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トイ・ストーリー4が良すぎたはなし

仕事が落ち着き、現実逃避欲(=旅にでたい気持ち)も落ち着いて
ようやく一人、部屋で映画を見たい気持ちになった夜。
3歳の甥っ子が好きで4回も見ているという姉にすすめられたトイ・ストーリー4をわざわざアマゾンでレンタルしてみた。
190円のレンタル料なんて忘れるくらい今の自分に必要な名作だった。

ネタバレありです。

https://eiga.com/news/20220624/23/

冒頭から今までのトイ・ストーリーとは明らかに一線を画しているような気がした。ウッディがボニーに選ばれず惨めに棚の中から仲間たちが遊んでいる姿を眺める。あまりに切なかった。

これはちょっと蛇足なんだけど、ウッディに新鮮な印象を抱いたのははじめてトイ・ストーリーを字幕で見た影響が大きい。英語のウッディの声は驚くほどハスキーなイケボでとても成熟した思慮深い人間のように感じられた。声による印象の違いって本当に面白いと思う。

話を戻そう。一気にこの作品にひきこまれたのは、物語が動き出す場所で登場する「フォーキー」のせいに違いない。それは「ゴミ」でできたおもちゃ。性格があまりにユニークでいまの時代に?いやいまの自分に?深く爪痕を残してくれてしまうのだ。

保育園になじめないボニーが一人、机の上のゴミ(先割れプラスチックフォークやモール)を組み合わせて目を輝かせてつくったそのおもちゃは「おもちゃ」と呼ぶには忍びないほどに惨めな姿をしている。だけどボニーにとっては、はじめて保育園で(文字通り)つくった大切な友達。ボニーは大切にリュックにしまう。

ボニーが保育園のゴミ箱にあった材料から作った「フォーキー」

命を吹き込まれたフォーキー、ウッディらほかのおもちゃを前に
WHO ARE YOU ?
ーWe are toy.
ーTRASH ?

と笑えるくらいに恐れおののき、ゴミ箱へと帰ろうとしてしまう。自分はゴミだと信じ、ゴミ箱が自分の居場所だと信じて疑わないのだ。

ボニーからのたしかな愛情と居場所をもらいながら自分の居場所がそこだと思えないフォーキーの姿は、なぜか仕事をしているときの自分の姿を思ったりしてしまってなんだかとても愛おしい気持ちになる。

ウッディは言う。「君は自分がどれだけ幸運だか気づいていない、ボニーは君が必要なんだ」必死でゴミ箱(自分が信じる居場所)に戻ろうとするフォーキーをウッディは涙ぐましい努力でボニーの元へ戻す。

なんでゴミ箱がそんなに好きなの?
ーだって温かいだろう、ふかふかして柔らかいんだ
ボニーにとっては「君」がそういう存在なんだ
ーえ?じゃあ僕はボニーのゴミ箱なんだね!それなら早くボニーの元に戻らなくちゃ!

なんて意味深な会話…
誰かが誰かの居場所をつくること、あたたかくてふかふかの場所。
いつだって、誰だって、1番に欲しくなるし、求めてしまうもの。
必要としてくれるのがたった一人でも、どんなに汚い場所でも、そこは最高の寝床だ。

ゴミ箱といういつまで続くかわからないベッドにしがみつくフォーキー。
頼りないプラスチックのフォークをふかふかで温かいと感じる幼きボニー。
かつてアンディが作ったその場所に戻りたいと渇望するウッディ。
みんなの気持ちがなんだか痛いほどに切なくて刺さる。

職場、家族、恋人…どうしたって求めてしまう。
それだけみんな自分の居場所を自分で探さなければいけない時代なのだろうか。なぜかとてつもなく今的な作品なのだ。

で、これだけでもすごいのに、この作品を名作に決定づけるのはこの「ふかふかの温かい居場所」の価値を否定する魅力的なキャラクターが出てきてしまうこと。

たくましく生きるボー・ピープ

町の公園でウッディが再会した「ボー・ピープ」はかつてアンディの家で一緒に暮らした仲間。しとやかなドレスに身を包んでいた彼女は杖を自由自在に使いこなし多数の仲間をしたがえ「スカンクカー」を乗り回すたくましくてかっこよすぎる女性になっていた。(スカンクは剥製なのかな?)

子供部屋で暮らした日々を”過去”と割り切り、新しい世界で誰にも依存せず自由に生きることを謳歌する。子供達が集まる公園やパーティにその時間だけ身をおく新しいスタイルの遊び方(生き方)。

「子供たちはたくさんいる、一人にこだわる必要なんてないよ!」

ウッディは抵抗感を感じながらも、しだいに彼女の生き方に惹かれていく。
そしてまさかの結末、これまで一緒に過ごした仲間たちもボニーも捨ててウッディはボーと一緒に旅にでることを決めるのだ。
そこに言葉はなく、あるのはウッディの絶妙すぎる表情の変化だけ。

夜の遊園地を去っていくバズたちと見送るウッディ、仲間たちとの友情が熱すぎる。最後のセリフは「無限の彼方へさあ行くぞ」。
これ、はじめて英語で聞いたけど  To infinity and beyond! って言ってるのね。すげえかっこいい。

そして大好物のエピローグ。番組を作っていても感じるけど、エンディングは2個目のメッセージであり、実は最初のメッセージよりも深い裏テーマがこめられていたりする。

ボニーは保育園でまた一人友達を(文字通り)作ってくる。
それはフォークで作られたフォーキーにそっくりの「おもちゃ」。
頭にリボンがついている彼女(?)にフォーキーは優しく語りかける。

You are not trash, but a toy.
ーWhy am I living?
ーI don't know.

しびれる…。
当たり前のことを当たり前にいわれることが、一番心を動かされてしまうんだなあ。温かい”居場所”で生きるのも人生、次の場所を探して旅にでるのもまた人生。なんで生きているかなんていくら考えてもわからないから、その答えを探して生きていく。

ちょうどいまの仕事をどうにかしたくて動き出したおとといの夜。
自分の才能を引き出し、居場所を職場に作ってくれた恩人(上司)にその場所を離れたいと、やっぱり辛いんだと告げたばかりだった。相談するにも大きな勇気が必要だった。で、その決断はウッディのようにいさぎのよい結果にはならなくて、でも悲しくはなくて、物事が変わるときは白から黒にオセロのような変化をするときもあれば、一方で何種類ものグレーを通って変わっていくこともあるんだと感じる日々。

実際の日常には「いまいる場所にとどまる」と、「知らない世界へ旅だつ」の間にいくつもの選択肢が広がっている。
いまの環境を組み替えて、自分自身を変化させていくなかに答えがあるかもしれない。
そして、心の中はいつだって To infinity and beyond! でいたいんだ。

いい作品の絶対条件は、それが見た人のものになってしまうことだと思う。子供にも大人にも響く作品って本当に本当にすごい。
一生懸命生きている全ての人が共感してしまう「なにか」を描いているからなんだろうな。絵本でもアニメーションでも映像でも、のっぽさん風にいう「小さい人」向けのコンテンツ、いつか作ってみたいな。

自分の話で終わるのはちょっとちがう気がするから
またトイ・ストーリーに戻すと、
サイドストーリー的には射的の伏線回収が最高だよね。
はりつけのように展示されるかわいいとは思えない人形たちが
次々子供達にもらわれていくエンディング。
みんなみんな新しい”居場所”を探して旅立っていく…。



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