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カナリアの記憶~ちょいと変わった私の昭和物語

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2019年、平成から次なる元号へバトンが渡ると知ってから、少しずつ芽生えてきた、私も娘世代の若者に”いいバトン”を渡せたらいいな”と思う気持ち。だとしたらどんなことができるだろう… もっと読む
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はじめに

記憶をたどればでてくるでてくるまか不思議な話なり。 1年365日、 時間にすればほとんど忘れ…

通学路にいたひよこ

今思うと不思議な光景だった。 というのは、私が小学校に通っていた時のこと。 月に一度だけ…

永久不妊症と診断された母に奇跡が起こった !

お試しで作ってみた30秒動画です。

自分のレール

もしあの時、 父と別れることがなかったら、私は父が望むレールを生きていたかもしれない。 …

おつかい

「すみません。豚のコマ肉を300㌘ください。」 やっと言えた。 小学校2.3年生の頃だった…

やりくり上手

私が小学生の頃の記憶では父のお給料は現金だった。 現場に行ったきりでほとんど家にはいない…

父の作戦その2

我が家に電子レンジがやってきたのは私が6歳(昭和42年)の時であった。 当時、電子レンジはまだまだ一般家庭には普及していなかったらしく、 またその機能についても様々な噂が飛び交っていた。 例えば健康によくない説。 これは電子レンジから飛ぶ電磁波が身体によくないというものである。 だから我が家では『スイッチを押したら直ちに電子レンジの前から離れること』は鉄則だった。 そしてそれは家族みんな本気で取り組んでいた。 いやはや今思うとそれはなかなかヘンな動きかと思われる。(笑)

父の作戦その1

「安子、これからの日本の女性はこんなせまい島国にいちゃダメだ」 父がよく口にしたフレーズ…

青い瞳

そのお産はかなりの難産だったようだ。 「このままだと母体も胎児も危険です。」 私は、急遽鉗…

安子誕生秘話

昭和35年の夏。 おそらく妊娠7ヶ月。 私が母のお腹で認知されたのは多分その頃だったらしい。 …