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ヒプノシスマイクは『オフノシスマイク』でラップを『捨てた』のか?

副題:メジャーデビューしていくボカロPはボカロを『捨てた』のか?


はじめに


 皆様、こんばんは。

 はじめましての方ははじめまして。どこかで私の文章を読んでくださった方は、お久しぶりです。
 たま〜〜〜〜にインターネットに文章を放出しております、ゴケと申します。
 普段私のアカウントを見てない方にプロフィールを少し説明します。ヒプノシスマイクに関しては歴5年強、キャラでは入間銃兎さん最推し、ディビジョンではブクロ箱推しの女です。ボカロに関しては歴10年以上の女です。
 ボカロとヒプノシスマイク(通称ヒプマイ)に絡めたnoteは以前一回書いています。

 さて、ヒプノシスマイクの声優10thライブ『LIVE ANIMA』、今週末に迫りましたね。
 今回のライブではアニメ『ヒプノシスマイク-Division Rap Battle-』Rhyme Anima +の楽曲、また前年夏に発売されましたEP収録曲も初披露されるそうです。ゲストも発表されてないことも含めて、今回は何が起こるかわからない予測不能のライブになりそうですね。

 初披露される曲が収録されているこのEPですが、ヒプノシスマイクがHIPHOPという音楽ジャンルの枠を超え、ラップ以外の音楽表現にも挑戦する、意欲的な作りになっております。

 何故ラップ以外なのか。これはストーリー上で、(ある出来事により)作中でヒプノシスマイク(作中でラップをする時に使われるマイクのこと)が使えなくなって……から始まり、ラップ以外の音楽も含めてフェスをしよう、という内容になっているからです。
 この内容からヒプノシスマイクがoffになる(公式でもOFF HYPNOSIS MICROPHONEと表記されている)→オフノシスマイク、という造語が生まれました。今回はこのオフノシスマイクという単語を使っています。公式名称ではないですが、そこそこ周知されている造語であると思うので。

 しかし、この「ラップ以外」という要素、今までラップに拘ってきてHIPHOPの布教を行ってきたヒプノシスマイクにとっては今までの積み重ねをひっくり返すような物となりました。
 それ故、ヒプノシスマイクはラップ(HIPHOP)を捨てたのか、そう言う声も上がりました。

 この時、私は何かしらの既視感を覚えながらも、その感覚がわからず、モヤモヤした思いを抱き続けていました。そして、EPを聞き終わって、一つの結論に達しました。

あれ、ヒプノシスマイクがラップを『捨てた』って言われたのって、人間歌唱でメジャーデビューしたボカロPがボカロを『捨てた』って言われてたのと、似てるのでは?

 『ボカロを捨てた』の意味がわからないボカロ界隈外の人に軽く説明します。ボカロPがボカロ歌唱ではなく、本人の声で歌い出す、他の人間(性別問わず)とユニットやグループを組む、などのアクションを起こすことで人間歌唱に活動を専念することがままあります。そのような活動拠点の移動を行ったボカロPに対して一部の人が『ボカロを捨てた』と形容することがあるのです。(先に言っておきますと、この様なことを言う人は以前より少なくなったと思います。後の話にも言及します) 
 ボカロを捨てたと言われる、本人歌唱としてデビューしたボカロP、そしてラップを捨てたと言われたヒプノシスマイク、もしかしたらこの二つに何か共通点があるのではないか?
 
そのため、同じ様な『捨てた』という言葉が使われたのか?
 果たして、それは何なのか、重なるものがあるのではないか。そう思い、このnoteを書きました。

 このnoteは演者や制作陣、アーティストの意図(の一端)が記録されている媒体という点でインタビュー記事を採用しました。
 ボカロPのインタビュー記事とヒプノシスマイクのEPのインタビュー記事を通して、ヒプノシスマイクが行ったことは何か?ヒプノシスマイクは何をしたいのか?という話をしていこうと思います。ヒプノシスマイクがわからない人でも読めるような文章を目指していますが、わからなかったらボカロPの話だけでも掻い摘んで読んでみてください。

 ということで、このnoteはれっきとしたボカロ史の再録でもなく、音楽知識が乏しい一人のオタクによる怪文書の類だと認識してください。

 まず、本筋に入る前に注意書きとして主張していきたいことが一つあります。それは、ボカロ界隈かつヒプマイの兼任オタクが私と同じ考えを持っているわけではないことです。
 ボカロ界隈は多くの人がいて、それぞれの人がそれぞれその人の思考を持っています。もし、この文章を読んだ方が「これだからボカロのオタクは……」等のマイナスな感想を抱いたとしても、それは私個人の思考であり、全て私一人のみの責任です。
 くれぐれも主語を大きくするような真似や思考だけはお控えいただく様、お願いいたします。
 
 もう一つ注意点があります。クリエイター、パフォーマーの名前、グループ、ユニット名、などは全部敬称略といたします。(一律さん付けだとP等の敬称がついた人の区別が面倒になるため)
 このため人名が全員呼び捨てになっており、粗雑かつクリエイターへのリスペクトが無いように見えるかもしれませんが、その様な意図はないことだけはご承知ください。

 話を戻します。このEPの「音楽性」やどの様なアーティストが起用されているか、どの様な曲かの解説はちゃんと公式(?)から出されている記事で確認することが出来ます。

 こちらはキングレコード(ヒプノシスマイクの運営元)の公式インタビュー記事です。
 アニメイトからのインタビュー記事はこちらです。

オフノシスマイクを行った理由とは?


 それでは本題に入ります。まず、ボカロPが本人(もしくは他の人間と組んだユニットやグループでの)歌唱を始める事と、ヒプノシスマイクがラップ以外の音楽表現を行った理由として、共通するのではないかと思われる3つの要素はこちらです。
1,xxだけでは出来ない表現への挑戦
2,ファン層の拡大
3,xxxの拡大性
 これら3つの要素をボカロPのインタビュー→ヒプノシスマイクのインタビューの流れで述べていきます。

1,xxだけでは出来ない表現への挑戦


 まず、ボカロ歌唱ではなく人間歌唱を行う理由の一つ、それはボカロでは出来ない表現で歌を届けるためだと思います。

 例えばこちらのインタビューはボカロPであるn-bunaをコンポーザーとするバンド、ヨルシカのものです。このインタビューの中でn-bunaはこう話しています。

n-buna でも今は、かなり意識が変わってきました。今は、ヨルシカで生み出す「人間的な表現」に執着し始めている感じがあります。

 また、こちらのインタビューの解説文は神山羊(ボカロP名義有機酸)に対するものです。

有機酸としていくつも楽曲を投稿していくうちに、神山は「ボーカロイドを通してではなく、自分の声で音楽を表現したい」と考えるようになりました。それは、彼がインターネットという枠だけにとらわれず、日本のポップスとして多くの人に聴いてもらえる作品づくりを意識した最初の瞬間だといえるでしょう。

 こちらの記事ではインターネットの枠にとらわれない日本のポップス、という言葉が用いられています。

 次のインタビューは一ノ瀬ユウ(ボカロP名義蝶々P)のメジャーデビュー時の記事です。

ボーカロイドにはボーカロイドの良さがあって、今回は、人間が歌うからこそ伝わる部分っていうか、表現はけっこう意識していると思います

ステージでお客さんの顔を見て、ちゃんと人間の言葉で思ったことを伝えられるというか--そういうところにも音楽をやる意味があるのかなと思い始めたんですよね。自分の声で自分の歌で、ちゃんと音楽を伝えるのもいいなって思うようになっていって。

 ボカロ歌唱と人間歌唱で曲の作りが変わることもあります。昨年の紅白歌合戦にアニメ呪術廻戦の主題歌、「青のすみか」で出場したキタニタツヤ(ボカロP名義こんにちは谷田さん)はこちらのインタビューでこう語っています。


