高畑勲の【線を画くということ】

「絶対的基準になるのは田辺[修]さんが画く線なんです、彼が選んだ線。線を選ぶっていうのは、ちょっとわかりにくいかも知れないが、(高畑さんがおっしゃってるように)物事には線がない、世界に線がないわけだから、その人物を線で捉えるというのは観念だ、とういこと。この線をここで選ぶ、アニメーションというのは線を選んでいるのだ。」(制作:西村義明)
(「高畑勲『かぐや姫物語』をつくる。~ジブリ第7スタジオ、933日の伝説~」より)


「[消し跡や迷い線も含めて生かす(人物造形:田辺修)、未完成ということ] 例えばこの子はこういう気持ちになってるから、それをサッサッと描きとめたらこうなった、ちょっと伸びたかもしれないが・・・でもこういう感じだったんだよ。完璧に捉えましたというのではなく、今の気分でパッと捉えたんた、ということ。」(高畑勲)(同)

「しげ(『ホーホケキョ となりの山田くん』のおばあちゃん)は線と色でできている。線は色を充たすための輪郭であることから解き放たれ。色は線に阻まれるまで充ち続けることから解き放たれた。その余白はススキの原のごとく風通しがよい。『かぐや姫』の線と色は、確かにこのしげから始まったのだ。」(細馬宏通「読み解く身体」、『ユリイカ』「総特集◎高畑勲の世界」第50巻第10号、2018年7月臨時増刊号、p.197)

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