「山本“KID”徳郁お別れの会」(1)山本美憂、堀口恭司、魔裟斗、須藤元気、内山高志コメント

11月4日(日)東京・青山葬儀場にて『山本“KID”徳郁のお別れの会』が行われた。9月18日に41歳6カ月でがんにより逝去したKIDとのお別れ会には、多くの選手・関係者が献花に訪れた。ファイターたちが語ったKIDとの思い出、手向けの言葉をまとめた。(※後ほどコメント追記)

【写真】花祭壇には、KREAZY BEEのカラーでもあり、「エネルギーの感じられる黄色」をメインカラーに、菊3000本、カーネーション2000本をはじめ、KIDが好きだった生命力あふれる南国の花々など7000本以上が飾られた。

◆山本美憂「最後はみんなで『愛してるよ』と」

「お見送り、というより、ほんとうに皆さん、一人ひとりにありがとう、という感謝の思いを込めた会だったと思います。

(祭壇に向かってどんな話を?)こんなにみんな来てくれて嬉しいねって。向こうからは見えるけど、私たちからはKIDのことが見えないから、どんな反応をしているか分からないけど、とりあえず、ノリ(KID)がいまリングに立てない分、私が立とうと。

(KIDは)あのままだった。KIDも私もやりたいことを自由に貫いてきたという感じ。KIDがいたから今の私がいてすごく感謝しています。

弟だけど小さい頃から常に一緒にいてくれて、最後は私のコーチでしたから、大先輩としてコーチとして、弟の背中を見て最後は、すごいいい思い出ばかりです。

私がKIDを見ていて凄いな、花道とかをうらやましそうに見ていたところを、私の(MMA)デビュー戦で一緒にKIDの曲で2人でダンスしながら出て来れたのがすごく嬉しくて。ただKIDがセコンドのときに、私が勝った試合がなかったから、それがちょっと悔しい。でも、いつも一緒だし、これから登り詰めていくところを一緒に駆け抜けていきたいなと思います。

(闘病生活は)ほんとうに最後の最後まで強かったですね。痛いとかそういうことは言わずに、自分はもう辛いはずなのに、わざわざインスタで見つけたキックの動画とかを送ってきて『これをやってごらん』とか、ほんとうに最後の最後まで辛いとか言わずに、私も彼が病気なのに、兄弟喧嘩していたくらいで(苦笑)。それで私がいじけたりすると、普通にあしらわれたり。

亡くなるときも一緒にいたし、その前からも普通に話をしていました。だから、ほんとうに信じられないというか……。最後は家族みんなで、奥さんも、グアムのチームのみんなも『愛してるよ』と言って、『またすぐ会おうね』って(送った)。

(泣き言は言わなかった?)そうですね。私が勝ったとき、泣いていたみたいです……。私を勝たせたいという気持ちでいっぱいで。最後まで練習のことばっかりしゃべっていました。『美優はまだキックができてないからちゃんとやれよ』って。私も頑張ってトレーニングするし、『美憂の身体能力、絶対に誰にも負けないから、トレーニングしっかりやらないとダメだよ』って、いつも信じてくれていたので、それを絶対に忘れないでこれから勝っていきます。RIZIN、大晦日も出る確率が高いので見ていてください。KIDみたいにスカッと勝てるように頑張ります」

◆堀口恭司「今までありがとうございました、これからも見守っていてください」

「(KRAZY BEEに内弟子で入ったときの印象は?)KIDさんに初めて会った時に、『内弟子にしてください』という話をしたんですけど、『ああ、いいよ』って一瞬で決まって、『明日から荷物を持って来な』って感じだったので、すごいビックリしました。うわっ、なんだこの人って。すごい心の広い人でした。

自分も小さいし、KIDさんの試合を見てこういうスタイルなら自分にも出来るなと思って、KIDさんのジムを選びました。

練習でめちゃくちゃぶっ飛ばされました。もっと若いときにやってたら、もっとぶっ飛ばされてたんじゃないかなと思いました。スパーとか試合前にアドバイスを求めると、いつも『全然、大丈夫。恭司なら平気』と。そんな感じでした。

(米国行きを伝えたときは?)『俺も行きたいよ。一緒に行こうよ』と言われました。アメリカにいる時にも電話で『俺もそっちに練習に行ってもいい?』と聞かれたこともあります。