Vocaloidで作るときのメロディはなんでもいいというか、鍵盤で弾いて、いいなと思えばそのまま採用していたんです。でも、それを自分で歌おうとすると息継ぎのタイミングや間がなくて、歌心が感じられなくなってしまう。ブレスの場所、フレーズの区切り方を意識することで、歌いやすい、いいメロディになるんだなって。そのことに気付いたのは、自分で歌い始めてからですね。

 また、アニメチェンソーマンの主題歌やシンガーソングライターadoに提供した大ヒット曲「うっせぇわ」で有名になったsyudouも、こう述べています。 

ボーカロイドで曲を作るときは初音ミクを使用しているので、女性ボーカルに歌ってもらいたい曲として作るんですけれど、自分が歌う曲だと自分がどう思ってるかが軸になってくる。ただ、それもアルバムを作っていくうちにけっこう変わってきて、自分の思いだけだとポップスとしての強度が足りないなと。試行錯誤する中で、どんどん視野が広がっていってるなと思います。

 大ヒットボカロ曲「シャルル」の本人歌唱によりシンガーソングライターの道が開かれた須田景凪(ボカロP名義バルーン)もこう述べています。

ボーカロイドを用いて楽曲を作っているのですが、このボーカロイドカルチャーって、ただ楽曲を出して終了というのではなく、出した後にそれを別の人が歌ったり踊ったりして投稿する。そういう、楽曲と二次創作がセットになっている文化だと思うんです。だから自分の中ではバルーンの楽曲は、ある種、誰が歌ってもその人の作品というか、その人の解釈になる音楽、というところを意識していつも作っています。そこから自分が歌う意味とか、もう少し自分のパーソナルな部分を大事にしたいと思った時に、須田景凪という名義を新たに設けて活動するようになったんです。

 カンザキイオリも人間歌唱とボカロ歌唱で心境の違いがあったことを語っています。

アルバムを作る前は「ボカロでも自分で歌ってもそんなに変わることはないだろう」と思っていたんですが、自分で歌うと曲に込めた本心が歌に出てしまう怖さはありました。ボカロだったら、何を歌わせてもある程度折り合いがついていたんです。僕はもともと人に何か物事を伝えるのが苦手な人間で、音楽なら自分の本心を躊躇なく表現できると思ってボカロを始めたんですが、自分で歌ってみたら自分自身が丸裸になってしまうような怖さを感じてしまい……。自分の本性をさらけ出したかったはずなのに、さらけ出しすぎるのは怖い。自分の中に矛盾を感じてしまい、悩んで挫折をした時期もありました。

  ボカロPが本人もしくは別の人間を通して音楽活動を行う理由は、やはり「ボカロでは表現出来ない人間が行う表現を形にしたいため」が大きいと思います。
 
  ヒプノシスマイクの話をします。今回のEPではラップ以外の音楽ジャンルを扱うことが告知されました。この事により、ラップに拘らず、入れ込まないと言う曲作りも可能となりました。インタビュー内でこの曲作りを「挑戦」と形容した声優もいます。


駒田:今回の作品もラップをしないという新しい挑戦ですし、「試していこう」という気持ちを感じるので、僕たちは食らいついていくだけかなって思っています。

野津山  初めて『ヒプマイ』がラップにこだわらずにいろいろな楽曲でアプローチするとお聞きして。新しい挑戦ですよね。

 つまりEPの曲作りは、ラップではない表現とは何か?という問いに繋がります。このため、ラップじゃない表現だとこう、逆にラップではこうで、という表現方法の違いについて再度考えさせられる結果になったと考えられます。

 EPのインタビューでは、実際にこう語られています。


黒田 ラップの場合、前準備に本当に時間がかかるんですよ。ラップって、韻を踏むために日本語の持っているイントネーションを無視することが結構あるんです。でも、日本人としてはイントネーションを踏みたくなっちゃうじゃないですか。その癖を排除していくのに時間がかかるんです。今回はそれをやらなくていいし、メロディを覚えて歌えばいいっていうのがラップに比べて楽でしたね。

石谷 ディレクターさんやプロデューサーさんと話し合いながら歌い方を詰めていく工程はラップ曲と変わらないのですが、今回はボーカル表現として「こういう表現もできます」「ここはもう少し抑えて歌いましょうか」みたいな試行錯誤が長い時間できたんですよね。これまでとは違う形で二郎の声が表現できたことがうれしかったし、手応えを感じました。

石谷 「ヒプマイ」ではずっとラップをメインにやってきたので、ボーカル曲に真正面からぶつかるのは新鮮だったし、いい経験になりましたね。そしてまた改めて「ヒプマイ」の中心線である、キャラクターとしてのラップ曲を歌ったときに、今回得たものを生かすことができる、還元できるんだろうなと思いました。


野津山:僕も、帝統としてラップじゃない曲を歌うのは初めての試みだったので、伊東さんと同じであえてあまり作り込まずにレコーディングに臨みました。ラップと歌は勝手が違いますし、ディレクションに対して臨機応変に対応しづらくなってしまうので。

斉藤 『ヒプマイ』のなかでも幻太郎はポエトリーリーディングや朗読に近いようなアプローチをすることが多くて、それが彼なりのラップのスタイルだと思いながら、今回は逆にモノローグみたいなものを歌で表現しているんだというふうに考えたりしました。

2,ファン層の拡大


 ボカロPが人間の声で歌い始める理由、その一つはファン層の拡大だと思います。
 どうしてもボカロ歌唱だと自分の曲をボカロを好きな人しか届かない、届けられない。ライブでも演奏される曲はあるとはいえ、基本的にはインターネットの画面越しでしか伝えられないのです。
 人間歌唱であれば、大きな舞台で、ライブハウスに来る人に、客の目を見ながら自分の声で伝えられる。この違いはやはりあるのではないかと思います。(この違いは1で述べられたボカロで出来ない表現の項目と重なります)

 ボカロ歌唱ではなく人間歌唱を行うのは、ボカロのみを使用するだけでは認識されていなかったかもしれないファン層が拡大することも一つの理由だと思います。

 例えば、先程紹介したキタニタツヤ、和田たけあき(ボカロP名義くらげP)、seeeeecunの三人の対談記事で、キタニタツヤはこう話しています。

ボカロが歌ってる曲だとボカロファンしか聴いてくれないけど、僕が歌ってると中学、高校の同級生でさえも聴いてくれるんですよ。

 イナメトオル(ボカロP名義40mP)はインタビューでこう話しています。

イナメトオルの活動も「自分の歌声をみんなに聴いてほしい」というよりも「自分の曲をみんなに届ける手段として、自分の声も選択肢にあるならそれに挑戦してみたい」という気持ちで始めました。僕は死ぬまでずっと曲を作り続けていきたいっていう思いが大前提にあって、そのためには今後ボカロだけでなくいろんな可能性を広げる必要があると思うので。

 笹川真生 (ボカロP名義なぎさ)もこう語っています。

あとは、ボカロが歌うのと人が歌うのだと、聴いてくれる層が違うと思って。ボカロをやってたときのファンの人ももちろん大事なんですけど、そうじゃない人たちにも聴いてほしいと思ったことが一番大きいですね。

 また、人間歌唱をきっかけにボカロに触れる人も増やしたい、という思いもあるはずです。
 栗山夕璃(前ボカロP名義蜂屋ななし)のインタビューではこう書かれています。

YOASOBIさん、DUSTCELLさんみたいにボカロPと女性シンガーのユニットも、形だけを見ればボカロと作曲者の関係ですが、普段ボカロを聴かない方々にも音を届けてくれていると感じまして。その新しく知ってくれた方がボカロを好きになってくれたなら、こんなすごい事はないです。


 ヒプノシスマイクの話にもどり、今回のEPではラップ(HIPHOP)とは畑が違うアーティストも招集されています。
 一番異色だと言える収録曲は、お笑いコンビ、銀シャリを作詞に加え、曲の中で漫才を行う「毎度!生きたろかい!」じゃないでしょうか。

