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優秀な人とうつ病


日本人の15人に1人がうつ病だそうです
(厚生労働省発表
うつ病を知っていますか? (国民向けパンフレット 案))

誰でもなる病気
一度なると繰り返す病気
とされています

だから
ならないよう予防するのが大事と思っています

自分はモノじゃない
悪くなるまで使うのはやめましょう
自分を大切にして
予防したいです

ここからは私の気づいたことを書かせて下さい
皆様も同じことを感じておられるでしょうけど。。。

日本では
小さな時から「頑張れ」と励まされて
出来ないことが出来るようになりながら成長していきます
それが「生きる」そのもので
「生き方」「暮らし方」になっています

その経験がすべてで
「出来ないことを出来るようにする」は大人になった時には支えとなっています

大人になった時にはお仕事の中で「出来ないことを出来るようにする」を目指し続け
話せ、と言われれば話せるようになり
書け、と言われれば書けるようになり
行け、と言われれば行けるようになる

今いる場所や人からの要求に応じながら
その都度器用に出来るようになる人が優秀とされています
賞賛されます

これらは何のために?

社会を維持するため?
事業の発展?

器用に応じる本人は?
もしももっと器用に出来る人が現れたら?

賞賛された優秀な人は
全体の中の優秀なパーツとして賞賛されていませんか

パーツ交換出来ない位置を得るまで頑張りますか

器用に応じ続けないといけない「ひとりの人の人生」と同じ
長尺の病的な設計です

本当に優秀な人は
この設計の間違いに気付く人なのではないかと思いました

恐ろしい設計に気付きながら
そこに居続けると病気になりませんか

「頑張れ」という声が聞こえても
応えないときがあってもいい
それより先に自分の中の声を聞いてみる
その声に従って生きてみる
だれからも賞賛されませんよ
でもそれが
生き物として普通です

優秀なパーツでなくていい
パーツである限り交換可能です
怖いし悲しいです

賞賛されるため
優秀とされるため
評価のために
いのちを使うのは良くない

生きる目的はしあわせです
自分のしあわせのために自分のいのちを使う

〇〇が出来るようになったらしあわせになるのではない
(〇〇が出来るようになったら次は◎◎を目指すことになるだけです)
健康な時に元気な時に
その連鎖に気付いて下さい

設計が病的ですと
病む環境が回り続けてしまいます

多様性もSDG'sもこの設計に飲み込まれてしまうと
看板だけ掛かってる状態になります

自分がどうしたいのか
自分の中身をしらべて感じてみます
それがわかったら

わかっただけでいいんです

出来るようにしなくていいんです

すぐに出来るようにはならないんです
自分がどうしたいか感じておくことがとても大切です

外からの要求と賞賛は
自分の外にあるものなんだと距離を感じておくと安心です
そっちへ寄っていかない

応えすぎの状態を一旦止める
時間を区切る
あれ?私はどうしたいかな?
そういう瞬間があったほうがいいな、と思っています


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