最後に会ったのは1年以上前でした。いつも試合が終わったら、米国へ帰る前に、KRAZY BEEジムへあいさつに行っていたんですが、事前に連絡しても日程がなかなか合わないことが多くて、『恭司、来てたの? 会いたかったな』って言ってくれて。

(9月の那須川戦は闘病中のKIDに早く見せたかった?)そうですね。それもあります。(那須川戦が)終わったらあいさつに行こうと思っていたんですけど、その前に逝ってしまったんで……。

(遺影のKIDには)今までありがとうございました、これからも見守っていてください、と言おうと思っています」

◆魔裟斗「当時、みんな必死に戦って、まさに戦友でした」

「今日を迎えるまでは、渋谷あたりで『おっ、魔裟斗くん』って現れそうでしたが、この場に立つと、本当にこの世にいないんだな、と実感がこみ上げてきます。この場にいないことが本当に残念でなりません。2004年に、リング上から『2人で大晦日、盛り上げよう』って言って、大阪ドーム、超満員で戦った試合、アドレナリンが出まくって、唯一戦って楽しかった試合で、本当に盛り上がりましたね。当時、みんな必死に戦って、まさに戦友でした。メディアの前ではやんちゃなことばかり言っていたけど、小さい身体で、体重差のある相手にも真っ向勝負する姿に、根っからのアスリートで、素晴らしいファイターだと思っていました。

その後、11年ぶりに2015年の大晦日に2人で戦って、結果あれが最後のリングになったのも運命的だったのかもしれません。いつか2人で酒でも飲んで思い出話でもしたかったけど、実現しなかったのが心残りです。

KIDも新しい家族もできてこれからって時に病気になってしまって、本当に悔しかったと思います。これからはKIDイズムを持った後輩たちが、KIDのファイトスタイル、魂を継承して、格闘技界を盛り上げてくれると思うので、あの世で見守っていてください。最後の最後まで現役選手、お疲れさまでした。KID、今までありがとう」

◆須藤元気「KIDさん、ありがとう。来世で会ったら今度は負けませんよ」

「僕と戦って勝っている(2005年12月31日『K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!』での「HERO'S 2005ミドル級世界最強王者決定トーナメント」決勝でKIDと対戦)ので病気にも勝って欲しかったですが残念です。

トーナメントの決勝でKIDさんに負けて悔しい想いもありますが、一緒に戦ってきた仲間です。こんなに格闘技の仲間が一堂に集まるのは僕が引退してから11年ですが初めてです。それだけ多くの人に愛されていたということ。KIDさんの人柄ですね。

KIDさんと入場した時に一緒に踊ってくれたんです。その後、試合には負けてしまったんですが、一緒に踊ってくれた人は初めてだったので嬉しかったし、印象に残っています。

僕は今大学でレスリング部の監督をやっていて、KIDさんとはレスリングの会場でお会いしました。2年前です。病気になっているとは思わなかったです。いつも通りのKIDさんでした。強い人ですからね。そういうところ(闘病の姿)は見せなかった。病気のことはニュースで見て驚きました。まさかこんなに早く亡くなられるとは思わなかったです。

KIDさんは湿っぽいのが好きではないと思うので、『ありがとう』と言いたいです。来世でまた戦うかどうか分からないけれど『今度は負けませんよ』って言いたいです。本当にKIDさん、ありがとうという気持ちです」

◆内山高志(プロボクシング元WBA世界スーパーフェザー級スーパー王者)「負けた翌日に声をかけてくれた」

「8年くらい前からKIDさんと知り合い、3、4年前から結構、話すようになりました。格闘技会場で会って話をしたり、家も近所だったのでたまにすれちがったりしていました。

(訃報を聞いた時は)ビックリしました。病気と聞いた時は、グアムに行ったら会えますか、と関係者に聞いたんですが、大変だったみたいで会えませんでした。ショックでしたね。これだけ元気で強かった人が、こうなってしまったのは寂しいです。

昔からファンでしたし、憧れていました。一番好きなファイターでしたね。トリッキーだし、殺伐とした感じがカッコよかったです。

2年前の大晦日で再戦で負けた(ジェスレル・コラレス戦)翌日、1月1日に近所を落ち込んで歩いていたら、KIDさんが車で通りかかって、車のなかから『内山くーん!』って窓から手を振ってくれて、それで元気になったのを覚えています」

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