初めてnoteを書いて、7年間止まっていた人生が動き始めた話。【入社エントリ】
平成が終わる2019年4月30日に株式会社電通ライブを退社し、令和が始まる2019年5月1日に株式会社Reviveに入社しました。
このnoteは、いわゆる所信表明です。
電通グループから創業間もないスタートアップへ転職する人もそう多くないので、その経緯含めて書いていきます!
これまでのこと
幼稚園で始めたサッカーは、常に僕の人生の中心でした。
小学生の時は毎日放課後グラウンドでボールを蹴り、中学生の頃は学校が終わると電車で片道1.5時間かけてレイソル青梅の練習に通った。高校時代は部活三昧。高3の夏までひたすらボールを追いかけた。
大学受験では、センター試験とサッカーの実技が5:5の割合で評価されるちょっと変わった入試を突破し、東京学芸大学に入学。「勉強ができてサッカーが強い大学」といえば近所では学芸大一択だったこともあり、中3の進路面談では「学芸大のサッカー部でプレーしたい」と宣言していました。
そして2011年4月、晴れて学芸大に入学し、サッカー部の練習試合を見学。
衝撃でした。
選抜歴も目立った成績もない僕にとって、世代別代表やユース出身選手のプレーは完全に異次元。
正直、怯んだ。
「このレベルで自分はやっていけるのだろうか、試合に出られるのだろうか」。
そんな折、古傷の右足首が痛むので病院に行くと「靭帯が伸びきっているから、太腿の靭帯を移植してしっかりリハビリしなきゃ現役続行できないよ。」と宣告を受けた。
そして、2011年の4月にサッカーを引退。
そのレベルの高さに入部するかどうかを悩んでいたこともあり、正直少しホッとしている自分がいました。クソダサいです。
あの時サッカー続けていれば、、、
プロになれたかどうか、というよりも「やれるところまでやれなかった自分」「レベルの高さに怯んでいた自分」が情けなくて、しばらくボールは蹴れませんでした。
ちょうどその頃、サッカー部と大学サッカー全体の運営や企画に携わる学連スタッフの募集を目にし「将来はスポーツに関わる仕事をしたい」と学連スタッフに。
裏方として走り回った大学4年間の学連生活は若干地味wでしたが、やって良かったと今では心から思います。めちゃくちゃ財産です。(死にたくなるミスも山程しました。先輩を乗せた雨の首都高で居眠り運転して事故ったり。笑えない。)
そうして、運営側からサッカーに携わるようになりました。
サッカーを引退して
「灯が消えた」ような感覚でした。
大学生活は毎日それなりに楽しく忙しく過ごしていたけれど、情熱を注ぎ続けてきたサッカーを失い、何か特別やりたいことがある訳でもなく、常に空虚感を感じる日々。
"何か"を見つけようと、自分なりに色々やってはいました。学連をやったり、キャリア塾に通ったり、大学サッカー日本代表チームの主務を経験したり、大学サッカー全国大会決勝のPR統括をやったり、教職免許を取ったり、行政書士の勉強をしたり。
就活では「東京五輪に関わる過程でスポーツビジネスのどの側面に自分が関わりたいのかを探したい」と考えて2015年4月に電通ライブに入社。それからは、広告イベントの企画・制作を中心に仕事漬けの日々を過ごしていました。
現役アスリートより早く経験したこと
それはセカンドキャリア問題に直面し、突破した経験です。
サッカーを辞めて人生の灯が消えてから、自分の「ニーズ / 才能 / 情熱 / 良心」が重なる「独自の貢献=ビジョン」を見つけるまで7年かかりました。
僕の今のビジョンは「アスリートの価値を社会に還元すること」。その為に、アスリートの価値を顕在化し、広く正しく伝えるエコシステムを創っていきます。上記の①②③④について書き始めると長いので割愛しますが、この4つが重なるところに自分のビジョンがあります。
「セカンドキャリアって、お前プロスポーツ選手ちゃうやん!」と突っ込まれそうですが、構造は全く同じだと思っていて、だからこそ変えていきたいテーマでもあります。
吉田一彦、ドイツで引退
2018年6月12日、何となくTwitterを眺めていると一つの投稿が目に留まりました。僕の学芸大サッカー部の後輩で、弟のFC東京U-18の先輩でもある吉田一彦が引退を表明する内容でした。
一彦は大学卒業後、ヴァンラーレ八戸でプレーし、その後ドイツリーグへ挑戦しています。お時間ある方は読んでいただければと思いますが、ブログを書いた当時の彼は病み気味です(笑)
ブログを読んだ後、一彦と電話をしました。
・ドイツでのこと
・サッカーを辞める理由
・家族のこと
・これから先の生活と仕事
・情熱の矛先
自分の原体験もあり、元々アスリートのセカンドキャリアには課題意識を持っていたのですが、一彦の話を聞いた途端「アスリートのセカンドキャリア」がジブンゴト化しました。今振り返れば、長らく止まっていた人生に、7年ぶりに種火が点いた瞬間でした。
「アスリートのセカンドキャリアは度々話題になるけど、なぜ明確な解決策を誰も提示できないんだろう」「既存のアスリート支援は充分に機能しているだろうのか」「お金にならないから誰もやらないのか」「そもそもセカンドキャリアの問題って何が核心なんだろう」
年上や同世代でもなく、プロ2年目の可愛がっていた後輩が一番最初に引退するという衝撃。
彼が抱えていた生の悩みや葛藤に触れ、"誰もやらないなら、自分がやろう。"と、「アスリートのセカンドキャリア」に対してアクションしていくことに決めました。
ちなみに、一彦は民間企業で働いた後、今は養護学校教員としてやりがい持って頑張っています。ある意味、僕にとって恩人です。早く会おうよ。
2018年7月9日、初めてnoteを書く。
"アスリートのセカンドキャリアに対してアクションしよう"と決めてからまず、自分なりにセカンドキャリアの課題とその解決方法をまとめてみることにしました。
その理由は、どれだけ探しても体系的にまとめられた資料や論文、文献等が見つからなかったからです。
その時にまとめた資料がこちらです。
(全文公開!)
