見出し画像

「わかもの、よそもの、ばかもの」が持っている強さ

しゅんしゅしゅんです。

「訓練された無能力」という言葉がある。

スーザン・デイビッドさんの著書「ハーバード流 こころのマネジメント」では「感情の敏捷性」という概念が提言されている。これは自分のあらゆる感情に気づいてそれを受け入れること。厄介な感情からも学習することを意味する。

あらかじめ人間にプログラムされた認知と感情のプロセスから脱することでもある。現状をはっきりと読み取ってその瞬間を生き、最も効果的に反応し、自分が根底にもっている価値観に即した行動をとる。

まあ、このようなことなのですが「あらかじめ人間にプログラムされた認知と感情のプロセス」というのは「ヒューリスティクス」のこと。表現が難しいですが、いわゆる「経験則」や「直感」のことです。

ダニエル・カーネマンさんの著書「ファスト&スロー」に詳しいですが、思考には二つのタイプがある。

「システム1」の思考は、素早く、反射的で努力を要せず、連想が働きやすく、暗黙のうちに行われる。このタイプの思考は感情の影響を受けやすく、習慣的であるため、いとも簡単に人間を罠にはめてしまう。

これに対して「システム2」の思考は、ゆっくりとしていて慎重。より多くの努力と、深い注意力を伴う。また自分が意識的につくったルールに対して柔軟に対処し、修正する能力も伴う。

これまた表現が難しいですが、すごくシンプルにいうと、右脳と左脳みたいもんですね。直感的な右脳と論理的な左脳。

直感はとても大切。時短になるし、経験則から導かれた反射的な判断は往々にして正しい。元をただせば生きるか死ぬかの狩猟時代においてサバイバルしていくために人間が開発すべき必要な能力だったってことですね。

しかし現代社会の問題は深刻ではあるけど、狩猟時代のような切迫した命の危険にさらされるものではない。そして現代社会は、時間、情報、あらゆる刺激に追い立てられる毎日。将来に対する不安、ままならない人間関係、悩みの種も尽きない。だから反射だけではやっていけない。

さらに直感は短絡的側面もあるので、過ちをおかしてしまうこともしばしば。直感的×短絡的な判断で失敗したことは誰にでもありますよね?凝り固まった経験による断定や決めつけを生んでしまいます。

冒頭の「訓練された無能力」とはこのことです。

人は経験を重ねると自信過剰になり、背後にある状況や関係性に注意を払わなくなる。ある分野に詳しくなればなるほど、目の前の具体的な事案を分析するのではなく、蓄えた記憶から既成の解決策を取り出そうとする。

専門家は即時に解決策を提示できるが、それは既成の解決策であり、イノベーションは起きない。専門家は情報がありすぎるからこそ、「これはこうだから」「それは無理だから」「すでに考えつくされたことだから」ってなっちゃうんですね。

この訓練された無能力や、反射ってのはやっかいだが、それを克服しなければいけないよねってのが「ハーバード流 こころのマネジメント」なんです。

これって確かにやっかいで、
やっかいだからこそ克服すると強いんだろうなと素直に思う。

昔、聞いた言葉が蘇ってきた。

どっかの著名な経営者がこういっていたのです。

「僕達はセミプロであり続けたい」と。素人だとさすがに戦えない。でもプロになってしまうと凝り固まってしまう。だからセミプロであり続けたいということ。訓練された無能力を回避したいということですね。

別の著名な経営者がこうもいってました。

「物事を変革するのはいつだって、若者か、よそ者か、バカ者だ」と。これらの者は固定概念に捕らわれず柔軟性があるからこそ変革を起こせる。そういったポジションの時は無能だから控え目になるのではなく、そのポジションだから担うべきことがあるのでむしろ積極的になれということですね。

反射は人間の本能。逆らうことはできない。だからこそ少しでも、ほんの少しでもマネジメントできたら大きく飛躍できるんだろうな。

では。

最後まで読んでくださりありがとうございます!面白かったらスキ!超おもしろければサポートいただけると嬉しいです!これからもがんばります。