 銀シャリがお笑い芸人としてお笑いのネタを書き下ろし、それが曲中の漫才として歌詞になっています。サビは昭和の演歌の様な仕上がりになっております。

 また、男性アイドルグループKis-My-Ft2の宮田俊哉が参加していることも話題になりました。宮田俊哉を作詞に加えた「ポジティプ my life」、作詞作曲は以前からヒプノシスマイクの曲を手掛けていた月蝕會議です。

 その他、全曲紹介すると文字が多くなるのでボカロ界隈(インターネット界隈)に関わる曲のみ抜粋して紹介いたします。

 ニコニコ動画を覗いていた人ならピンとくるであろうヒャダインこと前山田健一とDJ KOO共作の「Move Your Body Till You Die!」

 歌い手を経てシンガーソングライター、そして時にはボカロPとして音楽活動も行うEveが手掛けた「夢の彼方」

 以前にもヒプノシスマイクに携わっていたTeddyloidとFAKE TYPE.のTOPHAMHAT-KYOの共作「Viva la liberty」

 ボカロPとしても活動していた春野を編曲に起用している「Closer」
 作詞作曲はバンドBase Ball Bearのボーカル、小出祐介です。(春野が起用された理由はボカロ文脈ではなくヒップホップ文脈だとは思うのですがボカロP関係なので載せます!)

 ちなみに、小出祐介は以前この様なツイート(ポスト)を残していました。

 マテリアルクラブ名義ではないですが、数年後に願いが叶うのって素敵じゃないですか。

 これらの今までヒプノシスマイクに関わっていなかった制作陣のファンのアピール、また「こういう曲もあるんだ!」という作風の幅の拡大によってファンの層の拡大を狙っていることはほぼ間違えないと思います。

 インタビュー内でこう語る声優もいます。

竹内 ドラマトラックにもあるように、落ち込んだ世界を盛り上げるために楽しい気分にさせてくれるお祭りだと思っているので、今までラップが苦手で『ヒプマイ』に触れてこなかった人にも聴いてもらいたいですね。「『ヒプマイ』ってこんなことしてるんだ!」と興味を持ってもらえる、ひとつの新しい材料になるんじゃないかなと思うので、いろんな人に聴いてもらいたいですね。


 しかし、ここで一つ忘れてはいけない重要なことはヒプノシスマイクは元々提供者をラッパーに限っていた訳では無い、ということです。
 一番わかりやすい例は、先程宮田俊哉起用で触れた伊弉冉一二三というキャラクターのソロ曲だと思います。ソロ一曲目でお笑いコンビ、オリエンタルラジオの藤森慎吾を作詞で、二曲目ではゴールデンボンバーの鬼龍院翔を作詞作曲として起用しています。

 シンジュクディビジョン麻天狼(わかんない人は三人一組のチームだと思ってください)のトレーラーになりますが、ソロ一曲目の「シャンパンゴールド」はここで視聴できます。

 こちらは藤森慎吾によるセルフカバー動画です。

 こちらはソロ二曲目の「パーティを止めないで」のトレーラーです。

 こちらの動画は作詞作曲提供者、鬼龍院翔によるセルフカバー動画です。

 さて、以上の1〜2の理由は誰でもパッと思いつくものだと思います。
 それと同時にこの2点「だけ」ではボカロ界隈を語るに古い認識ということを言う必要があります(断言してしまいますが古いと思います)。一時期騒がれてたボカロ衰退論だの踏み台論だの時代での共通的な認識じゃないでしょうか。

 ヒプノシスマイクがオフノシスマイクを行なった一番の理由は次の3点目だと思います。

3,『ヒプノシスマイク』の拡大性

 昨今のボカロPは、本人歌唱(またはボーカルを迎えて)メジャーデビューしてボカロ界隈から離れる……という訳ではなく、ボカロPでありながら活動の幅を広げているケースが多いと思います。

 ボカロを用いたボカロ曲、本人歌唱の人間の曲は確かに表現こそ違うものの、音楽ジャンルとして完全に分断しなくても良いのではないか?という話です。

 先程紹介した神山羊はこう話しています。

ボカロのカルチャーと自分が大好きな音楽をミックスした形がやりたいって思い続けています。

  また、一ノ瀬ユウもこう話しています。

僕としては、蝶々Pも一之瀬ユウも、まったく切り離しているつもりはないんですよね。一之瀬ユウとして、過去の曲とか、これからも蝶々Pとして投稿していくようなボーカロイド曲をセルフカバーでやるとか、そういうのも面白いんじゃないかなと思っていますし

 アニメ推しの子のOP「アイドル」でメガヒットを記録した、YOASOBIのコンポーザーAyaseはこう述べています。

YOASOBIでも仮歌はボカロで作ってるので、それが故にたまに生で歌うとめちゃめちゃ息継ぎがキツかったりするんですけど、でも最初の着想の部分においては、実際に歌いながら作るのとはまた別の面白さがあるなって思います。人間が歌わないからこそ自由に作れるメロディっていうのはボカロ特有のものだと思うし、そういう発想はボカロPになっていなかったら出てこなかっただろうなって。

というか正直に言うと、曲を作る段階ではYOASOBIだからこうとか、ボカロならこうっていう振り分けはまったくしていなくて。YOASOBIに関しては原作小説があるので、世界観のイメージはもともとありますけど、それを音として表現していくうえでは、ボカロの音楽を作る時から何も変えていることはないんですよ。


 また、最近ではボカロを使ったボカロPの進出も増えています。
 ボカロPがボカロ歌唱で主題歌に起用された例のひととして、DECO*27の初音ミク歌唱楽曲「キメラ」は記憶に新しいと思います。この曲は日本テレビ系土曜朝の情報番組『ズームイン!!サタデー』のテーマソングに決定されました。

 また、堤幸彦による新作映画『SINGULA(シンギュラ)』の主題歌がr-906による初音ミク楽曲であることもニュースになりました。


 VOCALOIDも出てくるソーシャルゲーム、プロジェクトセカイ等、ボカロコンテンツの作曲依頼は昔と比較して確実に増加していると言えるでしょう。ボカロPがボカロPとして仕事を得られるチャンスが音楽シーンの中で拡大しているのです。ボカロを起用してもしなくても、音楽シーンは広がっています。つまり、ボカロPはボカロPとしてボカロはボカロ、人間は人間、と活躍シーンや音楽性を分断しなくても音楽活動をやりやすくなっているのではないのでしょうか。

 ボカロカルチャーとボカロP自身の2つが合わさった地続きの音楽、これはボカロPの起用や表現の幅の増加という「拡大性」を踏まえた音楽表現だと形容できるのではないでしょうか。
 人間とボカロという線引が緩やかになったことも関係してか、ボカロと人間が一緒に歌う「VOCALOIDと歌ってみた」や、ボカロと人間が同一舞台でパフォーマンスをすることも以前より受け入れられてると感じます。
 ちなみに近年の風潮よりずっと昔(2010年)に先程名前が出てきたヒャダイン(前山田健一)はVOCALOIDと歌ってみたの動画で出しています。


 ボカロPが『ボカロP』として世の中に認識されながらボカロや人間歌唱に拘らず音楽活動を続けていく。ボカロPがボカロ歌唱やそれ以外でも地続きとなり、共通した信念の音楽を世に送り出す「拡大性」こそ今のブームなのではないでしょうか。(もちろん、人間歌唱とボカロ歌唱を分けることに音楽性を見出してる人もいるので、人それぞれ、という答えが最も適切ではありますが)

  この地続き性、米津玄師(ボカロP名義ハチ)の昔のインタビュー記事でもこう解説に書かれています。

ニコ動で育まれたアマチュアリズムや、もともと持っていた音楽センスを壊すことなく、メジャーならではの制作スタイルに馴染ませることによって、自分の進む道を見いだした米津玄師。彼の描く道筋は、今後ニコ動からメジャーを目指す多くのボカロPにとってのスタンダードとなり得るだろう。

