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わたしの紹介文



noteを始めてから随分と経ちます。
あなたの紹介文ってどこで読めるの?と最近何度か聞かれたのもあって、
プロフィールというよりも半生を綴る文を作成することにしました。

名前はたでひろこ(田出寛子)です。2020年の誕生日で満50歳になりました。
名字が変わっているので普通の名字になるのが夢でしたが、イタリアは夫婦別姓でして・・・まだわかりませんが、今世はこの名前のままで過ごすのかなぁ〜とぼんやり思っております。
あっ!おもしろい活動時用のペンネームを作っても良いのかもしれないと今閃きました。どんなんがいいかな〜・・・。

小さい頃から身体が丸かったので、ずっと丸いことにコンプレックスがあります。どうやら丸い方が向いているらしい事に気付いたので、ようやく自分の丸さを受け入れたところです。


今はイタリアのフィレンツェの近郊にある町に住んでおります。
家から一度フィレンツェの大聖堂まで歩いてみたのですが2時間で到着出来るくらいの遠さの町です。
  家族構成はイタリア人の夫・モシモシ(シモーネ)とムスメ14歳。
そして2世帯住宅の母屋には昔空手の師範だったおじいが住んでいて、日々小学生男子がやるようなイケズをされて、小学生女子がするようなツッコミをしながら暮らしています(笑)

大阪には母がサービス付き高齢者住宅に住んでいて、パリに5歳年上の姉とその家族、そして九州に2歳上の兄がいます。


イタリアに語学留学でミラノに到着したのは2003年の秋。
この町に住民届けを出して住み始めたのは2004年の初夏。
思えば長い時が流れ遠くに来たもんだ・・・


私は奈良で生まれて育ちました。



実家はもう売却してしまったのでないのですが、平城宮跡と西大寺の近くにある住宅街で大学卒業まで育ちました。
 実家の隣には大好きなG夫婦が住んでいて、いつも姉や兄にいじめられていた私にとって命の駆け込み寺でした。

小学校、中学校でもいじめられたり恐怖に怯えたりの暗い思い出のオンパレード。ザ・忍耐の昭和時代!


女子高での高校時代に友達同士で芸能雑誌を作るのに熱中し、同時期に出会った吉本ばなな先生の小説の独特かつ透明で繊細な世界感に感動して、先生が卒業した日本大学芸術学部に行くのは学力的に完全に無理だったため諦めて、「それならば私は大阪芸術大学の文芸科に入ろう!!!」と固く決心したのでした。

そして高校3年のときの担任には
「絶対無理やろうけど全力でトライしてこーい!」
と言ってもらい、どうにかこうにか当時推薦入学が受けられる評定平均ぎりぎりの2.8にしてもらって(数学とか0点だったことも)面接とふたつの小論文を書いて、かなり高かった競争率を乗り越えて受かったんです(涙)
絶対に絶対にこの大学に行きたいと決めてから小論文で受かる方法を聞きに文芸学科の教授室に直撃するという熱意。
なんとその時にご対応くださった先生が面接官だったのです・・・!

芸大を受けると決めた日から受験の日までは明けても暮れても現代文学をはじめ様々な本を読みまくり小論文を書きまくりました。
上手く書き上げられてもそうでなくとも、国語の先生や友達の中学の先生にまでチェックしてもらいに行く日々。

生きている感をフルに感じていました。

そんな風に奇跡が奇跡を呼んで大阪芸大に通い始めてすぐのときに高校時代の友達経由で吉本ばなな先生とご縁があり、大阪にてお仕事の窓口のアルバイトをすることになりました。


夢か?と思いました。



大学の1回生から4回生までは大阪と奈良のオフィスで、卒業してから26歳まで東京にて秘書を務めさせていただきました。
その頃の断片が見えるan・anに連載されていたものをまとめたこの1冊かこちら・・・。

なんと恵まれた展開だったのでしょう・・・。
毎日が刺激的で楽しくて「これって夢なんじゃないのかな?」とほっぺをひねるばかりでした。
仕事でイタリアに何度も来れたからこそ、今の私があります(感謝)
初めてミラノに行った時に「こここそ私が夢に描いた国だ!」と大興奮したのを今でも鮮明に覚えています。

未知だったスピリチュアルな世界を知ったり、芸術、カルチャー、料理や掃除の仕方まで様々な事を吸収出来た日々・・・。
今思い出すと、言葉では表せぬほどにスペクタクルで大きな愛に包まれた日々でした。


奈良の実家に戻ってパリに住む姉を訪ねてヨーロッパを周る旅行をしたり、周りの方のお手伝いをしていたら奈良の市役所でのアルバイトを親友のお母さんが紹介してくださり、何も考えず流れに身を任せて飛び込みました。

30分かかる道を歩いて通ったり、お姉さんたちと交流を深めたり、おっちゃんたちと飲みに行ったり、それもまた新鮮な日々でした・・・。
みなさん、太っ腹で優しかったなぁ〜
田舎らしいグループドライブなんかもよく行ったな・・・なんやったんやろう。今思い返すとすご〜く不思議な日々だったなー。

