【小説】『16才』⑨
「あのころ…
木曜深夜の"オールナイトニッポン"と
金曜八時の"ワールドプロレスリング"だけが
救いだった……」
ーーーーー
そこに、"殿"は座っていた…。
イシカワさんに促さられ、タバコをふかす"殿"の、テーブルを挟んで向かいに座る。もちろん正座だ…顔はマトモに見られない、俯いたままだ。
「イシカワから聞いたぜ…まだ16だって?」
「はい」
静かに顔を上げると、目の前に"殿"が居た。実物の"殿"はTVで見るよりさらに猫背で、小柄に見えた。
「16じゃ無理だな…帰んなよ、アンちゃん」
「…」
「帰んな」
「一生懸命やりますから…お願いします」
「お願いされてもなあ」
取り付く島がない。
「親は何て言ってるんだよ」
「親は…」
一瞬、答えに詰まった。
「父親はいません…母親は」
母の顔が浮かんだ。
「…母親は、家に帰って来ません」
マジメな顔で"殿"が言う。
「困ったもんだなあ…そんな親もよ」
少し〈グッ〉と来て、また俯いてしまった。
学校で先生や友達にも言えなかった秘密を、なぜか"殿"には言うことが出来た。たぶんオレは、本当は誰かに聞いて欲しかったのだろう。
「アンちゃん…それで家を出て来ちゃったのか」
「…」
「まあ、高校出てからだな…今日はメシ食って帰りな」
この話は終わりだ…と言わんばかりに、イシカワさんに指示を出す。
「イシカワ、そば屋に電話しろ…天丼3ツな」
「はい」
イシカワさんがさっと立ち上がり、てきぱきと動き出す。
"殿"は傍らにあった三本の棒を取出すと、右手と左手で交互にジャグリングの要領で三本の棒を操る。たしか正月の演芸番組でおなじみの師匠に「太神楽」を習っているとラジオで言っていた。
もはや"殿"はオレなど眼中になく、「太神楽」の稽古に没頭していた。時折棒を落としては、TVで見せるいつものクセのように小首を傾げ、何度もやり直す。いまやTV界のトップを走る"殿"ですら、陰で努力している…いや、努力などではなく、日常動作のような当たり前のことなのかも知れない。そんな裏の姿を知らずただ表の姿だけを見て、何の覚悟もなく押しかけて来たオレは、やはり甘かったのだ。
「ピンポーン」
玄関のチャイムが鳴った、イシカワさんが応対する。天丼が届いた。テーブルの上に並べられ、"殿"とイシカワさんの3人でテーブルを囲む。
「アンちゃん…食べな」
「…」
"殿"が天丼を食べ始める。それを見てイシカワさんも食べ始め、オレも何となく食べ始める。
「…」
「…」
「…」
特に会話もなく、3人で黙々と食べる。学校での昼食を除き、人と食卓を囲むのはいつ以来だろう。しかも、それがまさか"殿"だとは…。
「ごっそさん」
天丼を食べ終えると、"殿"は再び棒を手にして「太神楽」の稽古を始めた。もはやオレは、ただいるだけの空気のような存在になっていた。イシカワさんが食べ終えた天丼の器を片付ける。手伝うべきだろうか…そういえば、「いただきます」「ごちそうさまでした」を言っただろうか。緊張は言い訳にはならない…弟子入りを断られても、そのような礼儀はしっかりと見られているような気がした。
「ピンポーン」
再び玄関のチャイムが鳴る。
「殿、仕事の時間です」
リビングにパンチパーマのヒトがにこやかに入って来た。すぐにわかった…このパンチのヒトがマネージャーのキウチさんか。
ーーーーー
ここでサヨナラ 口癖になった
いつもの言葉が 今日は何故だか
ここでサヨナラ 部屋の灯が
一つ衝くまで ここにいるから
ずれた時の夢に 心震わせて
My darlin'サヨナラ 忘れた愛を
教えてくれた 僕の心に
何もむくわれぬ恋に 笑う君が哀しくて
My darlin'サヨナラ ずれた時を
取り戻せるなら 飛んで行きたい
I love you サヨナラ 頬の涙を
君が拭くまで ここにいるから
むくわれぬ夢を 一人紡いで
My darlin'サヨナラ 何時の日逢える
その日夢みて 君にサヨナラ…
(ビートたけし『新宿午前3時25分』より)
ーーーーー
「おう」
"殿"が立ち上がり、玄関に向かう。
『16才』⑨ END
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加筆修正した総集編を
毎週日曜日にnoteに掲載
おそらくは"殿"効果で、前回⑧の反応に驚き、困惑するばかりです。
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