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イカの街と、食堂のおばあさんたち

泊まっていた福岡の街から、高速バスに乗って旅に出た。片道1時間半ぐらいの旅だ。

つくづく思うけれど、福岡という街は都会と自然の距離がとても近い。バスに乗って街の中心を通りすぎ、少しうとうとしはじめた頃には、すでに窓の外に青くきれいな海が見えている。

僕はむかし、4年ほど仙台に住んでいた。仙台もすごく大きな街なんだけど、少し街の外へと車を走らせるだけで、海や山がみえて景色があっという間に変化する。

たとえ都会に住んでいたとしても、行こうと思ったときに自然がすぐそばにある生活はやっぱり楽しいし、なんとなく憧れる。

この福岡も、そして僕がむかし住んでいた仙台も、どちらも十分都会なのに自然が近いのがうらやましい。東京の真ん中に住んでいると、そういうわけにもいかないのが残念だ。

そんなことをいろいろ考えていると、バスはやがて佐賀県の唐津という場所についた。

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唐津の街でバスを降り、そこから車に乗り換える。ここからもう少しだけ先へ行く。

話はそれるけれど、ふだん車が必要になるときも、それから旅先での移動手段にも、ここ数年カーシェアをよく使っている。スマホですぐ予約できるし、使った時間だけお金が請求されるので、いろいろとむだになることがなくて、ほんとうに便利だ。

30分ほど運転すると、車は目的地にたどり着いた。

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佐賀の呼子という街にやってきた。

釣りが好きな人や、食べものに詳しい人だと、知ってる人はけっこう多いかもしれない。ここは全国的にも有名な「イカの街」だ。

そして、イカと並んでこの地を有名にしているのが「呼子の朝市」だ。お正月以外の毎朝7時半から12時まで、魚や野菜が並んだ朝市が毎日休まずに開かれているのだという。

残念ながら、僕が着いたのはお昼すぎだった。もう少し頑張って早起きをすればよかった。僕は朝に弱い。

朝市が終わった後の商店街は、人通りも少なく、とても静かだった。

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イカの街として有名だとはいえ、基本的にここは、ごく普通の静かな港町だ。

港には、たくさんの漁船が岸に繋ぎ止められている。ほとんどの船がイカ釣り用の漁船なのだろう。明かりをつけるための電球がたくさんぶらさがっていた。

昔、ある一枚の衛星写真をみたことがある。それは夜に撮られた写真で、九州と韓国の間の海である、玄界灘のあたりを写したものだった。

よく見ると、陸地に灯る明かりだけではなく、海の上に青白い光がたくさんみえる。それが何なのか、実際にはあとから聞いた話だけど、これは全てイカを釣る漁船の灯りが見えているせいらしい。それが衛星写真にもはっきりと写っていた。

はるか宇宙からもその光が見えるほど、たくさんの漁船が毎日イカを釣りに海へと向かっている。そして、ここで水揚げされたイカは「呼子のイカ」として高い値段がつけられ、東京や大阪、そして全国へと運ばれていくのだ。

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お昼すぎだったので、街の中にある古い食堂に入って昼ごはんをとることにした。

そこは、おばあちゃんが一人でやっている食堂だった。古くからありそうな、何十年もやっているような雰囲気を感じた。メニューには、カレーや焼きそば、親子丼などいろんな種類の料理が書かれていて、大衆食堂ってこういう場所のことなのかなと思った。

よく見ると、一番の名物メニューは「アラカブの味噌汁定食」らしい。アラカブが何なのかはよくわからなかったけど、なんとなく美味しそうだったので頼んでみることにした。

壁にあるメニューを読み上げて注文した。奥の方でおばあちゃんが立ち上がり、厨房に入ってのんびりと料理の支度を始めた。お客さんは僕ひとりだけだった。

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しばらくすると、頼んでいた定食が出てきた。

そうか。アラカブって魚のことだったのか。多分そうだろうなとは思ったけど、実際に目の辺りにすると、魚がまるまる一尾味噌汁の中にはいっている光景が見慣れないのでおもしろい。

黙々とご飯を食べていると、食堂のおばあちゃんがいろいろと話しかけてくれたので、そこから自然と雑談がはじまった。

アラカブというのは、関東で言う「カサゴ」のことらしい。九州、特に佐賀のあたりではこの名前で知られていて、全国各地で呼び方が違うのだと教えてくれた。

それからイカの話になった。でもそこで聞いたのは、今年はイカが全然とれていないという話だった。天候の問題に加えて、外国の漁船がたくさん沖へ出てくるようになって、昔と比べると穫れる数が減っているのだと、こっそり教えてくれた。

そんな事情のせいかはわからないけれど、お店のメニューにはどこにも「イカ」の2文字が入っていなかった。もちろん地元の人向けの食堂ということもあるし、きっと質のいいイカは高いので、食堂のメニューにはなりにくいという理由もあるのかもしれない。

せっかくイカが名物の街にやってきたのに、気がつけば僕は、ごく普通の定食を食べていた。イカはどこにも入っていなかった。けれどまぁいいや。

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もうすぐご飯を食べ終わろうとしたとき、常連さんらしき別のおばあちゃんがやってきた。一人旅の客が珍しかったのか、ちゃんぽんを注文するやいなや、座っていた僕にいろいろと話しかけてきた。

少しずつ会話が弾みだしたころ、食堂のおばあちゃんも混ざってきて、やがてそれは、僕を挟んでおばあちゃんたち2人の世間話に変わった。

離れて暮らしているという、息子さん娘さんたちのことや、野球をしているという小学生のお孫さんたちの話、半世紀前の大阪万博を見に行ったときの思い出や、今年の夏に行った東京が暑くてうんざりしてしまったという笑い話まで、気がつくと僕はぜんぜん知らない人同士のなんてことない会話に、すっかりと混ざりこんでいた。

知らないおばあちゃん同士のおしゃべりを、僕はずっと黙って聞くだけだったけど、不思議なくらい僕はちっとも退屈ではなかった。

それはこうして、はじめて会った人たちの雑談を通じて、僕はなんとなくこの呼子という街でずっと暮らしてきた人たちの「物語」のようなものに耳を傾けていたからなのかもしれない。

旅先で出会った人たちのことを徐々に知るにつれて、それまで行ったこともなかった街のことが、少しずつ徐々に好きになっていくのだ。

けれど、そんな思い出は僕の写真には写らなかった。

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車を返す時間がせまっていたので、お店を出ることにした。

最後の別れ際に、「呼子はいいところでしょう?またいつでも遊びに来なさいね!」と、おばあちゃんたちは笑顔で言ってくれた。

うん、とてもいいところだったよ。おばあちゃんたちの話も聞いてて楽しかった。でもせっかくだから、今度こそはイカを食べに来ようと思うけどね。

朝市にせよ、イカにせよ、僕はこの街の名物と呼ばれるものを何一つ味わうことなく後にすることになる。それは普通の観光客としては「つまらない」ことなのかもしれない。でも今となっては、そんなことはどうでもいい。

僕にとってこの「イカの街」の思い出というのは、イカがどこにも入っていない味噌汁定食と、食堂で出会ったおばあちゃんたちの姿なのだ。

佐賀の呼子、いいところでしたよ。

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