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石渡伸太郎、格闘技と生きる~RIZINバンタム級GPを越えて~(後篇)

2013年6月22日、「VTJ 2nd」で堀口恭司と5Rにわたる死闘を繰り広げた石渡伸太郎は、2017年12月31日、さいたまスーパーアリーナ最後の試合で、堀口と共にリングに立っていた。

高校、大学と柔道部に所属しながら、総合格闘技の練習を始めた石渡は、2005年アマチュア修斗で初のリングを踏み、戦極を経て、パンクラスで王座挑戦。2011年、遅咲きの王者となった。

防衛を重ねるなかで、海外修行も経験し、“日本で強くなる”ために「Team OTOKOGI」を結成。その集大成として、堀口との再戦に臨んだ。

キング・オブ・パンクラシストとしてRIZIN参戦を決めた石渡は、2017年の年末、3試合を戦い抜くなかで、何を考え、何と戦っていたのか。3月17日(土)に発売される『ゴング格闘技ベストセレクション 1986-2017』刊行を記念したロングインタビュー第2弾の後篇を公開。(text by Matsuyama Go, photographs by RIZIN FF, GONG KAKUTOGI/Wakahara Mizuaki)

石渡伸太郎インタビュー前篇

■石渡伸太郎インタビュー中篇

グローブタッチのときに言ったんですよ。「来たよ」って

——GP準決勝で大塚選手が積み上げてきたものも感じられる試合だっただけに、あらためて相手の夢をその体で直接潰して勝ち上る格闘技のシビアさを感じました。しかし、これで2試合をクリア。その日のうちにもう1試合ある、というのは……。

「正直に言うと、そんなに余裕は無かったんです。ほんとうに1個ずつやっと勝ち上がってきたので、辛かったですね。帰りたかったです(笑)。今日まだやんのか、嘘でしょって感じでした」

——……準決勝が3年ぶりの再戦という大一番で、続けてここ数年の集大成的な試合が2日間で3試合目というのは、どう考えてもタフなものでしょうね……。数時間後の試合に向けて、もう1回、どのように作り直したのでしょうか。

「マジかよって思ったのは試合後の5分ぐらいで、そこからは、じゃあ準備しなきゃ、とまた試合前の準備に追われてました。イチロー選手じゃないですけど、ルーティンがあるので、それが時間がかかるので早くやらなきゃ、みたいな」

——単にアップだけではない、石渡選手独自のルーティンがあると。

「今回の試合に向けて、自分のコンディションと向き合う方法を見つけたんです。傍から見たらそんなに変わらないかもしれないですけど。練習仲間からよく言われてたんです。『本気でやってないんじゃないかって思うくらい調子の良くないときと、逆にどうしたんだっていう強いときがある』と。自分でもそれは分かっていて、コンディションの浮き沈みがすごくある。その波がなんなのかということを競技生活を長くやってきて、やっと見つけたんです。怪我とかは別にして、今回そのやり方で、いいときの状態で持っている力を全部使って戦えたというのはあります」

—─それはコンディショニングトレーナーらと作ってきた?

「そうです」

——もう少し教えてください。試合前にそのコンディションと向き合う方法では、どんなことをするのですか。

「そうですね……細かすぎるんですけど、関節可動域とか、筋肉の固さとか、そういったものをチェックするような感じです。それを決勝に上がるときもちゃんと保っていました」

——でも満身創痍というか、いろいろな部分に負傷があった。次、戦えるのかなとは思わなかったですか?

「当然、痛かったですけど…………、あと15分終わって死んじゃったら、しょうがないって、そういう覚悟はあったので」

——……そんなことはあってはいけないですけど……そういう覚悟を決めて試合に向かっていたということは、想像はできます。堀口恭司vsマネル・ケイプの準決勝はモニターで見ていたのですか?

