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生きにくいって何?

カナダ、BC州は、日本で言う年長にあたる5歳から小学校が始まる。

息子が小学校にはいる前、真剣に彼の発達障がいを疑って、小児科を受診し、悩んだ末、コロナ禍だったこともあり、その後通院しなくなった。

そして、2年経過し、再度考えなければならないことになりそうだ。

「チームで会議することになりました」

という旨のメールが小学校の担任から届いたのは昨日のことだった。

「とても賢いし、想像力も創造性も高い。友達からも好かれている。ただ、日常生活のルール(帰宅準備など)が習慣化せず、感情のコントロールがこの年齢としてはできていない。」

カナダの小学校では、学校側が必要とし、保護者の承認が得られると、学校のカリキュラム内でカウンセリングなどの特別サポートが受けられる。

息子はもれなくこれに該当し、カウンセリング、スピーチセラピー、そしてELL(English language learning)のカリキュラムに参加している。

これだけ介入していただいてるのだが、やはり想定していたよりも、経過が芳しくないのだそうだ。

ラベリング

実はこれについては、以前もなんとなく担任に言われていた。小児科で診断を受けたことはありますか?と。

日本と違い、専門医にかかるためには紹介状が必要で、小児科受診もそれにあたる。さらにそこから障がい診断をするには、小児精神科への紹介が必要になる。

2年前、息子が4歳の時に言われたのは

「アスペルガーかADHDの可能性はあるが、判断しかねる」

というもので、そこから先に進むのを断念した。その先生はすぐに紹介状を書いてくれるタイプではなかったのと、当時はコロナ禍真っ只中で、ただでさえ紹介されても数ヵ月待ちが当たり前だった小児精神科が、ほぼ動いていなかったのだ。

プライベートの病院に行く、という選択肢もあったが、私自身、息子に障がいというラベルを貼りたくなかっただけだったのかもしれない。

調べれば調べるほど

カナダでは、医師の診断があると、学校でその子供の補助として助手の先生がついてくれるという制度がある。日本のように支援級などはなく、障がいの程度に関わらず、同じクラスで学習をする。

そして、会話が成り立つようになった今だからこそ、息子は自分が興味あること以外はどうでもよく行動していることが分かってきた。それが子供らしさでもあるが、大人からすると面倒な子供に映る。

迎えに行くと、3日に1回は靴を履き替え忘れていたり、帽子や手袋を忘れている。きっとこういう場面が学校生活のなかで相当あるのだろう。

記憶力が悪いのではない。現に彼は私が全く理解できなかった物理の説明や、発見されたばかりの天体の名前はしっかり覚えているのだ。動画や本で得た知識で、興味のあることは忘れない。

感情が豊かなのもあるが、物音や光に過敏で、だが、嬉しくてもしんどくても興奮すると大声でまくしたて、嫌なことがあるとかんしゃくを起こす。新しい場所、人、環境が極端に苦手で、集団に入っていけない。

特定の人間や物に執着する傾向があり、一人になることに極端な不安を抱く。それがはるかかなた未来のことであっても。人間はいつか死ぬ、というような話を読んで、私たち両親と離れるのが辛い、と泣いてしまうくらい、想像力が豊かなのだ。

課題の分離

ただ、ここで明確にしておきたいことがある。私のなかでは息子の行動に何も問題を感じてない、ということだ。

これはもしかしたら、家で甘えてはいけない、と彼は頑張ってるせいかもしれないが、好きな絵を書いてたり、本を読んでたら平気で数時間集中してくれるので、下の4歳の娘の方が、「見て!」「来て!」の連続で相手にするのが面倒くさい、というのが本音である。

そして、私たちも先生方も息子が楽しく学校生活を含む彼が人生を歩むことを考えている、ということ。そりゃ若干大人側が手を抜くために、というのもある。だが最終的に手間を省くためには、今、何ができるのか、の方針を共有しておくことだと思う。

そのなかで、もしかしたらまた小児科受診も必要性が出てくるのかもしれない。ただいろいろ試行錯誤して、そのなかで、もしかしたら、息子自身が何か自分で掴んでいくかもしれない。

子供の発達は、その子の個性が強く現れる。長所も短所も含めて「我が子はレインボー🌈」と言ったバブリーたまみさん。本当に子供はその子の特色が一人一人違う。その色を輝かせるために大人ができることを一緒に探っていけたらいいな。

とりあえず22日の会議の結果を待つことにする。

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