 以前はボカロP名義と本人歌唱名義で名前を分けていることが一般でしたが、最近だと先程名前を出したsyudouやカンザキイオリ、栗山夕璃(前ボカロP名義は蜂屋ななし)、すりぃ、煮ル果実、はるまきごはんなどシンガーソングライターとボカロPの名義を分けない人も出てきているのも、この拡大性の一つでしょうか。
 実際に、彼等ボカロPのインタビュー記事を見てみましょう。

 こちらははるまきごはんのインタビュー記事です。

たとえば僕をアニメから知った人が、「はるまきごはんはアニメーターだ」と思っているならそれでいいし、ボカロPとして知った人が「ボカロPだ」と思っているのはそれでいい。あるとき、その人が知らなかったはるまきごはんの一面に接したときに、初めて立体的に認識してもらえればいいと思っています。

 こちらは煮ル果実のインタビュー記事です。

いろんな人達が、いろんな可能性を推し進めていると思っていて、たとえば、シンガーソングライターとして別の枠にも出て活動をしている方々も、それはそれでボーカロイドの多様性を推し進めていると思っています。それと同時に、僕自身は、ボーカロイド自体の可能性として、まだまだマイニングできるところがあるんじゃないかと思ってもいるので、追求していきたいと思っていて。可能性が本当にあるかどうかは時が経たないとわからないことではありますが、とにかくやり続けるというか、未知に向かって進んでいきたいな、と思います。それってすごくロマンを感じることですし、「生きているな」と実感できるようなことでもあると思うんです。

 先程引用した栗山夕璃の、同じインタビュー記事です

みなさんボカロPして活動されていて、同じ名前でソロ活動をやったり、別名義のユニットを立ち上げたりしていて。やり方はそれぞれ違うんですが、自分で曲を書いて歌うという行為は共通しているんですよね。 そこには色々な思いがあるとは思うのですが、僕自身はボカロで勉強できた音と活動や環境を変えて学べる音が確かにあったので、もっと深く音楽を楽しめると感じました。音楽の表現の幅は広がれば広がるほどいいと思っています。そのうえでテンプレにならずに学んだ事を取り込んだボカロの楽曲も作っていきたい。


 さて、ヒプノシスマイクの「拡大性」に考えます。『ヒプノシスマイク』は元々男性声優がラップをするというプロジェクトから生まれたジャンルです。しかし、それはそれ『だけ』ではない、それ『しか』やらないという意味ではありません、ということでしょうか。

 ヒプノシスマイクはヒプノシスマイクとして、何をやりたいか?多分なんでもやりたいんだと思います。全部やりたい、強欲ジャンルです。
 ヒプノシスマイクは『ヒプノシスマイク』の御旗でどこまで行けるかを挑戦しているのだと思います。
 まず、女性声優起用をしている女性キャラクター(中王区)楽曲でフィメールラップの挑戦。最近の動向だと、2.5次元舞台と原作とのクロスオーバー企画や、レーベルの先輩アイドルであるももいろクローバーZや同レーベルコンテンツ「カリスマ」とのコラボ楽曲など、これらは全てこの「拡大性」による企画であると考えられます。

 これらの企画は元々の「男性声優ラッププロジェクト」の幅や想定するファン層を越えたものです。こういう様な活動の幅の広げ方をすると一定の反発は起こりますが、個人的にはヒプノシスマイクに限らず元々のターゲットを越えた試みを行う時って、「今までの積み重ねが基盤を作れたためこの企画が出来た」「もっと足を伸ばせるようになった」の結果だと思ってます。
 この展開の拡大を行えるまで成長したということは、どのジャンルに限らずファンは誇っていいことだと思いますね。これらの展開の拡大性はファン層の幅を増やすという目論見もあるので、これは理由2と被ります。

 もちろん、展開の拡大性だけではなく、ラップ技術の向上(ラップの技巧という意味だけではなくキャラクター表現も含めた技術の意)もその一つです。歌える曲の技術が増える、難易度も高い曲も歌える、音楽の幅が広がるなど、音楽的な拡大性についても忘れてはいけません。

駒田 我々キャストは求められる表現を的確にできるかどうかが試されてるというか。……来る曲がどんどん難しくなるんですよ。
黒田 あはは! たしかにめちゃくちゃ難しくなっていく。
駒田 物理的に口が回らないだろって曲や、「これライブでやるの!? ブレスどうするんだ?」みたいな曲も多いんです(笑)。でも、それは『ヒプマイ』が常に新しいチャレンジをしているから。今回の作品もラップをしないという新しい挑戦ですし、「試していこう」という気持ちを感じるので、僕たちは食らいついていくだけかなって思っています。


 今回のEPはもしかしたら、ヒプノシスマイクの名前の元にラップをやりたい、ヒップホップの布教を拡大したい……の延長線上に、ヒプノシスマイクの名前の元にポップミュージック等の他ジャンル音楽も真剣にやってみたいし、挑戦してみたい。という気持ちがあったのかもしれません。

 そしてここで重要になるのがヒプノシスマイクは元から前述の様に、ラッパー以外の人も提供者の幅があったジャンルであったということです。
 100%提供者がラッパー(ヒップホップに精通する人間のみ)で構成されてなかったジャンルだったからこそ、今回のEPでもこれだけの豪華な音楽コンポーザーを集められたとも言えると思います。今までカッチカチのHIPHOP畑しか起用してこなかったジャンルでしたら様々な音楽性のアーティストを起用することは難しかったでしょう。元々純正(?)なHIPHOP(ラップ)ジャンルじゃなかったからこそ、今回のEPの試みが企画できたのだと思います。
 真意は定かではありませんが、とにかく「ヒプノシスマイク」の御旗の下でHIPHOP畑以外のアーティストを集められたのは、やはり音楽レーベルの力ですね。 
 この「拡大性」に通ずるのではないか、という内容のインタビューをいくつか引用します。

斉藤 『ヒプノシスマイク』というコンテンツ自体が、固定観念にとらわれない、挑戦的なマインドを持っているコンテンツだと感じていたので、驚いた気持ちもありつつ、同時にしっくりきたと言いますか。『ヒプマイ』なら何をやってもおかしくはない、そういうポジティブな驚きを覚えましたね。

木村 僕自身はびっくりしましたけど、面白い展開だなと思いましたね。しかも今回もものすごく豪華な制作陣、それもラッパーに限らない方々が楽曲提供してくださって、この5年間、ラップにこだわり続けてきたヒプマイだからこそ「ラップミュージックも音楽の1ジャンル」ということを再認識できる本作が実現したんじゃないかという印象を受けました。

木村 今回のEPを聴いて感じたのは、もはやヒプマイはラップという枠に収まりきらないコンテンツになったのかもしれない。もっと言えば「ヒプマイのラップ」が今後さらに深みを増す、その新たな起点となる作品になればいいなと思いました。

岩崎 今回、本当にすごいですよね。ラップじゃなくてもガチなんだなというのが感じられるラインナップになっている。
河西 『ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-』だけど、ラップじゃなくてもこれだけすごいものができるんだぞ、というパワーが感じられるし、カッコいいラップ以外の部分も見せつけているのが素晴らしい。

榊原 僕の想像なのですが、今回のEPって『ヒプノシスマイク』のスタッフさんたちの「ラップじゃない曲もやってみたい」という思いが溢れた結果なんじゃないかと思うんですよね。レコーディングやライブでいろんなスタッフさんに関わってみて、自分たち演者も含めてみんなこの『ヒプノシスマイク』の世界を楽しみながら作っているという感覚があって。これからも「これは絶対楽しい」とか「絶対に盛り上がる」という、皆さんの心に響くものが作られていくので、彼らと共に心を焦がして作ったものを皆さんに届けていきたいです。

 ここで、「拡大性」だったらオフノシスマイク以前にもヒプノシスマイクは行い続けていたのでは?って思った方もいると思います。
 そうです。わかりやすく全てのジャンルに共通する「拡大性」の例が、メディアミックスでした。
 ヒプノシスマイクは最初はCDが媒体として流通され、その後漫画化アニメ化舞台化アプリゲーム様々なコラボ等メディアミックスを続けていきました。今回の10thのライブのタイトル、LIVE ANIMAの『ANIMA』もまさしくメディアミックスの一つです。
 オフノシスマイク以前からヒプノシスマイクの「拡大性」の魂は変わってないと思います。現に、EPのインタビューでもメディアミックスについて触れられています。

ヒプノシスマイクは6年という歳月が経ちましたが、これからも今回のアルバムのようなおもしろい広がりを見せていくと思います。原作CDでも、ドラマトラックでも、アニメでも、どんなメディアからでもいいので、ヒプノシスマイクというコンテンツが入口となってラップ文化に触れてもらえれば演者としても嬉しいですね。ぜひ、ルーツを遡って楽しんでみてください!