「見てました。マネル・ケイプ、打たれ強いなと思って。天才肌なんだろうなと思いました」

——あの態度はいただけないものの。

「態度は、堀口選手に対してはなぜか紳士的でしたけど、俺に対しては終わってからもなんかやってたので……。堀口くんが言っていたように僕も、MMAを野球やサッカーのようにスポーツとして認知させたいって思いがあります。……同じ大会でも、体重超過の問題とかもあって、ちゃんと競技者としてやっている人間を見せたかった。だから、ああいうケイプの態度はファンが楽しければいいかなと思う部分もありますけど、ある程度わきまえてやってほしいと思っていました」

——たしかに。試合では、ケイプのバッティングで堀口選手の意識が飛びました。そのピンチから持ち直してテイクダウンに切り替えての一本勝ちを見て、どのように感じていましたか。

「やっぱ半端じゃないなと思いました。強さを見せつけたというか。練習の幅、練習量、そういったことが出ていました。あのバッティングは効いてましたから。足の動きが明らかに落ちていたし。そこから切り替えて一本取ったのが本当にすごいなと思いました」

──そして決勝戦。花道で咆哮して、リングに向かいました。この時の気持ちは?

「頑張ろうって。2日で3試合目なので、いい意味で力は抜けていましたね」

──先に石渡選手が入場して、堀口選手が続けてリングイン。サイドステップでリングを一周したときに、コーナーにいた石渡選手に拳をコツンと合わせにきましたね。

「そうでしたね。だから、自分もリング中央でのグローブタッチのときに言ったんですよ。『来たよ』って。約束通りに(決勝に)来たよって」

──そうだったんですか……。堀口選手の反応は?

「無言で肩をペンペンって叩いてきました。そうか、これから戦うんだなって僕も思って、コーナーに戻りました」

すごく楽しかった。日本刀で突き付けられているようで

——互いに4年前と比べて、様々な面で強くなっている。今回の堀口戦に向け、どんな作戦を考えていましたか。

「作戦は……最後の結果とはすごく矛盾しますけど、追いかけない。カウンターを合わせるっていうものでした」

——あの飛び込みに。たしかに合わせようとしてましたね、入ってきたところに右を。

「堀口くんはやっぱり最初、容易には入ってこなかったです。そこが賢いですよね。そこでポコンと入ってきてくれれば僕にもチャンスがあった。でも試合の入りが凄く慎重だった」

——1R最初の1分30秒過ぎまで、共に間合いを測りつつ緊張感ある神経戦でした。「先の先」「対の先」「後の先」どれもがあるような。堀口選手は牽制の前足へのローと右ミドル。この入りをどう感じていましたか。

「何て言うか……これ視聴率大丈夫なのかなと考えてしまいました。生放送だと聞いていたので、このやりとりは伝わるのかなと。勝負どころを作りにいかないといけないなと思いました」

——そんなことまで気にしていましたか……。堀口選手は左右スイッチしながら出入りのフェイント。そこに石渡選手は“反応”をしていました。カウンターを合わせようと。

「堀口くん、全部入ってくるフェイントでチェックしているんです、僕の動きを。だから同じ動作をしないように気を付けました。もし全部右でかぶせていると、それに対応した攻撃で飛び込んでくるので。喧嘩四つで前手と前手が触角みたいに触れたときも、足の位置や手の位置、全部測りながらやっている。叩いたときのリアクションも全部見てる……でも、あのときすごく楽しかったんです。日本刀で突き付けられているような感じで、ゾクゾクするというか」

——拳が交錯していなくても互いに斬り合っている、と。

「何かの瞬間に少し甘いリアクションとかをすると、『駄目だ、もっと集中だ』みたいな感じでした。本当に一斬りされたら終わりだって感じていました」

——あのメインの雰囲気はタイトルマッチのような空気、さいたまスーパーアリーナでいえばヒョードルvsミルコ戦のときのような厳粛な空間でした。2人が勝ち上ってきたことへの敬意が観衆から感じられて。でも、その序盤で「生中継だ」と言われたことがひっかかってしまった……。

