小学生:絵本を作った黒歴史


私は幼稚園から中学校2年生まで、絵を描くのが好きだった。(自分に才能がないと悟った話はまた別に描きたいと思う。)
今は全くイラストを描いていないし、一般の人と比べて上手なわけでもない。
しかし、当時マセガキだった私は、インターネットや児童書のイラストを真似て、9歳か10歳にしては、同世代の無邪気なイラストより少々技巧的なものを描けていたのだと思う。「絵を教えて!」と、イラストを教えてもらう遊びが流行していた低学年のころは、私はいつも絵を教える先生役だった。
いろいろなイラストを参考にした結果、「人間を上手に描くのは難しい」と早々に限界を悟った姑息な幼い私は、サンリオやネットで見つけたキャラクターを真似て、動物のオリジナルキャラクターをいくつも生み出した。今もはっきり覚えているのは、姉の水色ウサギ『ソラ』と妹の黄色いウサギ『ミライ』。あとは黒ウサギの『モミジ』。ちなみに、『モミジ』は中学まで私の勉強用ノートで、ひょうきんな一言メモを言うキャラとして登場し続けた。
小学3年生。昼休みに「今日はソラの描き方を教えるね」などとそれらしくのたまうと、女の子たちがメモ帳や自由帳を持って、キラキラした顔で私を取り囲むものだから、承認欲求満たされまくりである。「ヒキワリちゃんは絵を描くのが上手い」というのが、幼稚園~中学校前半期の、自他ともに認める私のアイデンティティになっていた。
さあ、世の創作乙女・紳士諸君はお分かりだろう。オリジナルキャラクター・通称オリキャラを産み落してしまった者の末路。それは、そのオリキャラを登場させた創作を始めること。そう、私はついに、『ソラ』と『ミライ』が登場する絵本を創作し始めてしまったのである!
なぜ漫画でなく絵本だったのかはわからないが、おそらくコマ割りや吹き出し、動きのある動物の体を描くのが面倒だったからだろう。絵本なら、一枚絵と文章だけで完結する。つくづく怠慢な小3である。
私は昼休みを全部使って、一心不乱に自由帳に絵本を描き始めた。
ストーリーの詳細は忘れてしまった(というか、体が生きていくために無理やり忘れたのだと思う。覚えておくには平常時のストレス値が高すぎる)が、たぶん、主人公『ソラ』が、いなくなってしまった妹『ミライ』を探しに行く冒険物語だった……気がする。
当時兄弟とうまくいっていなかった自分を憐れんで、悲劇のヒロインを演じるのがどこか快感であった私は、「可哀そうな何か」が好きであった。
だから、ソラやミライが怪我をした描写は、妙にグロテスクに描きこんでいたのを覚えている。嬉々として血や傷を不必要なほど描き足していた小学生の自分は、イタイし、ちょっと怖い。なぜなら、その時は誰かに「バイオレンスな物を好む自分」を誇示したかったのではなくて、ただ自分の興奮と衝動のままに、かわいいウサギに血と切り傷を描きこんでいたからだ。本当に最悪な性癖である(今はこの性癖は治ったし、グロテスクなものはてんで見られなくなってしまった)。
この作業は、いままでイラスト講義に充てていた昼休みに行っていた。当然、今までイラストを習っていたクラスメイトたちは、「ヒキワリちゃん何してるの~」と興味深そうにやってくる。そこでも調子に乗った私は、最悪な思い付きをした。
「今、絵本描いてるの。みんなも一緒にやろうよ」
そのころ謎のカリスマ性(まさか自分がみんなに嫌われるとは微塵も思っていないお花畑勘違い野郎)を持っていた私の提案に、女の子たちは目を輝かせて応じてくれた。それからは、かわるがわる、色々な子に色塗りや本文執筆を依頼した。いつしか「絵本作りに携わっている」こと自体がステータスになったようで、作業分担の権利をめぐって争いが起こることもあった。そんなときは、勘違いリーダー野郎の私が、「リカちゃん(別名)はノートの飾りつけをやってくれる?」などと、偉そうに指示をした。
こうして、雑なつくりではあるものの、自由帳一冊分の絵本が完成した。してしまった。
盛り上がった私たちはなんと、それをみんなで回し読みをした挙句、クラス担任に押し付けたのである。あんな性癖と稚拙なストーリーで出来た、全く教訓のない、もはや絵本と呼んでよいかも分からない特急呪物を、制作陣以外に公開したことは私の最大の愚策であった。しかし優しいおばちゃん先生は、「低学年の女の子たちが協力して何かを創作した」という事実だけでいたく感心したらしく、クラスの本棚に置かれることになった。最悪である。こうして、私の黒歴史が、3年A組の本棚にひっそりと置かれることとなったのである。
無論、男子たちはこれを冷めた目で見ていた上、制作陣以外の人から賛否も感想も何一つもらえなかったことを付け加えておく。


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