宮田 興味を持ったときにどこから入るのが正解、というものがないコンテンツだと思っていて。曲からはもちろん、アニメでも、ドラマトラックでも、舞台でも、マンガでも、声優さんからでもどこからでも入れる。改めて本当に多角的なコンテンツだなと。たくさんコンテンツがあるからといって、全部を楽しむのはハードルが高いと身構えることもないと思うんです。やっぱり一番は、その人その人が好きに楽しむのがいいんじゃないでしょうか。だって僕なんて、「ヒプマイ」とキスマイが似てる、というところから入って、さらに「ポジマイ」作ってますからね(笑)。

 ちなみにこのインタビュー、宮田俊哉がボカロPであることに触れどう作詞作曲に関わったか、と言う質問をされています。他ジャンルのインタビューでボカロに関して語られることある!?ですので、ボカロ界隈の方も是非読んでみてください。

 今回の話とは絡みませんが、初音ミクがヒップホップカルチャーをコンセプトとしているイベント「MIKU BREAK」ではパフォーマーとしてDivision Dance Battle(DDB)がその名前のまま起用されています。このDDB(もしくはDivision)という単語の持ち出しも、広く言えばヒプノシスマイクの拡大性の一つと言えると思います。(ディビジョンという単語は普遍的なものですが、ヒプノシスマイクの世界ではディビジョンという単語に特異的な意味が付与されているからです)

 以上、3点の説明でした。
 皆様にも伝わっているとは思いますが、この1〜3の要素は全部が全部切り探して考えるものではなく、むしろ全てが連携しているものです。特に3の拡大性に関しては、音楽表現の幅、ファン層の幅の拡大性も内包していますし。
 近年のボカロ界隈でも自分の声で歌うPは多くおりますし、本人名義やユニットとしてメジャーデビューを行う人も出ています。人間歌唱を行う理由としてこの1〜3の全ての理由が絡んでおり、下地になっていると考えられます。(メジャーデビューと言いましたがもちろんメジャーデビューという形を介さずシンガソングライター活動を行うボカロPもいます)

 さて、1〜3の理由を踏まえて、オフノシスマイクはヒプノシスマイクの拡大性の一つであり、ジャンルの展開の一つだと述べました。
 では、それを何故ヒプノシスマイク(ジャンル)はヒプノシスマイク(道具)が使えなくなるというアイデンティティーを捨てるような形を行ったのか。
 これを考えるにはまず、EPが行ったことはなにか?→どうしてそんなことをやる必要があったのか?の二つに分けて考えます。

今回のEPで行ったことはなんだったのか?


 今回のEPで行ったことは、『アイデンティティーの剥奪』だと思います。
 声優ラッププロジェクトであるはずのヒプノシスマイクがラップを行わない、じゃあそれって、ヒプノシスマイク(ジャンル名)って何?って話です。

 つまり、アイデンティティーの剥奪という点では、例えばボカロ文化を盛り上げるVOCALOIDプロジェクトでいきなりボカロPが(ボカロ文脈を引きずるとはいえ)人間歌唱しだすような衝撃だったと思います。多分ここの例えを読んだボカロ界隈の人は、こう思うんじゃないでしょうか。

え?頭おかしくない?


うん、頭おかしいよ。おかしい


(これは本当に否定しない)(最初から最後まで頭おかしいジャンルなのでビジネスモデルケースにしちゃいけないジャンルです。オタクながらうまく人気出てくれたよなってジャンルだと思います)

 これも余談ですが、10thライブの上裸キャラクター絵も、このアイデンティティーの剥奪と関係している気もします。
 ヒプノシスマイクは所属や年齢がバラバラなキャラクター達で構成されており、中には服装が重要な要素になるキャラクターも居るほどです。そのため、服を脱ぐという行為がアイデンティティーとは何か?という問いかけに繋がっているのかもしれません。これは私の考えに過ぎませんが。

 それでは、何故、この様なアイデンティティーの剥奪を挟んだのか?これは、ヒプノシスマイクの不思議とも言えるストーリー性のためだと思います。

どうしてアイデンティティーの剥奪を行ったのか?


 ヒプノシスマイクのストーリー上(世界線)の話をします。このEPは、そもそも『ヒプノシスマイク』って何?って話をしたかったんだと思います。
 ジャンルに精通していない形のために再び軽く説明します。ジャンルの題名になってる「ヒプノシスマイク」とは、作品の中に出てくる単語として存在します。ヒプノシスマイクという特別なマイクでラップを行うと精神に干渉が出来る(≒攻撃できる)たいう設定です。このヒプノシスマイクを政府から送られてきた男達(メインキャラクター)が……という展開からヒプノシスマイクのストーリーが始まります。

 これは本当に完全なる余談ですがジャンル外の人でも聞くことがある「違法マイク」とは政府から配られたマイク以外の模造品のマイクを指します。官製マイクじゃないマイクかつヒプノシスマイクと同様の効果を持つものです。(実質武器の違法製造です)(ぶっちゃけ官製マイクも武器同様の扱いなのですがここの話をするとストーリーの話にそれるので省きます)

 つまり現状のヒプノシスマイク世界線で、少なくともキャラクター達が行っているラップというものはお上(政府)から与えられた道具、という始まりになります。

 ここからヒプノシスマイクのストーリー上でヒプノシスマイクの合言葉である「ラップは楽C!」をやるなら、上から与えられたラップを道具として扱った状態で、やるべきことなのでしょうか?
 それでもいいとは思いますが、お上から強制されたラップではなく、一回選択の余地を与えた上でヒプノシスマイクを再び持つ(≒再びラップをする)という展開を挟んだ方が、ラップをする意味とは?の話になるのではないでしょうか。

 ボカロで例えると、売れるから!って理由で音楽会社からボカロを押し付けられたクリエイターは、そのまま素直にボカロで曲を作ってきた。いずれ活動の中で自分の声で歌いだすも、やはりボカロで曲を作ることを決める。こんな感じになるでしょうか。まぁ有り得なくはない展開かな……?

「アイデンティティーの剥奪」というとマイナスな印象しか受けないかもしれませんが、では残ったものが何か?を考えれば、どうでしょうか。

ここでインタビュー記事を引用します。

天﨑 今までヒプノシスマイクが当たり前のようにあって、当たり前のように使えたのが、なくなったときに「私たちがやってきたのはそれだけじゃないよね」ということに気づくんですよね。それに気づけたのは、これまで6年近くやってきたからこそのタイミングなのかなと思います。

石谷 今回のようにラップ以外の表現が中心になったり、新しい表情や関係性が形になっても、「ヒプマイ」の根本的な部分、「気持ちをぶつける」というマインドは変わらないと思うし、それはどの曲にも通底してると思うんですね。

 

 アイデンティティーが剥奪されてなお残ったもの、そしてそこから掴んだもの、選んだもの、それが『意味』になっていくものだと思います。
(先程触れた上裸モチーフも上半身の服を着ていないのにも関わらずみんな表情をキめています。それでも尚残ったものと、掴んでいくもの、というこの文脈では?と考えています)

EPの『意味』とは?