見返すとツッコミどころは多々あるのですが、ベースの考え方は変わっていなくて安心します。笑
しかし、セカンドキャリアに対する課題と解決策を一旦まとめてみた所で当時の僕にはそのメソッドが正しいのか、本当に役に立つのか、アスリートの為になるのかを検証する方法がありませんでした。
副業は完全NGではないものの、若手社員の副業を歓迎する雰囲気は皆無です。何より僕自身にこのメソッドを事業にできるようなリソースもスキルもありませんでした。
副業解禁については、制度よりも空気を変えないと厳しいと感じます。 特に大手は。
・このメソッドを検証したい
・多くのアスリートに活用してもらえるプログラムを作りたい
そう思っても為す術がない状況に居てもたっても居られなくなり、まずはSNSでセカンドキャリアに関する情報発信を始めました。
アスリートに届くかもしれない、何かフィードバックが得られるかもしれない、そんな想いで2018年7月9日に初めてnoteを書きました。
今思えば、このnoteが小さくて大きい1歩でした。
実名アカウントで発信をしている社員はクリエイターを中心に何名かいますが、実名を出してTwitter上で情報発信をしている方は電通グループを見渡してもわずか。
当然、電通ライブには1人もいません。
社内外の関係者に白い目で見られるんじゃないかという不安はありつつ「どうにでもなれ!」と勢いだけでnoteとTwitterの運用を始めました。
noteを書いてみて
本当に沢山の出会いがありました。
実際にトップアスリートとお会いして2時間以上お話させていただいたり
セミナーやイベントで登壇させていただいたり
そうこうしてPDCAを回し続けている内に、段々と手応えが生まれ始めました。
「アスリートが高めるべき3つのVALUE」はクライアントの担当者から「五勝出さんてブログやってますか?スポーツ事業部の全員メールで記事が送られてきたのですが」と言われて、嬉しい反面少し怖くなりました。笑
一方で、2018年の11-12月頃には電通ライブの仕事と社外活動のバランスを取ることが難しくなり始めていました。
完全にキャパオーバーでした。
「セカンドキャリアについてもっと活動を広げたい」と思う反面、プロである以上は現業の仕事に妥協は出来ません。
電通ライブの仕事はイベントのプロデューサーとして、複数案件の企画〜制作〜実施全てのフェーズに関わる為、稼働時間はどうしても多くなりがち。現業と社外活動のどちらも中途半端だった昨年末は心身ともに結構しんどかったです。
ケニアで起業おじさんの言葉
年明け、世界を舞台に活躍している学芸大サッカー部の先輩の河野クニさんと丸の内でお会いしました。クニさんはAMEOBAXのCEOで、ケニアで農業ビジネスをしている方です。
会話の中でふと、
「俺もう29歳だよ、マジ時間ない。やばい。」
と仰っていたのが刺さりまくって
クニさん程やり切ってても時間ないんか。。
俺は何やってんだろ。。
よし、仕事辞めよう。
とスイッチが入り、正月休み明けに会社へ退職意向を伝えました。
2020年の東京五輪のど真ん中に関わることを目標に入社したにも関わらず、それを達成せずに退職するべきかどうかは相当悩んだ部分でした。
4年目社員にもなれば1人で大きな案件も抱えていたし、東京五輪の主要案件にアサインされることも決まっていたので、上層部に納得してもらえるまでには時間がかかりました。
電通ライブから創業間もないスタートアップへ転職するケースはほとんどなく、親心的な部分もあったと思います。最終的には送り出してくださり、会社には本当に感謝しています。
そうして、4月末に電通ライブを退職しました。
クニ師匠、改めてありがとうございました!
