたが見事に母親にはガン無視された
(このことに関しては未だに覚えているし許す気は一生ない)





さらに気軽に行ってみたらと言えるのはは東京に
住んでいるから思えることでもあり、大人だから
こそ思うことが出来る発想だ。
当時テレビで見ていた時の年齢は推定5歳から8歳の年齢で会いに行くにはあまりにも幼すぎる事も
あり、私の両親はかなりの具合の過保護だったと
いう要因もあり逢いに行くことが結局その当時は
叶わなかった。



それから成長していき、「レッドカーペット」や「エンタの神様」が終わりテレビで「マシンガンズ」を見ることが出来なくなって私にスマホを初めて手にした中学一年生の時には正直もう忘れてしまっていた。




そこから上記の通り様々なオタクを通じて今、お笑いオタクになったが、初めからマシンガンズのことが好きだったかと言われると嘘になる




高校3年生、それは私にとって重要で勝負の年…
だったが新型コロナウイルスの影響で自粛で家で
授業を受けることになった。私の住んでいた県でもしっかり自粛していた時の楽しみはやはりお笑い
だった、その中で私は「有吉の壁」という番組に
家族(妹と父親を覗いて)どっぷりハマった。
ここでもう分かるかもしれないが私がお笑いに
ハマった1つのきっかけは母親の影響が強いと言っても過言では無い。







でも「有吉の壁」という存在自体私は知っていたのだ




私は関ジャニ∞(現在はSUPER EIGHT)の村上信五が好きで、出演していた「月曜から夜ふかし」を
録画していたがスペシャル番組として何回か見た事があったがそこまでハマることは無かったが
レギュラー放送をきっかけに沼ってしまった……







それから毎週コロナで何も出来ず青春も楽しみも何もかもが全て奪われる事がわかった私にとっては
救いで楽しみで本当に水曜日は壁があるから早く
お風呂も済ませてご飯を食べながら見ていた。
そんな時、私は1人の芸人に心を奪われたと言ってもいいほど目が奪われた。それが私が生活の一部で
あったお笑いを推す要因になり現在まで推している芸人「さらば青春の光」との出会いだった





今まで固定のお笑い芸人を推すことは無かった。
ただ「マシンガンズ」は推す寸前まで行ったがSNSだったり行動できる年齢に言っていなかったのと
何よりまだ幼かったゆえに推せなかった。それから約10年たちコロナという影響も受けYouTubeで
調べ、頻繁に見るようになった。それが2020年の年だったのだ。





通常なら死ぬほど辛いはずの受験も私は推薦で行けるため楽ちん!と思っていたがめちゃくちゃ辛く
今でも「いつがいちばん辛いですか?」「挫折したことはありますか?」などと聞き返されたら迷わず答えられるがそんな時も私はさらばのお陰で乗り越えることが出来たし、上京することになった際は
これで会いに行けるなんて考えていた。実際に上京して3日目に1人で五反田の聖地巡礼をしてもしかしたらさらばに会えるかも!なんて甘い考えは消えた。やっぱり会おうと思っていくと会うことが
できないという神様は見ているんだなと心の底から思った。




それから2年たった




親元を離れてようやく東京での生活にも慣れてきた私は大学3年生になって進路に関して明確に考える
ようになってきて、テレビ業界で働きたいという想いが強くなってインターンを全てテレビ局に申し込み、当然のごとく落ちた。テレビ局に就職すれば大好きな芸人をキャスティングした番組を作りたいと考えていたがだんだん夢から覚めるようになった、もう諦めて他の職種を考えている時に私はとある番組を見た。それが【The SECOND】だった…







正直なことを言うとこの番組に良い印象を持っていたかと言うとそこまでだった。なんならこの時にはお笑い番組やお笑いに対して興味が段々と薄れていたからだ。理由としては特にないが答えだ。現在一人暮らしをしているが、家にはテレビが無くTVerでしか見ることが出来なく気軽ゆえ後で後でと先延ばしにし続けて結局見ることが出来なかったことが増え、さらに大学で勉強しその後バイトをすればもう見る気力すらわかなかったからだ。でも金属バットが出るなら見てみようかなと思いテレビを持っている友達の家に無理やり泊まりこんで見ていた時に紹介映像が流れた時に幼い頃に眠っていた記憶が蘇っていつの間にか泣いていた。








『会えた……マシンガンズに』








そう見ていた友達曰くテレビを凝視したまま瞬きもせず涙を流しがら言っていたらしいが私には記憶がなかった






SECONDを見終わったあとに私はマシンガンズの虜になっていた




それからすぐにマシンガンズの公演だったり会いに行った!!という訳ではなかった




私はその時大学3年生の夏で就活のためのインターン関してもテレビ局以外を受けたらそこそこ良い企業のインターンに行けることになり行ったりバイトに明け暮れ、さらには、教育実習のための準備期間だったり逢いに行く暇がないほどだった。会いに行こうと思った時に限って会えなくて、今月は忙しいし会えないなーと思った時に限って良いイベントが
多く行われている。東洋館に関しても1番初めの舞台を絶対に見に行こうと思っていたのに授業があって見に行くことが出来なかった。





