見出し画像

人はお茶碗

秋の朝、ふと思った。人は誰でも意識するしないに関わらず、陶工がお茶碗を作るように自分自身を形作っている。問題はそのお茶碗の名前、つまり銘だ。「初花」とか「不知火」とかいろんな名前がつけられるけれど、自分という茶碗に、自分はなんという銘をつけるだろうか?
「叡知」とか「微笑み」などの銘がつくならいいけれど「愚痴」とか「偏屈」などの銘がついたりしないだろうか。
少し、このことを意識しながら日々の茶碗づくりをしたいものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?