「スポーツを見せると言いながらそれに徹し切れず、自信を持ち切れなかった自分の負けなのかなと思います。……普段あんまりハイキックなんて狙いに行かないのに、それで結果蹴り足を掴まれて倒されているので……」

——ただあの蹴り、結構ハードヒットしているんです。

「カウンターで入ってましたね。相手がのけぞってそこに左(フック)でも殴ったんです。少し効いたかなって」

——はい。でも堀口選手はその蹴り足を肩口まで上げてスラムしてきました。堀口選手、フィジカルも強くなっているなと感じました。

「そうですね。あの対処も素晴らしいというか。足を下ろせなかったです。僕、片足立ちであんな風に転ばされることは滅多にないんですけどね。それに体の強さには正直、驚きました。体が強くなっているなというのは、公開練習のときに見て分かっていたんですけど……」

——あの公開練習で堀口選手はシャドーだけでした。その動きで、直に見ると分かるのですか。

「分かります。体格が以前と違うのも感じたし。動きのキレや安定感で体が強くなってることは分かってたんですけど、実際に組んだら……もう本当にそれ以上でした。コツコツ受けてるパウンドが、これまで経験したことがないようなパウンドでした」

堀口選手のパウンドで何度もブラックアウトしていた

——石渡選手の身体に異変があったにしても、ああいう形でもらい続けることはこれまでに無かった。

「初めてですね、あんなことをされたの。プレッシャーが凄かったです。パウンドはハファエル・シウバのそれでした」

——日本人選手にない、海外選手のフィジカルだった。グラウンドになってからも、ほとんど背中を着くことがない石渡選手が背中をつけさせられました。

「圧力そうとう強かったですね……。パウンドのプレッシャーと、パスガード、サブミッションのプレッシャーもかけてきてたし」

——腰を切られてパスされかかった足をハーフに戻して、「もう1回フレームを作れ」という植松直哉コーチの声に、石渡選手が顔の前に腕を入れようとしていました。そこからああいう形で後ろを向くことは、普段の石渡選手の試合からは想像できませんでした。

「……おかしいと思いますよね。あのときの自分の状態では、ああせざるを得なかったんで……それが必要以上の大きなリアクションにはなってしまいましたけど……そうでなくても、抑え込まれているときに、彼がとんでもない量の練習をやってきていることを、肩で感じました」

——マウントを取ってからの堀口選手のパンチがえげつない音がしていました。

「打ってくるパンチがとんでもないパンチなんです。一発一発、目の前が暗くなる。脳みそが中心まで殴られているような……。気がついたときには、リングの外に顔が出て殴られてたんです。あのとき、1回、1回、ブラックアウトしていました。ダウンするようなパンチを数十発、打たれていたような感じで。殴られて気が飛んで、殴られて気が戻って……それでセコンドの声が、『立て、立て』って聞こえてきて、“立たなきゃ”と思って……」

——残り20秒以上あって、一発ごとにブラックアウトしていた……。アゴも上るようなパウンドを受けていたのに、ロープ外に出ていた頭を自分で中に戻して、コーナーを背に立ち上ったというのですか……。

「一瞬、気が戻ったときに声が聞こえて、もう無意識ですね」

——体に染みついた動きでコーナーを使って無意識に立ち上がった。このときも大塚戦のダウン後のように、けんかモードになったんです。覚えていますか。

「いまは覚えてます。沸いてるなと思ってました。お客さん沸いてるわって。そこで前に出て打ち勝てたので。ただ……今となってみれば、あそこは(堀口が)付き合わなかっただけなんだなとは思います」

——気持ちは感じました。やってやるぞという

「本能的な部分ですね。元々そういう性格です(苦笑)」

「次もらったら立ってられないから勝負しに行くよ」って

——1R終わった時点で相当ダメージがあったと思うのですが、インターバルではどう考えていましたか。

「帰ってきて言ったんです、セコンドに。『次もらったら立ってられないから、自分から出て、倒されるかもしれないけど、勝負しに行くよ』って」

——…………。

「ブラックアウトして起きての繰り返しだったので、次もらったらブッ飛ぶのが分かっていたので、自分から勝負しようと。あそこでまた1Rの序盤みたいに、じりじりやられて殺されたら後悔するじゃないですか。だから前に出て……。でも、試合前に絶対にやっちゃいけないことは、堀口の近くに行くことだって思ってたんです」

