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酒と女は2ゴウまで


という古い格言がある。

1号は本妻(正妻)、
2号以降は愛人(妾)で、
受刑者、或いは仮面ライダー的な呼称だが
“一夫多妻制〟のように
経済力を持つ男性が
本妻以外に女を囲う事が
許容されていた時代があった。

正確に言うと、妾と愛人は違う。

「妾」は本妻と同格で本妻公認の存在。
「愛人」は生活の面倒は見て貰っているが
 家族に知られていない影の存在。


戦前は妾(めかけ)を持つことが
ある種のステータス。

ドラマ「大奥」で見る、
側室が進化したようなもの?
本妻と側室とのバチバチの闘いが
いつもおもしろいw

【話はいきなり現代】
不倫中の男友達とお酒を飲んだ時に
こう言ってた。

「妻のことは愛してるが好きではない。
彼女(不倫相手)のことは好き❤️
彼女がいることは
男としてステータスだよ」と
偉そーに言ってた(笑)

へぇーーw
「私を巻き込むなよ、関係ないんだから」
と釘を刺した(笑)


【昔に戻ります】
妾を囲うのは性欲以外に
子を残す役割もあった。
昔は多かったようだ。
そして、財力の誇示。

タイトルの格言の意味は、
酒(2合)も、女(2号)も
程々に節度を持って楽しめば
身を滅すこともない
という戒め。

【祖祖母が妾】
明治生まれの祖祖母がいわゆる
“お妾さん〟だったと
子供の頃に母から聞いた。
大往生だったが私が幼少の頃に亡くなった。

お妾については“我が家の秘密事項〟だが、
狭い世界、、昔からいる近所の人は
みんな知っているだろう。

“昔のお色気事情〟としては
よくある話なのかもしれない。
なんせ、子孫を残さないといけないわけで。

相手のご主人様も近所😱
正確には知らないが3km圏内(狭っ)

そして、祖祖母はお妾として
子を3人も産んだ。
その一人が私の祖母だ。
以後、“妾の子〟として
生きていくことになる。

となると、私は“妾のひ孫〟に当たる。

【人格形成】
祖母の人格はこんな境遇で
つくられたのかと
後で分析、というか、
深く考えてみようと思った。

本妻としてはおもしろくないのが本音だ。
嫉妬が渦巻く、サスペンス、いや昼ドラか。

そりゃそうだろう。当然だ。
今なら慰謝料だの、裁判だのと争うが
当時はそんな時代ではなかったはず。

【妾文化】
“妾を持つ文化〟は、暗黙の了解のような、
存在自体が公認されていたが
後に法的にアウトに。

トラブルが多かったからか。
戸籍はどうだったのか?
認知するのか?

【屈辱】
祖母が幼少の頃に本妻宅に
ご飯を食べさせてもらうために
何度か訪れた時のこと。

憎悪と侮蔑に輝き、蔑む態度、
睨み殺すような目つきと嫌がらせに
何も抵抗できず、その屈辱は
「死ぬほど辛く、悔しくて
涙も出ないほど惨めだった」と
祖母が(私の)母に告白したそうだ。

本妻と子供たちにとっては
真っ当の感情であり仕方がない。

【地獄絵図】
いくら公認とは言えど、
親の不貞(純愛なのか?)によって
被る被害は子にとっては不可抗力とはいえ、
なんとも哀しすぎる状況だと、
どちらにも同情してしまった。

どこにも逃げられない、
死にたくなるような地獄絵図😱

男とはどの時点で別れたのか、
ずーっと続いていたのか
詳しくは知らないが、
祖祖母は子を養うため、
後に手に職をつけ
小さいながらも家を建てた。

経済的には問題がなくなったが
人が良過ぎたせいか、
金を無心する人が絶えなかった。
奔放な人だったが、頼まれれば断れない、
他人に与えすぎて
肝心の自分の家は貧しかったそうだ。

「貸した金はあげたと思え」が
祖祖母の口癖。

90を過ぎた頃に認知症になり、
度々、徘徊に悩まされた。

【家族の風景】
朝「いないっ!」となり、手分けして
家族全員で四方八方捜索したことは
数知れず。

無事に見つかってみんなで大笑いした。
「川にでもハマって死んだと思った」と
安堵したが
毎度毎度、寿命が縮む思いだ。

あんな幸せな家族の時代があったのだ。
サザエさんやドリフのコントみたいにね。
昔を美化する訳ではないが
あの頃は良かったね、確かに。

祖祖母は後に寝たきりになった。

【祖母の葛藤】
同居する祖祖母の娘(私の祖母)は
一度もシモの世話
(糞尿の処理やオムツ交換など)を
一切しなかった。

寝たきりになった祖祖母の全ての世話を
祖祖母の孫の嫁である、
まだ若かった私の母が
させられたのを幼い私はよく見ていた。

腰の上あたりが真っ赤に水脹れした、
いわゆる床ずれが特に酷かったのを
覚えている。

今思えば、祖母は多少なりとも
自分の母親を恨んでいたのかもしれない。
軽蔑と消せない嫌悪感があったのか。

まだ幼い私の目には決して
不仲には見えなかったが・・・

「あの男と交接した部位など見たくもない」
と思っていたのか、もう知る由もない。

母娘と言えど、やりきれない思いや葛藤が
きっとあったはず。
これは、私の勝手な推測に過ぎないが。

自分の母親の世話をしない祖母だったが
祖母の気持ちを思うとわからない訳ではない。

哀しくて涙がポロポロと流れた。

誰も寄り添ってあげなかったのが
悔やまれる。

「自業自得だろ」という言葉は暴言だと思う。
それではひとつも救われない。


祖母は、いつもニコニコ、
優しくて気配りのできるひと、とは
真逆なひとだった。
嫁いびりが趣味のような人。

謀略無人で孫の世話は
面倒くさいと言ってたようだ。

【思い出】
でも、優しい時は僅かにあった。
食べたいものをリクエストすると
二つ返事で作ってくれた。

風邪をひくと美味しい煮込みうどんや
具沢山で栄養たっぷりの
おじやをよく作ってくれたものだ。

【心の傷】
子供の頃の環境やトラウマが
その後の人生に多少なりとも
影響を与えるのは確かだ。

人はそんなに強くない。
全ての人がなんでも
乗り越えていけるわけでもない。

そんな祖母ではあったが、
どんなにか辛かったろうと
亡き祖母に想いを馳せる事が
できるようになった。
私も少しは大人になったのか・・

【祖母の懺悔】
祖母は不治の病により亡くなる前、
死期を悟ったのか、私の母に
僅かばかりのお金を渡し
「今までありがとな」と礼を言い
旅立った。

【供養】
3年前から、生前、祖母がいつも
作ってくれた“みたらし団子〟を
見様見真似で作ってお供えしてる。
私の家には仏壇も写真もないが・・・

祖母は料理が上手だったからね。
テレビ(料理番組)を見てすぐ実践してた。


空を見上げながら、
今度こそ幸せな人生のもとに
生まれ変わってと願いをこめた。

亡くなってからでは
何もかも遅いが突き放すのは違う、
せめて孫の私だけでも祖母のことを忘れず
思い出し、寄り添っていく。

【遅すぎた詫び】
書きながら思い出した。
母に教えてもらい
本妻宅のお墓に出向き、
人知れず手を合わせた。

今更、詫びても何も変わらないが
手を合わさずにはいられなかった。

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