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#1 ゴルフコース跡地巡礼|寄稿記事(チョイス)|ゴルフ学芸員



はじめに

 ある日、友人を介してゴルフダイジェスト【チョイス】の編集部の方と会うことになりました。わたしが趣味で、ゴルフ場の跡地巡りをしていることを知り、興味を持ってくださったようです。そこで、これまで巡った跡地のリストを写真やメモを付けて渡し、見て頂くことになりました。しばらくすると、原稿依頼がきました。

 以下、チョイスに掲載された記事を含む内容を転載します。


ゴルフコース跡地巡り・・・・・(2023.8.19)

 私は比較的若いころからお年寄りの昔話を聞くのが好きだ。例えば「昔は都心にもゴルフ場があって、よく行ったなぁ」なんて話を聞くと、それはどこ(場所)?いつくらい(時代)?なんで無くなったの?と、ついつい聞いてしまう。ICUや砧、有明にあった東雲のゴルフ場には、行ったことがある、というシニア世代がたくさんいる。その方たちは、今は無きゴルフ場の思い出を、目をキラキラさせながら話してくれる。私は話を聞いているだけで、それらのゴルフ場が存在しないとわかっていても、なぜか行ってみたくなる。

ICUゴルフコース(東京都三鷹市)1964~1976年 小寺酉二設計

都立野川公園(三鷹市)

 最初にICU(国際基督教大学)のゴルフ場跡地である都立野川公園を訪れたのは、私がそのころ三鷹市に住んでいたからだ。まさかこんな近くに閉鎖されたゴルフコースがあったなんて。

 公園のサービスセンターは当時のクラブハウスが再利用されており、1階のレストランだったと思われる少し広めの部屋には暖炉の跡や、テラスからコースへ続く階段が残されていた。よく見るとコンクリート造りのテラスには無数のスパイク跡が残っており、それこそが紛れもなくゴルファーの痕跡だった。

旧クラブハウスのテラス


 赤い屋根瓦のクラブハウスは樹木に映えてひと際美しく、大きな時計台の側には練習グリーンがあったに違いない。コースは地形も含めてほとんどがそのままの状態で残されており、私はレイアウト図を片手にフェアウェイを歩き、ティやグリーンの位置を確かめた。その行為にどれほどの意味があるのかは自分でもよくわからない。ただの自己満足と言われれば反論の余地はない。

旧クラブハウス

 一年後、私は同じ桜の咲く時期に公園を再訪した。するとハウスが解体されており、暖炉のあったレストランも、スパイク跡の残されたテラスも跡形もなく消えていた。目の前には大量の赤い屋根瓦だけが山積みにされており、ここにゴルフ場があったという事実がこうしてひとつひとつ消し去られていくということをしみじみ実感した。

山積みにされている赤い屋根瓦



藤澤CC(神奈川県藤沢市)1930~1943年 赤星四郎設計

 それから間もなくして、私はグリーンハウス(藤澤CC旧クラブハウス)と出会った。藤澤CCは1930年(昭和5)に開場、赤星四郎がコース設計しアリソンが監修している。クラブハウスの設計はアントニン・レーモンドが手がけ、東京・朝霞コースと並ぶ幻のゴルフ場である。レーモンドは、戦前に4棟(我孫子、相模、東京・朝霞、藤澤)のクラブハウスを設計しているが、3棟はすでに存在しない。唯一残る藤澤(通称「グリーンハウス」)は、私が訪れたときは神奈川県立体育センターの施設(食堂)として再利用されていた。

初訪問のときに見たグリーンハウス

 建物はスパニッシュ建築様式で青緑色の瓦葺屋根は残っているものの白い壁は薄汚れ、剥がれ落ちている箇所もあるほどひどい有様だった。地元の地域住民を中心に保存会が立ち上がり、代表の宮田英夫氏に話を聞くことができたが、保存のための修繕費用など、県の対応には期待薄の印象を受けた。

 ところが東京2020オリンピック開催に伴い、神奈川県が県立体育センターの再整備を決定したことで事態は急展開する。老朽化したグリーンハウスの改修が行われ、2021年には登録有形文化財(建造物)として国に登録されたのだ。