——……それなのに、最後は自ら近くに行った。

「そうせざるを得ない状況を作られちゃったので」

——セコンドに宣言した通り、2Rは一気に前へ。作戦では「追わない」と決めていたのに、追っていった。堀口選手の右ミドルと石渡選手の右ストレートが相打ちになって、さらに詰めて行った。

「あそこで少し嫌がっているように見えたんです。それで前がかりになって、また大塚戦と同じミスをしている」

——左を振って崩れたところを打ち抜かれた。痛めた箇所のために踏ん張れていないんじゃないですか。

「……それはたぶんそうじゃなくてもバランスを崩していたと思います。あの瞬間、僕は見えてないし。堀口はしっかり見てる。ワンミスを許してくれない。強い選手とやると、一つミスするとそれがフィニッシュにつながるので。たいていの選手は1個、2個ミスしても見逃される。あるいは気付かない。でも堀口くんはそれを許してくれない。それが、実力の差なんだなって感じます」

——カウンターで右をもらって、前のめりに倒れて、すぐに追撃のパウンドをもらった。冒頭で話してもらった通り、試合直後は記憶は無かったわけですよね。

「終わったときに、上を見たら人が集まっていて、『寝てて、寝てて』って言われて、『嫌だ、嫌だ』って言って。『堀口くんのところに行きたい』って言って、堀口くんに挨拶しに行って、セコンドに挨拶して……そこまでは覚えてるんです。そこから覚えてない。リングサイドに1回座って、表彰式を待っているところが一瞬、プツッとあって、あとは医務室にいた」

——自分がいる場所も分からず、RIZINに出たということさえも飛んでいた記憶が、徐々に戻ってきて、こうしていま詳しく話してもらっていることにホッとしています。

「記憶が戻ってきた当初は、やられたシーンばかりがフラッシュバックするんですよ……。マウントで殴られているシーンとか。だから……悔しさだけがずっと残っていて」

“競技者としてやっている人間たちの戦い”を見せたい

——今日は、悔しさだけじゃない言葉も聞くことができました。柔道をやってアマチュア修斗から出て、戦極を経て、パンクラスで王座を獲得し、防衛を続けてきました。海外も視野に入れていた石渡選手がRIZINに出ると聞いたとき、個人的にはちょっと意外でした。

「分かりやすい言葉で、4年前に対戦した『堀口くんにリベンジする』と言ってきましたけど、堀口くんが言っていたように、日本でもこの競技がスポーツとして認知されたいっていう……それを僕も一緒にやりたいという気持ちがありました。その主役は僕がやりたかったんですけど、それは取られちゃったけれども、“競技者としてやっている人間たちの戦い”を見せたいって」

——それを地上波で、世間に届く形で、堀口選手や大塚選手とだったら見せられると。

「それをしたいという思いがあって……。パンクラスで世界にこういうスポーツがあるって伝え続けた。パンクラスは世界標準のスポーツにしていくってことでルールも変えた。僕も同じ思いで戦っていたので、それをRIZINの舞台でも示したかったです」

——その思いはいろいろなところで伝わっていると思います。29日の試合後、バンタム級GPの試合を見たマッチメイク担当の柏木信吾さんが泣いていました。「選手たちに感謝です。この試合を本線に……」と。テレビ放送というしばりがあるなかで、体重超過の試合が中止になったことも、直接的ではなくても、GPの試合が影響を与えていると思います。何よりファンが支持をした。