 今回のEPの話は一度ラップ以外の音楽があった上で、ヒプノシスマイクのキャラクター達が今後もラップをしていく(選択肢を選んだ)、という「意思」の物語だったと思います。
 この「意思」はストーリー上で一度ヒプノシスマイクを使わないことを選べる世界(≒ラップに拘らなくても良い世界)になった上で、山田一郎というキャラクターが治安維持のために再びヒプノシスマイクを持つことを決める、という形で表現されます。このため、山田一郎というキャラクターは今回のEPではラップを歌っている、という体裁になっていると思われます。

 この「意思」について、別のキャラクターの声優がこうインタビューで表現されています。

河西 そして、山田一郎の「HIPHOPPIA」! ヒプノシスマイクがキャンセルされても、ラップはできるという心意気が感じられます。


 ストーリー上かつ三次元での「楽しむための」「ラップ以外の音楽」があることの証左として今回の曲が真剣にクリエイターの力で作られ、EPとしてまとめられた。この二枚はそういう試みであると思っています。この時、「ラップ以外の音楽」も絶対に真剣じゃなきゃいけないんですよ。ラップ以外にも音楽はある、そしてそれはラップをageるものでもsageるものでもない。等しく大切な音楽で無ければいけなかった。

 個人的には、ヒプマイヘッズによるラップ神格化って、見てて慣れないなって思ってます。まるで、ボカロのオタクが人間の曲をdisってた様な心地を覚えます。(最近はボカロ楽曲、ボカロPの流行により視聴者の幅が広がったこと、そのため人間の曲とボカロの曲を分け隔てなく聞く人も増えたことによりこの様なオタクは随分減ったと思います)
 ラップである/ラップではない、という音楽カテゴリで良し悪し(当たり外れ)を決めるのって、ラップに対しても他音楽ジャンルに対してもどうなんだろうかってと感じます。音楽ジャンルに関しては好き/嫌いは常にあるものだと思いますが、上/下は無いと思ってる人間なので。

 私達が好きになったのはアイドルみたいなキラキラした曲を歌うキャラじゃない、みたいな発言も多く見られました。下手するとアイドル(文化や曲)をsageかねない表現でこれも正直……。
 アイドルみたいな大衆文化を軟派とし、それにハマらずに、腐していれば、かっこいいHIPHOPを聞いていれば硬派なのか?ラップを聞いてれば、HIPHOP畑の人に提供を頼めば「硬派」なのか?
 「女に媚び」なければ硬派で、立派でかっこいいのか?そもそも、何を持って「媚び」なのか。女に媚びない音楽ジャンルを好んで聞いてる私、かっこいいみたいな思いはどこかに無いか。これはあってもいい(完全に無くすことは不可能だと思うしかっこいいと思うジャンルが好きな私かっこいい!は自然な感情だと思うため)と思いますが。

 良い悪い、善/悪なんてあるのか、の線引はその人にしか無いものですが……。愛だの恋だの歌うJPOPを小馬鹿にし、アングラな曲を聞いてる自分こそかっこいい、の様な価値観(前述の軟破な音楽を腐し硬派な音楽こそ至高とするような価値観)を感じさせるような発言をしてた人も中にはいて、だいぶ凹みました。
 総括するとEP〜10thライブまでの流れはヒプノシスマイクのアイデンティティーはかっこいいラップ「こそ」、と感じていた人に冷水を浴びさせるような(良い風に言えば再考させるような)構造になっていたのではないかと思います。

 では、ここまで書いて、オフノシスマイクは行う必要があったのか?という話をします。私はずっと最初からこのスタンスでいます。

やる『必要』はなかったと思います。
でも、やる『意味』はあったと思います。

 この『意味』とはなにか?という問い──ヒプノシスマイクが求められているのはかっこいいラップだけなのではないか?という問いが、ボカロPが求められているのはボカロを使った楽曲なのではないか?という悩みと重なったため、noteを書くことにしたのです。

 「ボカロ」Pなのだからボカロをプロデュースしなかったら、それは「ボカロ」Pではなくなる。じゃあ、ボカロPがボカロを使わなかったら、何が残る?世間で求められているのは「ボカロP出身」というブランドの肩書で、じゃあ、何があなたのアイデンティティーになる?
 米津玄師のインタビューにこの様な文章もありました。コロナ禍真っ只中の2021年の記事です。

その一方で、ボーカロイドというものがある種のブランド化しているところもある。「ボカロ出身だったらいいでしょ」みたいなキナ臭いものを感じるし、それをうまい具合に利用しようとする空気もあるなって。

 また、アニメチェンソーマンの主題歌にも起用されたTOOBOE(ボカロP名義john)も、ボカロPのヒット曲のイメージが離れないことに対する苦悩も語られていました。『「ボカロP出身」は利点であり弱点』という見出しがつけられています。

そうですね。去年のワンマンの次ぐらいのライブからは、比較的ボカロ曲はやっていなかったんですよ。というのも、ボカロP出身ってことは利点でもあるんですけど、弱点でもあると思っていて。「春嵐」って僕のボカロ曲があるんですけど、「春嵐」の人でしょって言われ続けるのもけっこう大変で。


 ヒプノシスマイクの話に戻ります。ヒプノシスマイクが一度ラップではない音楽を挟んだ(知った)上で、音楽表現として再びラップをする意味とはなにか?てか、ヒプノシスマイクって何?そういう問いかけをしたかったのではないかと思います。
 ここがボカロを『捨てた』と言われるボカロP達と、ラップを『捨てた』と言われたヒプノシスマイクと最も重なった点でした。

 私のパーソナリティーを知らない人からは、こんなことを言うのは私が音楽をなんでも聞く人間だから、と思われるかもしれません。
 現実は逆です。本人歌唱は(人によりますが)あまり追わない人間です。ボカロPはやっぱりボカロ曲作ってほしい。ボカロ曲が好きなので。歌い手提供曲でもボカロ歌唱ver作ってほしい。
 でも、私はその人達の意思は否定したくなかった。本人歌唱に移行したボカロPがボカロ歌唱曲を投稿しなくなっても、それでも否定したくなかった。
 この歌いたいという「意思」が表現されてるインタビューを引用します。Diosのメンバーでもあるササノマリイ(ボカロP名義ねこぼーろ)の記事です。DiosはFling Posse単独のライブにもゲストとして登壇していましたね。

一番大きいのはもしかしたら自己顕示欲かもしれないんですけど(笑)、なんだろう……やっぱり自分が作った自分の歌だから、自分で歌いたいというのは大きいですね。今まではVOCALOIDに歌ってもらっていたけど、それを人間が歌ったとしたらまた違う感じに作れるのかな、とも考えましたし。VOCALOID曲を作るのはある種の趣味として大事にしたいから、ササノマリイはその趣味から分裂して生まれたようなものだと思います。どっちを辞めるとかそういうことではないですね。

 

 ボカロPはボカロ曲だけ作っていろ?そうすりゃ喜ぶんだから、聞くんだから。そういう様なことを言う人だって、中にはいます。でも、それは、ボカロPの意思を無視した発言ではないか?

