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ショートショート『灯火橋』

藍色の空が橙色の光を侵食していくとき、僕はホテルの部屋でビールを飲んでいた。一人掛けのソファに座って窓から外を眺めると、そこには海が広がり小さな島が浮かんでいる。ホテルから海の方に道路が伸びていて、一斉に街灯が付いた。道路を挟んで等間隔に立つ街灯の光はぼんやりとしていて提灯のようにも見える。綺麗だ。完全に夜にならないうちに写真を撮っておこうと、鞄から買ったばかりのフィルムカメラを取り出した。立ち上がり、ファインダーを覗く。

すると、わずかに景色が揺れた。立ち眩みか、それとも酔いのせいか、再びカメラ越しに外の世界を見る。さっきよりも鮮明に揺れた。カメラをテーブルに置き、「開放厳禁」のシールを無視して窓を開ける。生ぬるい風が当たったが、全身の体温は一気に下がった。

何も無かった海の上に灯火が現れ、二つずつ増えていく。ポン、ポン、ポンと、ゆったりとしたリズムの音がするように。海に突き当たっている道路はそのままだ。向かい合う灯火だけが海の上を進んでいる。

背中を流れる汗がとても冷たかった。僕は窓を閉め、それからカーテンも閉めた。怖くて、それ以上、見ていられなかった。今すぐにでも自宅に飛んで帰りたかったが、明日は早朝から仕事があるため、ここを離れるわけにはいかない。一人で部屋にいるのが怖くなり、財布だけ持って一階のロビーに逃げた。チェックインして来る人で賑わい、ホテルマンたちは忙しそうにしている。誰もさっきの異常に気づいていないのか。それは考えにくい。海に面している部屋にいるのは僕だけじゃない。やっぱり気のせいだったのか。ずっとロビーにいるのもおかしいので、しばらくしてから売店でビールとチューハイを買い足し、部屋に戻ることにした。

カーテンは閉めたまま。開く勇気なんてない。いつもより早いペースで酒を飲み、電気とテレビを付けたまま、ベッドにもぐりこんだ。テレビのバラエティが始まった。音だけが聞こえる。司会の男性二人組がゲストを呼び込んでいる。次に聞こえてきたのは女性の笑い声だった。その後、エンディングを告げるメロディーを耳にした。どうやら少しの間、眠っていたらしい。

とても短い夢を見た。数年前に亡くなった祖母の夢。祖母が無表情でこちらを見ている。言葉も発さず、ただ呼吸をしている様子は、亡くなる直前の姿に近かった。こういうときくらい、せめて笑っていてほしかったが、僕は僕の心が突き動かされるのを感じた。心が動く、それをフィジカルに感じ取ったのだ。僕は窓に向かい、息を止めて一気にカーテンを開けた。灯火は海を渡り、島に到達していた。まるで道をつくるかのように。

行かなきゃ、行ってみなきゃ。僕は小心者だ。いつだって気が弱く、怖いことが大嫌いだ。でも、そう思った。行かなきゃ、行ってみなきゃ、自分は――。

キャリーバッグに詰めていたデニムに履き替え、念のために持って来ていた長袖のシャツをTシャツの上から羽織る。エレベーターに乗り、もう無人のロビーを抜けて外に出た。目の前には道路があり、そこから続く明かりが海の上にも灯っているのがここからでもわかる。怖さは和らいでいた。街頭の下、道路沿いの歩道を歩き、海辺に立った。

もう道はない。いや、僕には見えている。

行かなきゃ、行ってみなきゃ。僕は、その一歩を踏み出してみた。

fin.

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