マシンガンズ、もとい滝沢さんに初めて会ったのは阿佐ヶ谷のキッチンカーのフードロスイベントだった。この日は本来バイトが入っていて休もうかと思っていたのだがちょうど無くなり行けることになったけど実際のところ私は迷っていた。





その日はちょうど友達と新宿の酉の市に行こうかと話していたのと授業が5限まであっていつもの私ならサボって1番最初の人間になりたかったが休みすぎていたから心配になって出席したが授業に手がつかなかったほど迷っていたし友達も何人か誘ったが余り私のヲタ活に理解がある友人がいなかったことから
1人で緊張しながら電車で阿佐ヶ谷まで向かって地図アプリを開きながら歩いているといつもなら静かなはずの何の変哲もない空き地に人だかりができていた。少し小走りになりながらパソコンが入っている重いカバンをしょいながら行くとそこには幼い頃に朧げながらもかっこいいと思っていた金髪のお兄さんもとい青い清掃服を着てたくさんのファンの人と話している滝沢さんの姿があった。





私は思わず涙が溢れそうになったが拭って人が多く並んでいる行列に並んだ。その間も前にいる滝沢さんを見ていると丁寧に一人一人ファンの方々とお話をしている姿を見て心臓が今まで感じたことがないぐらいにバクバクと鼓動が鳴ってその日は少し肌寒いなと思っていたのに近づいていく度にどんどん暑くなって少しでも気を抜いたら鼻血が出るんじゃないかと思うほどだった(実際にはもちろん鼻血は出なかったが本当に出る寸前ではあった)




ゆっくり待っていると段々と近づいてきて声も聞こえてきた。私はアイドルが好きだったが握手会というものにも1回も言ったことがなかったから全てにおいて初めてだったし芸人を好きになった上でも初めてだった(森田さんとお会いしたことがあるがほとんど単独でしかあったことがなくとある番組のイベントで東ブクロさんと写真を撮ったとことがあるが本当に一瞬で写真撮ってバイバイで森田さんとは写真もお話もしたことがなかった)

バラバラ大作戦内の番組【満パンスター】のイベントで
東ブクロさんと撮った貴重なツーショ
(ちなみにあまりにも人が多すぎて本当に苦しかった)





遂に私の番になった時に滝沢さんは私の目線に合わせて屈んで目が合った瞬間本当に目の前が真っ白になってしまって待っている間に色々話す事とか決めていたのにも関わらず私は本当に滝沢さんを目の前にして鯉のように口をパクパクさせているだけだった。そんな私が緊張して声が裏返りながらも言ったのが




『あの……すごくかっこいいですね…』
滝「やったぁ、ありがとう!」




私はこの一言で(この後も色々話していたけど省略)その日のことを一生忘れることが出来ないし今でもあの日のことは会いたすぎて見た夢または幻覚なんじゃないかって考える時もあるけどその時私はその時に撮っていた動画を見て『あぁ現実だし滝沢さんはちゃんと生きているんだな』って思うそれ
以来私は沼にはまってしまったしその様子を見に来ていた新聞の記者さんに取材されて乗ってしまっているからだ(私がおでんを食べている姿をまさか撮られて乗るとも思わなかったし、しかもバリバリ本名で載っているけど友だちに見せたら思いのほか評判が良かったからいいけど本当にフォロワーさんから聴いたときに冷や汗が止まらなくなったけど滝沢さんと同じ媒体に間接的に乗っかったのは嬉しかった)

初めて会って写真を撮らせて頂きました
とても優しくてかっこよすぎて気絶しそうでした

この記事に詳しくキッチンカーのことについて
載っています






残念ながらその日が2023年のヲタ活最後の日だったけど2024年からは行ける現場には行っておこう精神で行けるところには行った






そのおかげで私の手元に残るお金は淋しくなったがマシンガンズのために金を稼ぐという明確な目標ができたし後悔はしないようにしている。
だって会わずに後悔するよりは楽しんで
『あ~あの時お金使っちゃったなぁ(笑)
幸せだったからいっか!』と思いたいから





現在これを書いているのは春休みで地元に帰っているのだが絶賛急いで東京に帰りたいと思ってしまっているからだ




先ほども言ったが帰った時に限って魅力的なイベントが多すぎて困る!



でもそう思うことができるのは凄く幸せだと思うしまだまだ魅力があふれ出てしょうがないマシンガンズを布教しないと!先日妹が滝沢さんに会いたいと言って『じゃあ東洋館行こうよ!』と言ったら漫才を見るのは良いから出待ちで滝沢さんにだけ会いたいと言って久しぶりに姉妹で大喧嘩になりかけた。(ちなみに妹は滝沢さんが好きで時にananに載っていた滝沢さんが好きだと言っていた)




幼かった私に一言言えるならば何を言おうか迷った時に私は
『いつか絶対会えるから......これからの人生きっとMaxめんどくせぇこともあるかもしれないし女って凄くめんどくさいって思うかもしれないけど大丈夫だから』っていうかもしれない





だって実際にそうだったから......なんて考えながら
次はいつ会いに行こうかなってカレンダーとお財布に相談しているけど二つともバカになっているからきっとこう言うと思う





考えるなんて【MAXめんどくせぇ!】って


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