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ショートショート『お風呂を知らない子供たち』

「噴射まで、3、2、1……」

音声ガイダンスのカウントダウンが終わるとブザーが鳴り、シャワーが噴射された。横一列に整然と並んだ裸の少年たちを、上から、前から、後ろから、水しぶきが打ち付ける。

壁一面が清潔感たっぷりの真っ白い空間に、フローラルの香りが漂う。このシャワーには、人の垢を洗い流す洗浄成分に加え、香り成分が配合されている。ただ、少年たちは目を固く閉じ、息を止めているため、それを味わうことはない。

シャワーが止まると、一斉に息を吸い込んだ。最初は、慣れない香りにむせる子もいたが、今ではみな平然としている。これも成長の証だ。

わずか10秒のシャワーが終わると、「右向け右」の音声ガイダンスに従い、方向転換。そのまま列を崩すことなく少年たちはシャワールームを順に出て、隣のドライヤールームに入って行った。今度は10秒間、生温かい風で乾かされる。

ここは、教育省管轄の次世代クルーを育成する「合生(あいおい)寮」。

入寮できるのは13歳~15歳の選ばれた子供たちだ。将来が約束されているため、倍率は相当高い。最近では、合生寮に入るために、生まれた直後から英才教育を始める家庭も少なくないという。

ここでは、合理性が何よりも優先される。これからの国家の舵取りをする人材に強く求められるのは、無駄を一切排除した究極の合理性だからだ。合理性のない行動は悪以外の何物でもない。

部屋に戻ったタケルは、相部屋仲間のリョウタとサイダーを飲んでいた。

清涼飲料水を飲むことは寮のルールで禁止されている。究極の合理性と、健全かつ善良な次世代クルーを育成するのが教育省のモットーだ。

このサイダーは、先月の長期休暇の際、実家に戻ったタケルが持ち込んだものだ。静かな発泡音が心地よく、喉から胃にかけて食道を駆け抜ける爽快感が何ともいえない。

「ぷはぁ~」と声が重なり合うと、二人は思わず大笑いした。

「タケルの勇気に深く感謝するよ。僕はサイダーが大好きだ。それなのに、どうしてこれが禁止されているんだ」

グラス片手にリョウタは口をとがらせた。

「これ、祖父が持たせてくれたんだ。もちろん、両親には内緒さ。僕には祖父が神様に見えたよ」

そう言うと、リョウタは立ち上がり、窓の向こうに頭を下げた。その様子は滑稽だったが、タケルは悪い気がしなかった。

「なぁ、リョウタ、君はお風呂というものを知ってるかい?」

リョウタは座り直し、胡坐をかいた。

「あぁ、そういう風習が昔は一般的だったのは知識としては知っているよ。もちろん、入ったことはないけどね」

タケルとリョウタが入寮後に意気投合したのは、互いの生い立ちに親近感を覚えたからだ。どちらの家も両親が合生寮への入寮に非常に熱心で、二人は幼少期から次世代クルーを見据えた躾しつけを家庭内で受けてきた。

「祖父が言うには、お風呂に入ったあとのサイダーは格別なんだそうだ」

タケルが言うと、リョウタはグラスを見つめながら首をかしげた。

「シャワーとお風呂は、どう違うんだろう?」

タケルは足を放り出し、天井を眺めている。

「祖父が言うにはさ、お湯に全身を沈めると、たいそう気持ち良いらしい。一日の疲れが、それだけで消えて無くなるとか。それから、そこで何分間、いや、日によっては10分以上も、浸かったままでいるというんだ」

「10分以上も!」

リョウタは目を丸くした。自分たちのシャワーの10倍を超える時間だ。

「しかも、その間、何をするわけでもなく、呆けているらしい。考えられるか、そんな無駄なこと。でも、お風呂の話をする祖父は、なんだか楽しそうでもあり、嬉しそうでもあり、本当に良い顔しているんだ。まるで血色まで良く見えてくるくらい」

リョウタは食い入るように耳を傾けている。祖父の話を聞いていたときの自分と同じだ。

「で、身体がポカポカに温まってお風呂から上がると、当然喉がカラカラなわけだ。そこで、サイダーだ。ゴクゴクと喉を鳴らして一気に飲み干す。祖父は『お風呂とサイダーの組み合わせは何事にも代えられない極上の幸せだ』と言っていた」

ここまで話すと、ふっと虚しさが襲ってきた。途中まで目を輝かせていたリョウタも、タケルが話し終えると悲しそうな表情に変わっていた。

そう、祖父もだった。祖父は、少し怒ってもいた。父のことを「あのバカ息子」と愚痴り、嘆かわしいと頭を撫でてくれた。両親と祖父の仲は昔から良くない。価値観の不一致、ということなのだろう。

「お風呂、入ってみたいな」

リョウタがつぶやいた。この一言を、自分は待っていたのかもしれない。ひとりなら恐いが、リョウタとなら何でもできそうな気がするのだ。

「お風呂、入ってみようよ」

口に出してみると、鳥肌が立った。それはもう、小さく震えるほどに。背徳感で高揚しているのか、わからない。リョウタも紅潮している。だが、わかる。欲望は、もう止められない。

「僕、実は調べたんだ。この寮の裏山の奥地に『露天風呂』という屋外のお風呂があるらしい。最近では『露天風呂』はどこも寂れて閉鎖されているようだけど、そこには祖父世代の人たちが、度々足を運んでいるみたいなんだ」

リョウタがゴクリと生唾を飲み込んだのがわかった。二人は見つめ合うと同時に頷き、窓に手をかけた。開けると、不気味な音を立てて冷たい風が入り込んだ。窓の外に目をやれば、深い穴を見下ろしているかのように、広がる暗闇に吸い込まれそうだ。

でも、見上げれば満天の星が輝いていた。大丈夫、きっと見守ってくれるはずだ。

「行こう、お風呂へ」

タケルとリョウタは窓をこえて、暗闇に飛び出した。

非常用の懐中電灯と、サイダーのボトルを携えて。

fin.

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