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サクラ散る名古屋城に行ってきました。

月曜日は仕事の後、名古屋城に行ってきました。
ご近所なのに、サクラのいい時期に訪れていなかったのですが、八重桜やツツジとのコラボを見れました。まもなくフジも咲きますね。

天守西側からはツツジとのコラボ。


西の丸の御蔵城宝館の展示は
(守山の御寺 大森寺の宝物)
というもので、尾張藩二代藩主光友公の生母、歓喜院(お尉)の菩提寺所蔵の美術品や資料を展示したものでした。
※写真撮影は不可だったので、展示物の写真はないです。

折れてますが、パンフレット。


正直、タイトルだけ見ると(側室さんの菩提寺の宝物かぁ)と食指が伸びなかったのですが、観てみると初代義直、光友のパーソナリティが垣間見えて、勝手な妄想も膨らみ、面白かったです。
尾張藩主初代義直の正室春姫には子供がなくて、二人の側室にそれぞれ男女の子供をもうけています。光友の母、お尉は尾張の瀬戸近くのおそらく百姓出身で(義直が鷹狩りに行った際、イノシシが乱入して、それを追っ払った女を女中として召し抱え、お手つきになった)という伝承があるんだそうです。解説に(伝承の域を出ないが、光友が偉丈夫であったことからあり得る話)と記されています(なんちゅうシンデレラストーリーやー💦)
徳川美術館へ行くと、義直のとても繊細で几帳面そうな書や絵画が展示してあり、ガサツな私は
(うわ、悪いけど神経質な方かな😅)と想像していたんです。またとても学問好きで、儒教の研究や本の収集、本の編纂などに携わっていました。なんとなくそのギャップに驚きです。

光友は武術に意欲的であり、熱田神宮など名古屋市内の多くの寺社の創建や修復にたずさわっていて、文武両道だったとされます。また、愛知県東海市の方へ行くと海岸沿いに光友が海水浴したという御殿跡があったりして、色黒ワイルドなイメージを勝手に持っていました😅
展示されていた生母の菩提寺に所蔵されている彼の描いた水墨画は、父譲りの繊細のようでいて、一気に描いているようで大胆な感じもありました☺️

お尉さんは光友出産後すぐに光友と離され、義直生母お亀の方とともに江戸屋敷へ行かれたそうです。数年後若くして亡くなられ、光友と会う事はなかったとされます。
そのお尉さんの出生地近くに菩提寺があるというのも、ちょっとほっこりします。光友だけでなく、義直生母のお亀の方も菩提寺建立に尽力したと言います。お世継ぎを産んでしまったばっかりに不自由な身になってしまい、若くして亡くなられたお尉さんですが、子供やお姑さんに没後といえども良くしていただいたようですね。

シダレサクラと未申隅櫓



また大森寺へいってみようかなー?と思いつつ帰りました。

旧二ノ丸東二ノ門からの清正石。

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