 ヒプノシスマイクに求められているのはラップ『だけ』なのか?それは、あなたが満足する曲さえ提供されればいいのか?あとはどうでもいいのか?この本音といえるようなグラグラする問いを、ずっと抱えているのでしょう。

 ちなみに、反論がある〜の文脈は演者である声優もインタビューで述べられていました。

浅沼 正直、戸惑いもありました。やっぱりヒプマイに期待されるのは「声優による本気のラップ」だと思いますし、それを封じられて何ができるのか、と。

 正直、デビューしていくボカロPの中には、「そのままボカロPやってりゃいいじゃん」って思った人もいます。でも、その道がその人がやりたいことなら。『(何かを)やりたい』その意思を、やっぱり軽々しく「迷走」の一言で片付けるのは悲しいなって、そう思います。  私は思います。反論があることをわかりながらも、最強のクリエイターを揃えて、やりたいことをやって、みんなで楽しみながら、一つの物を作り上げて、それを世に送り出したんです。


その姿、私はかっこいいって、そう思いますよ。



 また、こちらは別のインタビュー記事となります。引用すると長くなってしまうため今回だけスクショを貼ります。

このnoteを書いた理由

 今回のEPはラップに拘らない、そのためHIPHOP以外の音楽ジャンルのクリエイターも来るのではと予想された時、どんなツイートがバズったと思いますか?

 米津玄師が来るんじゃないか、しかもそれが揶揄られてる文脈で使われてるのを見ました。バズってたかは忘れましたがYOASOBIとか言ってるオタクも見ました。え、YOASOBI?
その米津玄師やYOASOBI、あなたはどんな文脈で使いましたか?

 米津玄師は確かにラップを音楽表現として使用した曲もありますし、それが米津玄師の音楽性が評価される理由の一つになっています。

 てかなんでYOASOBI名義なんだよ。コンポーザーのAyase名義じゃないのかよ。ikura(幾田りら)(説明はいらないとは思いますがYOASOBIのボーカル)が来てくれるのかよ。ヒプノシスマイクのための書き下ろし小説一つ増えるのかよ。それは確かに読みたいよ。AyaseはAyase名義で他アーティストやジャンルに曲提供してるよ。

 例えばこちらはvtuber星街すいせいの提供インタビューです。YOASOBI名義ではなくAyase名義としてインタビューを受けています。
(このインタビューを選んだ理由ですが、私がvtuberが好きな訳ではないです。たまたまこの曲のカバー曲が某ソシャゲで最近実装されたからです)

 こちらもAyase名義でのインタビュー。AyaseがAyase名義でVOCALOIDも出てくるソーシャルゲーム、プロジェクトセカイに提供した「シネマ」についてボカロPとしてインタビューを受けています。このプロジェクトセカイへの提供曲のシネマは声優歌唱と言っても過言ではありません。
 ちなみに、曲がめちゃくちゃいいです。もし、ボカロ界隈知らない方はこれを期に是非。

(本当に余談なんですが、このプロジェクトセカイで東方Projectのコラボが先日発表されました。このコラボに対して中には「迷走」じゃないかって言ってるオタクがいてやっぱりスマホぶん投げそうになりました)

 また話を戻します。その「米津玄師」や「YOASOBI」は、これらを踏まえた発言でしたか?確かに純粋なる気持ちで好きなアーティストが提供来ないかな〜って思って呟いた人もいましたが、そうじゃなかった人もいますよね? 

ねぇ、違ったよね?

 米津玄師が、どんな気持ちで今はボカロ界隈を思っているなんて、わからないけど。わからないけど、流行ってるアーティストだからって米津玄師を、ハチのことを何一つ気に留めないで簡単に名前を出して叩き棒にするような人達に、Ayase名義のことをYOASOBIって書く人達に、何が音楽だのラップだの「私は正しいです!」面して語れるんですか。私のTLにはYOASOBIのメガヒット曲、「アイドル」のラップパートの是非、賛否の話題が流れてきてましたがあなたのTLはどうでしょうか。

 Ayase名義のことをYOASOBIの名前出して遊んでる奴らに、絶対に負けたくないんですよ。米津玄師のことをオタクによる揶揄の文脈で使うような人達に、負けたくないんですよ。
 Ayaseに関しては私二年前から言ってたから!オフノシスマイク文脈なくてもAyase来るから(幻覚)(願望)
……って思ってツイート再検索したら全然見ないんだけど消した?私の幻覚???幻覚に私はキレていたのか……?(でも確かに当時YOASOBIが来るかも〜的な揶揄的ツイート見てキレてたので……)

 とにかく、そんなあなたが、
音楽や他の音楽ジャンルを叩き棒に利用して、馬鹿にするような真似をするあなたが、ヒップホップどころか、ヒップホップも包括する音楽だの、それでラップを「捨てた」だの、愛だのなんだの……偉そうに、語れる訳が無いでしょ!!!


 って叫びたくなった。それが、私がこのnoteを書いた理由として、一番の原動力です。

 そもそも、EPの後に資料集やアニメやってるし新曲も新譜もあったので、ラップをしろとか言うのも、そこらへんの過程を全部無かったことにされた様ですごいモヤモヤしてます。あなたがそれらの供給を「思ってたんのと違う」だとしても、それらを無かったことにするのは、本当に誠実な姿勢なのか?って思います。
 最近の曲刺さらないとか言ってる人見たけど、いやそれは単純なる自分の好みでしょ!って話にしかならないと思います。私も流行りのボカロ曲、合わないな〜とか思うことだってあるよ!

 まとめますと、自分の好きなコンテンツ(ヒプノシスマイク)が、別の好きなコンテンツ(ボカロ)に関係するアーティストを音楽に真剣になって起用された時に、好きなコンテンツのアーティスト(ボカロ)を盾にして、蔑ろにされていたのが、不当に叩かれたのが、悲しかった。そういう気持ちです。
 ボカロ関係してなかったらここまで、私だって、思ってなかったんじゃないかな。でも、お出しされたものがボカロと関わりが少なからずあったものでしたから、その世界線のことは知りません。この世界線に無いものなので。

ヒプノシスマイクはラップを『捨てた』のか?

 長くなりましたし話もそれましたが、私がEPに関して言いたいことは大きく
・EPの試みや宣伝に是非があるのはわかるものではあったが、EPそのものの作り自体は非常に真剣であった
・EPの音楽表現の試みは決して今までのヒップホップやラップを蔑ろにするようなものではなった

この2つです。これは私の当時のツイートです。


 これらの話を踏まえた上で、ヒプノシスマイクはラップを「捨てた」のか、自分の考えを述べます。

 ここまでの理由1〜3の内容を踏まえて人間歌唱に挑戦したボカロPがボカロを「捨てた」と形容するのであれば、ヒプノシスマイクはストーリー内の話を越えてラップを「捨てた」んじゃないでしょうか。

 どうしても前者の様なことを言う人はいるので、後者の様なことを言う人もいると思います。これは仕方ないです、たくさんの人がいてそれぞれの考え方があって、その上で人の考えはなかなか変えられないですから。私は私なりの信念があるのと同様に、あなたはあなたなりの信念もある。

 あなたが「捨てた」その言葉を選ぶためにどんな思考があったかは他人にはわからないし、それまでの経緯や積もる思考があったのだと思います。(ボカロを「捨てた」みたいに言われるのもそれまでの衰退論や踏み台論、一時期流行ったプロジェクト系含む商業化ムーブ&嫌儲的思考が土台にあった上での話だと思うので)
 でもどんな積み重ねや思考があったとして、「捨てた」って言葉を選んだのは、気持ちを、音楽を、蔑ろにしたのはあなたでしょって、私はそう思います。ヒプノシスマイクだけじゃなくてボカロPに対してぶつけられた言葉も、そう思っていたので。

『捨てた』の言葉に込められた思いとは

 ここまでひたすらオタクにケチをつけるような言い方をしましたが、前述の通り私はボカロPにはボカロ曲作って欲しいし、なんなら人間提供曲も全部セルフボカロカバー作ってほしい人間です。「そんなことより」ボカロ曲作ってくれよ、の「そんなこと」の言葉を隠して生きているような人間です。
 だから、ヒプノシスマイクがラップに『捨てた』って言葉を聞いた時に悲しかったけど、同時にボカロPがボカロを『捨てた』と似たような思いが込められていたのではないかと考えて、ちょっと思ったことがありました。 