確かに20代には見えません!
これからのこと
2019年5月からは株式会社ReviveでPR Managerと、準備中の事業の責任者として動いています。
Reviveは「アスリートの価値を最大化」し、「1人でも多くの人生を豊かにするキッカケを創る」クリエイティブカンパニーを目指しています。
今年1月にトップアスリートとテレビ電話ができるサービス「vibes.」のβ版をローンチしました。※リニューアルに伴い、現在サービス休止中。
創業間もないスタートアップなので、やることは山程あります。元ボランチらしく、セカンドボール拾ってパスを配給して、チームを前に進められるよう走り回ります。
Reviveに入社した理由は次の3つです。
①ビジョン
「スポーツで世界を変える」「アスリートの価値を最大化する」という会社のビジョンと、僕個人のビジョンが一致したから。Reviveの事業内容=僕個人がチャレンジしたいことなので、やればやる程、自分のビジョンに近づいていく実感があります。
心身共にバランスしなければいけなかった前職時代と比べて、アクセル全開でPDCA回せる今の環境はまさに求めていたもの。また、ビジョンに繋がる活動であれば社外での活動も認めてもらっています。Reviveにフルコミットしつつ、社内外で活動を広げていきます。
②社長
Reviveの社長である前田眞郷とは学連の先輩経由で知り合いました。現役のアメフト選手であり起業家でもある眞郷さんと何度かお会いする内に「あぁ、Reviveで働けたら刺激的だろうな」と考えるようになりました。僕が持っていないものを山程持っているし、動物的に強い人です。簡単には死なないですきっと。笑
③サービス
Reviveが展開していく事業は全て「アスリートの価値を最大化」することを目的としています。
眞郷さんは事業について「義理合一」という言葉をよく使いますが、アスリートファーストを大前提に、サービスの開発を進めています。
現在Reviveは「vibes.」の大幅アップデートと同時に2つの事業リリース準備を進めており、「アスリートの価値を最大化するクリエイティブカンパニー」として存在感を示していきます。
サービスの内容や今後の見通しについては、改めて書きたいと思います。
5月末からは各種リリースラッシュが続くので、楽しみにしていてください!これから拡大フェーズに入り、採用も強化していきます。Reviveや「vibes.」に興味がある方は遠慮なく五勝出までご連絡ください:)
ちなみにオフィスは鎌倉・材木座にあり、このnoteのサムネイル画像はオフィスの屋上から撮影した夕日。鎌倉方面来られる際は、気軽にお立ち寄りくださいー!めちゃ気持ち良いです。
僕は変わらず、都内に住んでます!
拝啓、ピースオブケイク様
記事のタイトルにもあるように、初めてnoteを書いた2018年7月9日から、少しずつ、でも確実に人生が動き出しました。
そのきっかけを作ってくださったピースオブケイクさんには感謝感謝です。先日オフィスにお伺いできて嬉しかったです。
みずのさん、ありがとうございました!
今後、Reviveの広報プラットフォームとしてもnote活用させていただきます!
noteに負けじと、一歩目を踏み出せる人を世の中に増やしていくサービスをReviveも創っていきます。
最後に
長くなってしまいました...!
小さくても一歩目を踏み出すと、その一歩目を応援してくれる人が現れて、自然と二歩目、三歩目に繋がっていきました。そして10ヶ月後には転職。
東京五輪を待たずに電通ライブを退職したこと、創業間もないスタートアップであるReviveに入社したこと、最終的に何が正解だったかは分からないけど、選択自体に正解も不正解もないと思っていて、その選択をいつか正解に出来るように自分にベクトル向けてやり続けていきます。
誤解なきよう、電通ライブはめちゃくちゃ良い会社です。就活生に「オススメの会社は?」と聞かれたら真っ先に名前を挙げます。そのDNAはこれからも持ち続けていきたい。一生電通クオリティ。
相当に色濃い4年間だったので、ロクに貢献もせず退職することに正直心残りはあります。が、今後の自分の行動で少しずつ返していきます。いつかまた一緒に仕事できるよう頑張ります。
ということで以上、入社エントリでした!
これからも継続的に気付きや日々の活動についてはnoteに書いていきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました!今後ともよろしくお願いいたします!
-fin-
Revive Inc. PR Manager ← 電通ライブ / 電通テック ← 東京学芸大学 蹴球部&全日本大学サッカー選抜 主務|サッカー選手育成アカデミー神村学園淡路島キャリアアドバイザー|アスリートの価値を世の中に還元する|COYG|日本に40人の苗字、ゴカツデです。
いつも読んでいただきありがとうござます:)