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【教員退職】療休中の支え

お読みいただき、ありがとうございます。
小学校教員5年目になる、27歳です。
R6.3に退職することを決めました。
退職に至るまでの経緯や感じていることを思いのままに書いています。
前回からの続きの内容となりますので、良ければそちらもお読み下さい。





気持ちが落ち着かない療休期間

心療内科の先生の診断(適応障害)+相談をして、R5.11 ~ R6.3 までお休みをいただくことになりました。
実家に帰っての生活となり、体調面は2週間もあればすぐに戻りました。
夜はしっかり寝ることができて、食事も1日3食食べることができました。
点滴がないとフラフラしていた体力も少しずつ戻り、体重も増えました。
ここまではとっても順調だったのですが、どうしても職場に対する「申し訳なさ」が、何をしていても頭の中に出てきて、何となく気持ち的に落ち着かない日々が続きました…。
家でゆっくるしているときも、「今頃○○先生は…」「学校はきっと…」という頭になって、何もしていない自分にイライラしたり、何もできないのに不安になったり…。
もちろん、病んでいた当時の精神状態で教員を続けていても地獄でしたが、休んでもこんな思いになっちゃうって、どっちにしろ地獄だなぁと思いました(笑)。


全く関係ないことを、とにかくたくさん。

おそらく、「家でゆっくりする」みたいな時間が増えれば増えるほど、どうしようもないことをたくさん考えてしまうのが自分の特徴だろうと感じたので、休みが確定している3月までは、「仕事とは全く関係ないことをとにかくたくさんやろう!」ということを決めました。
具体的には…

・ 平日は、必ず夕食を作る。(3人分)
・ 興味のある資格を取る。(食品衛生管理者 / MOS / 秘書検定 … )
・ 体を動かす。(近くのゲレンデのシーズン券を購入)
・ 祖父母宅を片付ける。(現在空き家)

本当だったら、父母の仕事を手伝ったりして日中の時間をつぶそうと思ったのですが、あいにく2人とも教員で…。
あまり「やりたいこと」というものは無いタイプの人間なので、仕事以外でできそうなことで、1日を埋めてしまいたいという発想です。

午前中はスキーを滑りに行って、夕飯の買い物をして昼頃に家に帰る。
昼ご飯を食べたらスタバに行って資格の勉強して、帰りは空き家になっている祖父母宅によって、いらない物を捨てたり、整理整頓したり…。
家に帰ったら夕飯の支度をして、母と夕食を食べたら風呂に入る。

12月のおわり頃には、1日の流れが大体できてきて、仕事のことを余計に考えることも少なくなりました。


でも、結局支えになっていたのは…。

だいぶ仕事のことが頭から離せるようになって落ち着いてきた私ですが、結局支えになっていたのは、地元の友達でした。
仕事を休んでから連絡を取っていたのは、中学校の同級生が3人、高校の同級生が1人、全部で4人です。
中学校の同級生のうち2人と、高校の同級生は、私と似たような状況になっています。「上司と合わなくて仕事を辞めてきた」「職場環境になかなかなじめずに会社を休みがち」等々、仕事がうまくいかなかったり、平日に時間が合ったり、私が仕事を休んでから会うことが増えました。
私の話を聞いてもらったり、励ましてもらえたことも、もちろん支えになっているのですが、一番は「自分だけじゃないんだ」ということを実感できたのが大きかったように思います。
この先の人生を私がどうやって進んでいくかは、私自身が一番よく分かっていないことではありますが、どんな状況でも、地元の友達は大切にしてきたいなぁと思っています。

少しずつ、心も体も通常運転に戻ってきた私でしたが、いよいよ本格的に4月からのことについて、父と真面目に話すことになってしまいました…。
私は、そもそも教員を続けるつもりは全くないのですが、父は正反対で…。
「教員に向いている人」って何なんでしょう…?

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