2年弱はいたでしょうか・・・3月の区切りで離れる事になって職安でオーガナイズされていた飲食サービスの職業訓練校に通いながら、大阪で一番美味しいネパール料理店で、まかない目当てにアルバイトをしたり、関西限定の雑誌ライターさんのアシストや、イタリアンレストランでバイトをしました。


そして、ある日新聞にスタバの正社員の募集広告が目に入り「コレや!」とまたもや小論文で力を発揮して、中途採用の正社員として入社して、その1年後にはとある店舗の立ち上げ店長を務めさせてもらいました。
 その頃、スタバでサードプレイスを楽しむのが大好きだったので、これまた夢のようでした。

 だからね、今でもスタバに行くとその大変な仕事をしているパートナーの人々に異様な愛の眼差しとエールを送ってしまうんです・・・。
失敗談も多く思い出すと恥ずかシーンがぐるぐるプレイされて辛いのですが、色んなことを学ばせていただきました。
ありがとうございます。

スタバを退職し、しばらくボーーーッとしていたある日・・・
写真家のサコちゃんの西日の差し込む整った部屋で急にすごい勢いであることを私は決意しました。


「死ぬ前にイタリア留学しに行く!」と・・・。




そして2003年の夏に父が病気で亡くなり、既に準備を進めていたイタリアへの留学は親戚に「お母さん一人で残していったら許さんぞ!」と反対されたものの、「お父さんが『行ってこーい!』って言っていたから、行きなさい」と母が背中を押して送り出してくれました。

ちなみに、33歳になるまで彼氏が出来たことはなく・・・。
片思いをしても告白などする資格はないと頑なに思っていたため、相手はもちろんのこと、友達にも知られることなく、そのまま聖女のまま天国に行くのかもしれぬな・・・と思っていたのでした。(頭ヘン・・・)


ミラノの語学学校に通い、あと1ヶ月で日本に帰国だよ・・・??
というタイミングでシモーネと付き合うことになり、なんと2005年の夏に妊娠発覚!色々あったし、つわりもひどかったので日本へ戻り、2006年の4月にムスメを奈良で出産しました。

いや〜勢いあったな〜しかし。

↑↑↑↑その頃のことを語ったビデオです。


そして、ムスメが3ヶ月の時にモシモシが迎えに来てくれてイタリア生活再スタートとなり、2008年に結婚してアメブロにて「カンポるみ」としてブログを始めました。
モシモシの姓がカンポルミなのでそのまま(笑)
それからは、ムスメ観察期間〜〜どっぷり楽しみました。

2014年のある日、急に「なにかせねば!!!」とやる気が湧いてきて、日本に帰国するのに合わせて、ウーマン起業塾というワークショップに参加して、講師だった堀内瑠美さんのアドバイスも頂き、自分でもピンときたので「プロフィール作成サービス」を立ち上げました。
数年にわたって、沢山の方々にインタビューをさせて頂き、それをまとめてその方が持つ素敵なところが際立つことを大切にしてプロフィールを作成しておりました。今は、サービスの停止をしています。


2016年に伝授してもらったレイキの技は日々活用しています。
その他にも、2015年にロンドンに習いに行ったカフェキネシ、2018年にはOSHO禅タロット講座を受けに福山へ。その他その都度心動かされる講座には参加して、教えてもらったワークを積極的に生活に取り入れてきました。


このプロフィールの中にもおひとりおひとり名前を並べたいくらい好きなもの、好きなひとはいっぱいなので、またいろんな形で紹介してゆきたいです!!

不思議な世界も、美味しい食べ物も、この自然界が見せてくれる姿が尊すぎて大好きでこの世に生まれてきてよかったなーと最近になって、ようやくしみじみ喜びを覚えているところです。
思い返せばそのときそのときずっと幸せでしたけど、「今がいちばんだなぁ」と思えるのは幸せなことだなぁ!!!




今は女子中学生のようにやりたいことがいっぱいあって、何をしよう!?とワクワクしつつ色々なことに手を出しては、自己内省するのを楽しむ日々です。



日々のことを書き続けているこちら、note

ロックダウン期に始めたYouTubeチャンネル

8月の誕生日から100日連続投稿の挑戦をしているインスタグラム
https://www.instagram.com/hiroko_campolmi/

たま〜に更新するツィッター
https://twitter.com/taadee

2008年から書き続けてきたアメブロ
https://ameblo.jp/golosa/


と、頭の中同様混沌としていますが、少しずつ自分と仲良くなりながら過ごしています。
最近、自分の頭の中の整理と称してこんなnoteも書きました。


家族や周りのリアル&ネット越しの友人の存在、そしてこうしてこのページを読んでくださったあなたに心から感謝しています。


イタリアよりめいいっぱいの愛を込めて・・・♪

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