情報を断つことの重要性

情報化社会と言われてから結構な時間が経った。

実際今の世の中、情報が多すぎて、アフィリエイト目的の糞記事、嘘情報、釣りなどなど、真実を知りたい人にとっても邪魔な情報が多くなって本当に必要な情報にたどり着くことすら困難になってきた。

調べ続ければ、いつかは知りたかった情報にたどり着くことはある。

しかし、存在しない情報についてはどうしても見つけることができない。

存在しない情報と言えば単純に、明日自分がどう生きればいいのか、どうすればよりよい人生にたどり着けるのか、といったところだ。

これが本当に難しい。

というのも、この情報を見つける手段そのものはとても単純である一方、それに時間を費やそうとすると、自分の為にただ悩むという精神の負担に耐え切れず、他の情報を脳に蓄積するという「逃げ」に向かってしまうというところが一番の難点である。

手段はどうあれ幸福を求めない人間などいない(とりあえず現状ではそうだと仮定する)。

だから、たとえ手段が間違っていようが、幸福になろうとしてあらゆる道を模索するものである。

その中で一番の逃げ道として考えられるのが「現実逃避」である。

今の自分、あるいはこれからの自分がどうすれば幸せになれるかを考える時間は中々に苦痛である。

なぜなら今の自分が幸福でない現実に目を向けなければスタート地点にすら立てないのである。

幸福でない自分が受け入れられない場合の手段はいくつかあるが、一つの現実逃避の手段として考えられるのが、「適当な娯楽を見つける」ことである。

これは自分が無意識的にやって、無駄な時間がないつもりになれる最高の手段でもある。

自分語りになって申し訳ないのだが、私はいわゆるニコ厨である。

ニコチン中毒の略称ではなく、ニコニコ動画ばっかり見ているオタクのことである。(オタクであるというほど何かを極めているわけでもないが)

そんな私は、とりあえず空いた時間を認識するとニコ動のランキングを漁るだけのbotと化してしまう傾向がある。

やるべきことがいくつかあることを自覚しながらも、そのことには手を付けず(とはいえ日課として最低限やるようにはしてるから昔と比べれば大きな進歩だが)、とりあえずニコ動のランキングを漁ってしまう。

これの一番の問題が、もう見るものがないのに、ランキングを上から下まで一通り目を通してしまうことだ。

ランキングの変動を考えるのであれば朝と夜に一回ずつ確認すれば十分だし、何なら見る必要性がそもそもない。

そしてどうしても動画が見つからなかったらタグ検索を開始し、無理やりにでも動画を探そうとする。

はっきり言って無駄な時間である。

しかし無駄とわかっていながらも、この日課は今日までなくなることはなかった。

それはひとえに、考える時間を最小限に食い止めたいからに他ならないのではなかろうか。

だいぶ横道にそれたが、本題はここからだ。

例え直接的な交流がなくても、誰かの発信(動画鑑賞であろうと)を受け取ることは情報収集ではないか、というのが私の考えである。

他所の情報を受け取ることは自分自身の能力を磨くための時間にはならない(題材にはなるが、結局情報は生かせてこそ)。

外にあるのは他人が頑張った産物であって、自分の力ではないのだ。

いくらそんなものを受け取ったところで、自分の力にはならない。

コミュニケーション能力の理論をいくら学んだところで、コミュニケーション能力は身につかないように、講座を受けても講座の内容を実践しなければ意味がないように、自分が主体になるチャンスがなければ、結局何も得るものはないのだ。

そんな現実から目を背けるために、SNS、その他娯楽作品が世の中にあふれているのではなかろうか。

一つ実感していることとして、絵を描き始める直前の描きたいものを模索する時間が私は特に苦手である。

思いつかない、思いついても納得できないなど、地獄のような時間で、理由もなしに描き始められるまで耐えきれた回数はないと言ってもいい。

実際にそれが理由で描き終えられなかった作品も多い。

その経験から確実に言えることとして、何かを生み出そうとしているときはどうしても悩むものである。

自分の中にあろうがなかろうが、中身を現実に形どるとなると、妄想はそのままの形で出ないし、何なら妄想の形自体が曖昧過ぎて、何を描きたかったのかすら忘れてしまう。

そうやって悩んでいるうちに多大な時間をかけてしまって、やめる。

それを繰り返しているうちに、悩む時間を無駄な時間だと勝手に決めてしまい、悩む時間すら放り捨てる。

こうやって、何も生み出さない、ただ日常に食われ続けるだけの人間が出来上がるのである。

私は、日常に食い殺されるだけの人間にはなりたくないと常に思っている。

だからこそ、このGW中に何も生み出せなかった自分を後悔し、とても恥じている。

この気持ちを失った時が、またしても学ばないで、何も生み出せなかった人間として生を全うしてしまう人間であることは間違いないだろう。

悩むには、外部の情報を断つほかない。

厳密には、悩みの対象に関係ない情報を断たないと、無駄なことに脳のリソースを奪われて時間ばかり消費してすべてを失う結末に至ることは想像に難くない。

明日を生きるには、まずすべての無駄な情報を切り捨てるほかないのだ。

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