「そういった意味では、仕事はしたのかなとは思いました」

——まだ、心身ともにダメージの残る状況ですが、今後について考えていることはありますか。

「競技者としてはダメージと相談しながらなので、簡単に『あと5年頑張ります』とか言えないですけど、次が最後になるかもしれないし、もう最後だったのかもしれないし……競技者としては、試合が終わったばかりのいまはなんとも言えないです」

今回の試合は「OTOKOGIとアメリカの戦い」だった

——「競技者としては」という言い方に、石渡選手のなかにはもう少し俯瞰した立ち位置を感じます。

「今回の決勝は──スポーツとして認知されたいと思っている人間が、日本じゃ出来ないと言ってアメリカに住んでいる状況があって、一方で日本ではTeam OTOKOGIを作ったわけじゃないですか」

——はい。海外での出稽古を繰り返すだけでは外国人選手に及ばない。かといって皆が皆、現地にずっと滞在することも出来ない。ならば、向こうで練習してきたこと、考え方を学んで日本で採り入れようと。

「そうです。それに各コーチの繋がりという面も。組み技のコーチと打撃のコーチが、試合の時だけ一緒にいるんじゃなくて普段から繋がっていて、試合が決まったら話し合って作戦を立てられるような環境を作りたかった」

——実際、植松直哉コーチも新井誠介コーチも共に練習から見ていますね。

「だから……今回の試合はOTOKOGIとアメリカの戦いだったんです。それで、完敗だったわけです」

——……そんな想いも抱えて臨んでいたんですね。VTJ後、一時期は、堀口選手もOTOKOGIに出稽古で通っていました。そしてUFC参戦を決めて、渡米した。

「だから、またそこからなのかなって。僕はアメリカで住んでやっていくというのは考えていないので。これは今後もずっと日本人選手が背負い続ける課題だと思うんです。ほんとうはMMAの業界を変えるような仕組みを作っていかないといけないのかなというモチベーションはすごくあるんですけど……どうしていいか分からないし、賛同する人がどれだけいるかも分からない」

——そこはメディアも含め、世間の意識を変えて、ファイトスポーツとして成り立つよう、スポーツとして認められて様々な場面で予算がつくように働きかけていかなくてはいけないです。そんななかで、石渡選手は日本の環境においても強くなれるように、と考えている。

「はい。堀口くんと1対1で戦いましたけど、チーム戦だったんです。OTOKOGIのコーチたちと出て、向こうはアメリカのコーチたちと出てきた」

——そうですね。かつてはDEEPで戦い、WEC、UFCで活躍したマイク・ブラウンが堀口選手を指導して、打撃コーチと共に乗り込んできた。ただ、堀口選手も米国での練習がほんとうに気がおかしくなるほど孤独だと、吐露していました。

「そうでしょうね。やり続けてすごいですよ。誰もができることじゃないことを彼はやっている。ただ、日本人ファイターとして僕は、やっぱり日本で強くなっていきたいんです」

——それを証明したかった。

「どういうモチベーションで、これから何をしようかなって、試合後ずっと考えています。環境づくりが先だと思うんです。今、日本だと少し賢くて、自分でいろんなことを消化できる人間はある程度まで上に行ける。でもそうでない人間もいる。底が上がるとたぶん上も上るんじゃないかって」

——ボトムをもっと底上げしたいと。

「いまOTOKOGIに入れる人たちは、何とかしようという選手ばかりだし、ある程度の所得がファイトマネーで得られる人たちじゃないとできない。でも格闘技って、効率よくやれば練習はそれほど長くないじゃないですか。例えばアルバカーキ(ジャクソンズMMA)に行っていたときなんて、朝練習して、昼過ぎぐらいにレスリングやって、もう終わりなんです」

——その間の時間も含めて、人生を充実させている。

「日本の場合だったら、選手がその後にしっかり働ける。例えば朝と昼に練習して、それがちゃんとシステムとして確立されたもので、ちゃんと強くなれる練習であれば、その後に時間があるから、将来のために勉強して時間を使ったり、収入を得るために使ったりとか、そういうことができて、人生をもっと前向きに進んでいければ、よりファイターとしても集中できて、もっと優秀な人材が入って育っていくんじゃないかなって。そういう思いが、試合が終わっていろいろ考えていくうちに、浮かんでくるんです」

