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【追悼】「山本“KID”徳郁お別れの会」(3)宇野薫「僕は彼に憧れていたんだと思います」、高谷裕之「やっと付き合えるようになったなと思ったら…」、所英男「伝説の人と闘いたかった」


11月4日(日)東京・青山葬儀場にて『山本“KID”徳郁のお別れの会』が行われた。9月18日に41歳6カ月でがんにより逝去したKIDとのお別れ会には、多くの選手・関係者が献花に訪れた。ファイターたちが語ったKIDの思い出、手向けの言葉をまとめた。

◆宇野 薫「僕は彼に憧れていたんだと思います」

(2005年9月7日「HERO'S 2005 ミドル級世界最強王者決定トーナメント」準決勝でKIDと対戦し、左眉尻のカットでTKO負け)

「KID選手との一番の思い出は、HERO'Sのトーナメント準決勝で対戦したことです。試合中に楽しくなったのはあの試合だけ。試合中、彼の打撃が怖かったですし、その恐怖のなかで自分がトレーニングしてきた、磨いてきたボクシングテクニックがうまく出せた。同時に、パンチが当たらなかったことに対しての嬉しさもありながら、怖さとのぎりぎりの瀬戸際のところが、逆に楽しくなってきてしまって。そういうことは初めてでした。

(同時代を戦い)楽しい時期を一緒に過ごさせてもらいました。彼のお陰で楽しかった。試合が終われば彼らしいフレンドリーな感じもあって、僕は彼に憧れていたんだと思います。ファイトスタイルもそうだし、期待に応えられるというところに憧れていました。交流的なものは、現役生活が終わったら、お酒でも飲んでみたいなと思っていましたが、それは結局、かなわなかったです。
格闘代理戦争の彼の映像を観たときに、ちょっと痩せてるなと、絞ってやせているような感じに見えなくて体調でも悪いのかなと思いました。こういう形になっているとは知らなかったです。

KID選手には『ありがとう』というお礼の言葉しかないです。いろいろな意味でありがとうございました。彼が続けられなかった格闘技を、僕はもうちょっと、彼の分と言うわけじゃないですけど、まだやらせてもらえるんで、彼への気持ちも持って挑戦していきたいと思います」


◆高谷裕之「やっと付き合えるようになったなと思ったらこういうことになってしまって……」

「(『お別れの会』の発起人の1人として名を連ねて)今年の頭くらいに『一緒に新しいこと始めようよ』って話をして、そこからまたよく会うようになっていたんです。でも、突然会えなくなってしまって……。結局こういう残念なことになってしまって、何か僕にできることがあるかなと思って発起人をやらせてもらいました。

KID選手とは選手育成を始めて、アマチュアからゆくゆくは大きい大会までやりたいなという話をしていたんです。『KRAZY-LEAGUE』を応援しに行って会場で会ったりりもしていました。

選手としては、面白い試合をするし、すげえ選手だなと思っていました。ただ、同じ階級で戦っていたこともあって(HERO'S 2005 ミドル級世界最強王者決定トーナメントにともに出場)、その時期はあえて交流は持たないようにしていたんです。やっと付き合えるようになったな、と思ったらこういうことになってしまって、すごく残念です」

◆所英男「同じ時代に格闘技をやっていて、対戦できたらなってずっと思っていました」

「自分は対戦できなくて憧れの人として見ていて、やっぱりこういうところに来ると、改めて亡くなったんだなっていうのと、皆さんの話を聞いていて、ほんとうに優しい人だったんだなって。スターになるべくしてなった人だったんだなって実感しました。

(KIDとの対戦を希望し続けた理由は)やはり憧れ。KIDさんみたいな凄い方と、同じ時代に格闘技をやっていて、対戦できたらなってずっと思っていました。伝説の人とやりたいなって気持ちがずっとありました。

でも(KRAZY BEE所属だった)山本篤さんにボコボコにされて届かなかったので、憧れのまま終わりましたね。心残り……ほんとうに自分の実力が足りなかっただけです。頑張りが足りなかったので、この先の人生、そういう憧れの人ができたら、その人に近づけるように努力していきたいと思います。自分も少しでも、頑張れるうちは頑張りたいと思っています」

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