 もしかして、悲しかったのかな。寂しかったのかな。

 今までラップをするキャラクターが、声優がかっこよくて、ラップに触れて、楽しさを伝えてくれて、大切な時間だったのに、その全ての思いと日々を捨てられたような、そんな気持ちになったのかな。ラップをしてたキャラクター達が、全部嘘だったような、裏切られたような気持ちになったのかな。
 そう、まるで初音ミク(もしくは別のソフト)一筋だと思ってたボカロPが急に流行りの他のボカロを使いだして、ミク(や別ソフトのキャラクター)の曲を作らなくなったような、そんな寂しさが……。

 ここでインタビュー記事の二人の声優のやりとりを引用します。

速水 『ヒプノシスマイク』でラップを歌わないことに、ぽっかり感が(笑)。「え、僕、ラップ歌うことに慣れていたんだ?」と思って。竹内:寂しかったですか?(笑)。
速水  そうそう(笑)。ラップじゃない曲を歌うの、寂しいと思わなかった?
竹内 僕は、「『ヒプマイ』でラップじゃない曲を歌うんだ……」って、少し恥ずかしかったですね。
速水 うん。ラップで武装していられたのに、ラップというものを外された時に、最初は少し驚きました。

 一部のボカロ界隈の人達がずっと感じてきたこと。それは、自分の声で歌いだすボカロPにとってボカロのことは踏み台で、愛なんて元々なくて、人気になるための道具にしか過ぎないのではないかという恐怖です。

 キタニタツヤ、和田たけあき、seeeeecunの三人対談のインタビュー記事ではこの様なボカロ界隈からの反発や、踏み台論について少しだけ触れられています。

seeeeecun キタニが歌い始めたことで若干感化されたんですよ。セルフカバーの活動には憧れはあるけど、反発する既存のボカロファンも出てくるわけだから、怖さもあると思っていたんです。

キタニタツヤ ただ、ファンベースを築けたのは、ボーカロイドの世界のおかげなので、そこへの感謝は絶対に忘れたくはないし、これからもボカロ曲は普通に聴く。だから、表現的には間違いではないけど、ボカロを踏み台にしているように見えてるのはちょっと寂しいかな。自分にとっては、今まではボカロの力を借りて来たから、これからは独り立ちしていくんだよっていう気持ちですね。


 相次いで好きなボカロPが界隈を去っていく姿を見せつけられて、有名になっていったボカロP出身アーティストの姿を、どうしても認めたくなかった、あの時と似たような感情があなたに生まれたのかもしれない。

 私が好きなのは、惚れたのは、紛れもなく「ラップをしている」キャラクター達の姿なんだよ!
って。

 ところで、自分がヒプマイのオタクとボカロのオタクで似てるな〜って思っているところが2つあります。1つは提供者(制作陣)に注目するところと、もう1つは勤勉なところだと思ってます。

 ヒプノシスマイクはどうしても提供者の豪華さが話題になるジャンルのため、提供者(作詞作曲編曲者)が注目されます。この作詞作曲編曲に注目する文化、やはりボカロ界隈が重要視するものですので(推しPとかの概念もここから生まれるものです)、そこに注目するところが似ていると思います。
 あともう1つ、勤勉なところ。ここ好きです。そもそもヒプノシスマイクはラップに馴染みがなかったことも多い、二次元のいわゆるオタクに向けて、声優×ラップをキャラクターコンテンツという形で組み合わせたジャンルです。このため、オタクに対してラップ(HIPHOP文化)の解説、布教等も行ってきました。このため、元々ラップ(HIPHOP文化)に興味ある人だけではなく、このジャンルに触れてHIPHOPのことを知った人も珍しくないです。ヒップホップって、こういう文化なんだ、ラップってこういう表現や技術があって、楽しいものなんだ、って思った人も少なくないのです。
 この様な(今まで知らなかった)文化への興味、理解、調べる姿勢、これがファンの根底にあるジャンルだと思います。ボカロ界隈もボカロ文化への興味、そこから幅広い音楽への興味の発展があるジャンルだと見てて感じるので、このような勤勉性は、このジャンルの好きなところです。
(余談ですがヒプノシスマイクが荒れることが多いのもこのような勤勉なオタクが多い故なんだろうな、と思う瞬間は多々あります)
 個人的に一番好きな瞬間は提供者が発表されてその人が知らなかった時、知識がある人に「この人のオススメ曲教えて!」みたいになるオタクが多く出るところです。これボカロでもよく見るのですが、こういうポストが出てくるの好きです。
 あと、どうしてもラップ(HIPHOP)って「声をあげろ!」みたいな音楽ジャンルなので、主張するオタクが多い!ボカロはファンメイド文化故、ファンが創作や主張が多いジャンルだと思います。どちらも経緯は違うものの、根底は似てるものがあると思います。

 でもやっぱり、何があっても、どんな理由や思考を経たとしても、それでも『捨てた』という言葉を選んだのはあなたでしょ、とも思うのは変わりません。そこは私が私として、出している一つの結論です。

最後に

 ここまで書いて、私が怒ってる理由とは違う、詭弁だと、私の怒りをお前がわかるわけが無いだろう、そういう人も絶対いると思います。多分、それは、私があなたのための文章を書いていないのだと思います。それでも私の文章が、少しでも同じ様なことを思ってた人に届いたのならば、響いたならば。それが例え私の知らない誰か一人だとしても、それでいいのかもしれないなって。
 私は反発するあなたを矯めたい訳では無いです。だって、赤の他人の私があなたのことを矯められる訳ないじゃないですか。そして、私もあなたに矯められたくないです。
 でも、こういう人間がこのインターネットの片隅で存在してるんだって、生きてるんだって、その気持ちを残しておきたい一心です。

 でも、それでも……私の言い分に不満があるという人は、信頼も信用もないアカウントでコソコソしていないで、しっかり目を見て、文句を言いに来ればいいんじゃないでしょうか。

 私事になりますが今週末に行われるヒプノシスマイク10thライブ、二日目、当選しました。(仕事柄土日両日は休みにくいので片方しか行けませんでした…)
 4月7日、幕張メッセに足を運びたいと思います。幕張メッセで人間のライブは初めてでドキドキしています。今まで幕張はHYPED-UPのような3DCGライブしか行ったこと無いオタクです。3DCGライブガチ大好きオタクなのでヒプマイももっと力入れてほしい。
 私になにか伝えたいことがある方は、現地で、私に直接言葉にして、それで昇華すればいいのではないでしょうか。
 あ、もちろん、お褒めの言葉も歓迎です!お待ちしています!()DMは開けていますので笑

締め


 私がヒプノシスマイクを追ってるのって、自分の中ではこの愛しい彼等彼女達の行く末を見たい、が原動力だと思います。
ですので、私が彼等彼女達が大好きでいる限り、多分ずっと好きなのは変わらないし、心身が健康な限りはコンテンツの移り変わり含めて追っていきたいなと思っています。
 私は、どうやって彼等彼女達が合言葉の「ラップって楽C!」に辿り着けるのか、見てみたいんです。

 多分、こんな文章を書いてる時点で私はジャンルの人間とは合わないんだと思います。だから、どのジャンルでもジャンル垢とか作らない(作れない)し、交流とかもしていません。
 でも、そんな私が、世界の隅っこで存在していることくらいは、この文章を読んだあなたが認めてくれればそれでいいし、嬉しいです。褒めてくれればもっと嬉しいです。

 それでは皆様、機会がありましたら幕張メッセか、またインターネットの片隅でお会いいたしましょう。

P.S.

???「入間銃兎と天谷奴零が一緒に歌ってたのは結局なんだったの?」

……………………知らん!!!(えー)


ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

〜終〜

#ヒプノシスマイク