——有望選手には住み込みで指導をしてもらい、スポンサーも見つけて、という形を試みているところもありますね。

「アメリカで修業中に、イジーの姿を見てて、ほんとうに素晴らしい職業だなって感じたんです。選手たちを引っ張って、人生を明るい方向に持って行って、レスリング選手だったら、奨学金でいい大学に進学して、両親からも感謝されて」

——それを日本の格闘技でも実現させたいと。格闘技のジムやクラブが文化としてアメリカの生活のなかに根付いていて、周囲の理解もある。格闘技は人生を豊かにするものだと。日本ではオリンピックスポーツでは国や企業がサポートして成り立っている部分もありますが、そうではない格闘技は……。

「格闘技を一生懸命やればやるほど社会人としては遅れていくという状況じゃいけない。そうじゃない人たちは、本当にごくわずかのトップの人たちだけでいいのかって」

——優秀な人材が離れなくてもいいように。いまは年齢との兼ね合いのなかで、その焦燥感の中で強くなっていかなくちゃいけない。

「僕もずっとそれと戦ってきました。だから、それを変えたい。年齢だけは本当にもう取り戻せないので、僕がまだ24歳だったら自分がやって見せればいいんですけど、そうじゃないのであれば、環境を作らないと。自分が戦いながらそれができれば一番いいんですけど……。OTOKOGIはそういった環境づくりの一歩だったんです」

——そのために、より多くの人に見てもらえる場で、2人の試合をやる必要があったんですね。観てもらえれば、それが体重差や技術差のある試合とは違うと分かってもらえるだろうと。しかし、その役割は選手に背負わせちゃいけないです。メディアも言い続けないと。

「それをしないと、たぶんこの業界は終わっちゃう。下火のまま、あるいは小さなブームのままで。……イジーを見て、この人みたいになりたいなという気持ちがありました。それは、自分が競技者として今回で一区切りついたとか、競技者としてもう諦めたとか、そういったことではないんですけど、今の僕のモチベーションは、これまでとはもう一つ違うものを追い求めながらやる時期が来たのかな、とも思っています」

誰ともやり残していない。でも最後は……

——今回の試合で、ファイター石渡伸太郎の知名度が上ったのもたしかだと思います。

「いまはいいランクまで来れましたけど、たぶん、最初は誰も僕のことなんか気にしてなかったし、そこから比べたら、ずいぶん成長したな、とは自分で思っています」

——もっと対価を得るべきだと思いますよ。

「時代が悪かったとか、業界が悪かったとか、あと10年違えば状況も違っていたというのは分かっていますけど、そんなことを言ってもしょうがない。だからこそこういう新しいモチベーションがあるとも言えます。格闘技そのものは、一生やめられないと思うので、僕は。一生強くなり続けたいと思っているんです。だから、たぶん止められないと思います」

——格闘技と生きていくと。

「競技者としてMMAをやっている。それが一番だった。そのなかで、例えば、柔術にチャレンジしたい気持ちもあります。パンクラスのチャンピオンとして柔術大会に出たら……青帯で勝てば文句を言われるだろうし、紫で出て負けたら、あいつ負けたよって叩かれるかもしれない(苦笑)。いまのモダン柔術のなか青帯で出たからって優勝できるとも思えないですけど、そういう動きや考えをMMAにもっと採り入れて、後進に伝えたいという思いもあります」

——ベンソン・ヘンダーソンも普通に柔術大会に出場して、勝ったり負けたりしています。別の競技ですが、格闘技として同じだと考えられることが、豊かさじゃないでしょうか。

「すぐ飽きちゃうので、僕(笑)。柔道や柔術とか、いろいろ戻れるものはずっと長続きするんです。でも、SNSとかを見ていると、『また試合を見たい』とか書いてくれている人たちがいると、また見せたいっていう思いもあります」