グリーンハウス(2023年6月撮影)

 先日(2023年6月)、11年ぶりにグリーンハウスを再訪した。ボロボロだった壁が見違えるほど白く輝いている。それにしても、レーモンド設計のクラブハウスはすでに富士CC、門司GC、東京GCが文化財として登録されているので、藤澤で4つ目となる。大抵はゴルフ場が閉鎖されればクラブハウスもその役目を終え取り壊されるものであろうが、藤澤のようにコースは転用されてもハウスだけが残って文化財として保存されるのはかなり稀な例であろう。


ゴルフコースは存在し続けるわけではない


 大戦前、日本国内には約75のゴルフコースが存在した。それが現在32コース。単純計算で43コースが消滅している。しかし戦後に設立され、その後なんらかの事情により閉鎖されたコースもある。私はそれらのコースのうち、ほんのいくつかのゴルフ場跡地を巡っただけにすぎないが、それぞれのコースの歴史を紐解けば誰がどのような目的でその場所にゴルフコースを造ったのか、コースが人々に果たした役割はどのようなものであったかなど、ゴルフ場と社会の関わり方が見えてくる。それらを再度広い視野で検証し、今の時代を生きる人々のためにゴルフができることは何か。そんなことを考えながら、私は現存するコース同様失われたコースにも思いを馳せる。


参考文献・参考URL
1)善行雑学大学:グリーンハウス保存・再生推進部会『グリーンハウス物語〜戦禍に消えた名門ゴルフ場「藤澤カントリー倶楽部」と面影を残すクラブハウス』2011年
2)(財)日本ゴルフ協会「特集ゴルフ場の100年」(2001 MARCH vol.65)


追記⑴~⑷


追記⑴
 なぜかゴルフ場の跡地は桜の名所が多い気がする。都立野川公園(ICU)、砧公園、新宿御苑、そして根岸森林公園など。これらのゴルフ場跡地に行くときは桜の咲く時期を狙って行くと、お花見ついでにゴルフコース散策ができる。

新宿御苑


追記⑵
 ゴルフ場跡地巡りで現地に行ってから一番苦労したのは、「武蔵野ゴルフ倶楽部・平山コース」(都立平山城址公園)。公園の警備員さんらしき方にゴルフ場の跡地はどのあたりですか?と聞くと、「この辺りに、ゴルフ発祥の石碑があるよ」と地図を指さして教えてくれた。「ゴルフ発祥の地ではないけど」という言葉は胸にしまって、「ありがとうございます」と、いざ・山道へ!

石碑の場所を教えてくれる警備員さん



追記⑶
 一番好きで何度も行ってしまうのは新宿御苑。昭和天皇のために造られた9ホール。コロナでしばらく行ってない間にミュージアムが完成しており、今年の春にしばらく振りに行ったところ、御苑の池から見つかったゴルフボールが展示されていた。それと昭和天皇が誰といつゴルフをしたかが記録されている日誌も見どころ!
・新宿御苑ミュージアム(2022年12月3日(土)オープン)

新宿御苑ミュージアム


追記⑷
 実際に見たゴルフ場跡地の中で、できることなら今でもゴルフ場であって欲しかった!と思うのはイタンキ浜のコース(9ホール)。イタンキはそのロケーションが素晴らしく、ゴルフがリンクスで生まれたことに鑑みても、日本のリンクスとしてなんの遜色もない。9ホールのうち3ホールは住宅地になっているが、残りの6ホール分の土地はいまも手つかずのまま残っている。その土地をそのままにしておくのはもったいない。

イタンキコース跡地
室蘭ゴルフ倶楽部年史『永遠に不滅 白鳥コース ー86年の記憶ー』より



ゴルフダイジェスト【チョイス】241の紹介

 寄稿記事は以上ですが、他の巡礼コースや写真など誌面でご覧になりたい方は、現在発売中の【チョイス】(pp.88-91)でご覧ください。

ゴルフダイジェスト【チョイス】241(2023年11月号)



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