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「行い」よりも「人柄」をほめると、よく育つ。

しゅんしゅしゅんです。

アダム・グラントさんの「ORIGINALS」を読了。

こちらこちらこちらのnoteで思ったことを書いたのですが、それ以外のふむふむ箇所を備忘録的にまとめておくよ。第一弾です。

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■非常に似通っている者同士のわずかな違いこそが、互いのあいだに違和感や敵意といった感情を生み出す原因になっている

例えば、ビーガンの人は一般の人よりもベジタリアンに対して偏見をもっているだとか、もっとも保守的な政党の党員は、革新的な政党よりも、いちばん自分たちに似通っている政党に対して非難を示すなどの例があげられている。

これほんとそうだよな。敵か味方か両価的な人が一番ストレスフル。思わぬ時に感情が揺り動かされるからしんどい。敵だったら最初から身構えているから大丈夫。分かってたら準備ができるんですが。

孫正義には嫉妬しないけど、会社の同僚で出世している人には嫉妬するのも似たようなもんかね。

■結果の論理と妥当性の論理

何かを決断するときには、結果の理論の人は「どう行動すれば最高の結果が得られるだろうか」と考える。妥当性の理論の人は「私のような人は、こういう状況でどうするべきか」と考える。結果の理論だとリスクばかり考えてしまい中々動けないが、妥当性の理論であれば、どういう人間になりたいかが基準となるので自由になれる。

これまたキャッチーな言い回し。どんな人間でありたい自分はどうすべきかで動く。結果を恐れずにFollow your heart。嫌われる勇気だ。

ちなみに第一子は結果の理論、あと生まれの子は妥当性の理論になりがちなんだと。

■しつけの際には子どもをルールに従わせることに重点を置くのではなく、「自分の行動がまわりの人におよばす影響」を考えるように促す。

あくまでも子どもの中にルールを醸成するのではなく、価値観の醸成をお手伝いし、子ども自身に自分ルールを作ってもらうということなのかな。他者への貢献や他社への想像を教える。例えば、学校では静かにするという道徳規範ではなく、人類すべて尊敬しなさいという道徳的価値をおしえる。具体ではなく本質となる抽象を教えるなのかな。

でも安易に具体なルールブックをおしつけちゃう。楽だもん。でもそれって子供を下に見ているし、信頼していない証拠だよね。

■「行い」よりも「人柄」をほめる

人柄を褒められると、それを自分のアイデンティティの一部として取り込むのだ。自分は単に道徳的な行動をとったのだと捉えるのではなく、自分は本来、道徳心の高い人間なのだという、より統合的な自己概念が形成されるのだ、と。「マインドセット」という本では、才能ではなく成長をほめろとあった。合わせると人柄が成長したことを褒めれば完璧なのかね。

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仕事に対する「最上の構え」がここにある!と帯に書いておりますが、まさにです。気になったら読んでみて。

では。

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