——あえて聞きますが、4年越しだった堀口恭司戦以外に、やり残した戦いたい相手などいますか。

「いないです。誰ともやり残してないし、やり尽くしました(笑)。ただ、ひとつ少し心残りがあるとしたら……、もしいま止めたら、パンクラスが最後じゃないんだな、という気持ちはあります」

——デカゴンのなかで……。

「勝とうが負けようが、ずっと注目されなかった。それがパンクラスで花開いたというか、一緒に育ててもらったという思いがあります。だから、最後がパンクラスじゃなかったら、悔いが残るかなとは思います」

——分かりました。まずはゆっくりと身体を休めてください。どんな形であれ、石渡選手の今後に注目しています。まだダメージが抜けないなか、今日は長時間にわたり、お話を聞かせていただき、ありがとうございました。

「ありがとうございました」

◆石渡伸太郎が代表を務めるワークアウトジム&サロン
「TEN SENSE DAILY LIFE SALON」
東京都渋谷区恵比寿南1-14-12 ル・ソレイユ3 3F/4F
03-6412-7248 http://tensense.jp/

◆堀口恭司の使命──RIZINバンタム級GPを越えて(前篇)

◆5月6日『RIZIN.10』マリンメッセ福岡大会・詳細

【取材を終えて】

インタビューは1月某日、「OTOKOGI」練習が行われている駅近くの喫茶店で収録された。ドクターから激しい動きを止められている石渡自身は練習に参加しないものの、この場所に足を運んだという。

ワンデートーナメントは、その苛酷さゆえにドラマが生まれやすく、主催者も我々メディアも物語を見い出し易い。よって、地上波等の放送機会を得たプロモーションは、そのチャンスを逃すまいと必死の思いのなかで、様々なカードのひとつとしてワンデートーナメントというジョーカーを使う。いつの世も負担を背負うファイターは、その代償と対価を天秤にかけるしかない。

しかし、今回のバンタム級GPの日本人選手たちは、それ以上の使命を持って、戦いに臨んでいた。インタビューで決勝の2人に、比較的試合の動きを中心に細かく聞いていったのは、「日本でも格闘技をスポーツとしてとらえてほしい」という両者の想いを汲んでのものだった。

言うまでもなく格闘技に限らず、スポーツは心技体、フィジカルもテクニックもハートもそれぞれが連動している。その選択や動きのなかに、様々な物語も含まれている。また、今回インタビューに登場した選手以外にも、日々の鍛練をこなし、タフな試合を越えたファイターにはそれぞれに物語がある。そこにどんな光を当てるのかは、伝える側の仕事となる。

そして、格闘技は直接、対人でフルコンタクトし、コントロールするという人類五千年の歴史の集積によって、いまがある。その豊潤な世界を探求し続けたのが、『ゴング格闘技』という格闘技専門誌の一面だった。
           *

今回のロングインタビュー全編公開は、3月17日(土)にイースト・プレスより発売となる『ゴング格闘技ベストセレクション 1986-2017』のPRを兼ねての企画となります。この30年の格闘技の歴史を網羅することは不可能ですが、格闘技の魅力が詰まった一冊になっています。

今回のインタビュー同様、『ゴング格闘技ベストセレクション 1986-2017』もぜひ手に取ってみてください。それが今後のゴン格シリーズに繋がります。格闘技の面白さ・奥深さを伝え続けることで、格闘技にかかわる人たちの人生が様々な面で豊かなものになることを願って──。

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◆『ゴング格闘技ベストセレクション 1986-2017』
 3月17日(土)イースト・プレスより発売

『ゴング格闘技ベストセレクション 1986-2017』が3月17日(土)イースト・プレスより発売。本文二段組、560頁に及ぶ第1弾の今回は歴史篇。柔道、柔術、レスリング、バーリトゥード、MMA、空手、キック、立ち技格闘技──ゴン格31年の取材史に書き下ろしコラムも収録! → http://goo.gl/Enmvrc

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