昔の挫折話と、後悔

春の暖かさがやってきたと思ったら雪が降ったり、
なかなか季節が進みませんね。
今回は、どこかのお話で、いつか詳しく書きますと言ってあったお話です。



何回か書いていますが、私はずっと独立したいと思っていて、でもやはり固定費である店舗の賃料がネックだなと思っていました。売上が良くても悪くてもかかってくるのが固定費。
そこで、キッチンカーみたいなものでパン屋は出来ないだろうか?と考えた時期がありました。
焼き上がったパンを売っている車はたまに見かけますが、結局そのパンを作る厨房が必要になります。
キッチンカーというものがあるんだから保健所の許可も取れないことはないだろうし、厨房も中に作ってしまえば、販売するところはどこでも好きなところに行けて、楽しそうだなーと。
でもオーブンなどの機材の重さに耐えられる車はどのくらいの大きさになるのか、そもそも何から誰に聞いたらいいか分からなくて、
それをなんとなく父に相談しました。
父はいつも私の味方だったので、いいんじゃない?という感じで、まず車に詳しい人を探してみる、と言ってくれて数日が経った頃、トレーラーの業者を知っているという人にその会社を紹介してもらうことなり、その会社の人とも話をすると、無理な話ではないということで、また後日やり取りする約束をしてその日は終わりました。

そして本格的にトレーラー内部の間取りや機材を考えていた頃、家の電話が鳴り、
状況は一変しました。

それはトレーラーの会社を紹介してくれた人からで、父は最初普通に話していました。
しかしだんだん様子がおかしくなり、話の内容が普通ではないと思いました。
電話を切った父は、怪訝そうな顔で、相手が怒っていることは明らかで、でも怒らせるようなことを言ったりした覚えはないし、話の内容の意味がわからない、ということでした。
私も困惑しました。父はその人と仲が良いはずで、私も直接会いましたが特段変な様子はなかったし、なんで急にそんなことに?という気持ちでした。

その後も父はその人と連絡を取りましたが、もっと支離滅裂なことを要求してくるようになり、話が通じないので、いよいよ警察に相談するほどの事態になりました。
終わってみて分かったことですが、私の認識では、それは『恐喝』でした。

家の電話が鳴るたびに私たち家族は、あの人からの電話だ、また何か訳の分からないことを言ってくるんだという恐怖に襲われました。
電話を取らなければいいという道には辿り着きませんでした。取らなければ、住所を調べられて、乗り込んでくるんじゃないかという恐怖さえあったからです。
しかし警察に相談した後は、家の電話など全てブロックすることで、家に乗り込んでくる様子もないとみて、やっと普通の生活が戻ってきました。

私は自分を責めました。
父は精神的苦痛から、持病を悪化させ、手術をせざるを得なくなりました。
母は一時的にですが、電話やインターホンにトラウマを持つようになりました。
私が、パン屋をやりたいなんて相談しなければ。
身近な人にすぐに頼ってしまったばっかりに。
私が自分を責めることは両親の望んでいることではない事は知っていたので、何もなかったように生活してましたが、本当に後悔しました。
ずっと後悔しています。今も。

だからと言ってはなんですが、親にだけは相談するまい、と、独立すると決めた時も、会社を辞める事もお金を借りた時も、全て事後報告にしました。
でも皆さんは、お金を公庫から借りるときは事前に家族の了解を得てくださいね。
担当の方に、家族の了解は得ていますか?と聞かれますので。その質問をされた時に、うっ…!とならないように。

後悔だけしてもしょうがないので、そこから得た学びとしては、知らない人とやり取りするときは、慎重にならないといけないということ。
まともじゃない人は確実にいます。意外と近くに。

以上教訓として。

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