見出し画像

父のネクタイと母の着物

父のネクタイで小物を作る


父が亡くなってしばらくたった頃のこと。
母が小ぶりな段ボール箱を差し出した。
開けてみると、父のネクタイがたくさん入っている。
会社員だったからネクタイがたくさんあるのだ。

懐かしい、この柄覚えている!
感傷に浸っていると「捨てきれないから、これで何か作って」と母が言う。

正直、驚いた。
姉妹の中で一番時間的に余裕がなく、一番不器用な私に?

しかし、頼まれれば張り切ってしまう私である。

ネクタイを開いて、芯を出す。アイロンをかけて平らにする。
10センチ四方をたくさん切る。
三角に折って、もう一度折ってそれを5枚つなげてブローチにする。
中央には可愛いボタンをつけて飾りにする。
裏にはブローチ用のピンを縫い付ける。

たくさん作った。
母や妹たち、父の法事で集まった叔母たちに選んでもらう。
みんな喜んでくれた。
「わぁ!この柄、覚えてる。」「これは私があげたヤツかな?」
話が弾む。

まだネクタイはある。
かわいい巾着や、数珠入れなどを作った。
次の法事に持って行くと、またみんな喜ぶ。


チクチク手で縫っていた

まだ残っている。
細い所が残っている。
何ができるかな?
考えて、考えて。

平織みたいに織って、離れないように縫った。
その上に文字をのせてみた。
文字の生地もネクタイだ。
タペストリーの完成!

お父さん、ありがとう

昔から不器用な私

両親は器用だった。妹たちも器用だ。
家族の中で私だけが不器用。
子どもの頃は家庭科嫌い。

そんな私がブローチや巾着や、タペストリーまで作ったからみんな驚いた。
いや、自分が一番驚いている。

人間は何かがきっかけで自分でも驚くような力を出せるのだと知った。

手芸が好きなわけではない。
頼まれたから、やってみた。
断る自由もあるだろう。
しかし事情が事情なだけに、母のためにどうにかしたいと思ったのだ。

人のためになら、喜ぶ顔を見るためなら、頑張れる。

母の着物で服を作る

絞りの着物で作ったワンピース

父のネクタイでたくさんの小物を作ったことが、楽しかった。
まだ在職中だったので、夜は疲れているはずだが楽しく作った。

母が今度は自分の着物を出して言う。
「着物は着ないから、これでを作って」。

「えーっ!?」
ネクタイの時の数倍、驚いた。
ネクタイで作ったのは小物だから、まだ良い。
服、となればかなり大きいではないか。

しかし、また頑張ってしまうのだ。
覚悟を決めて、ミシンを買った。
直線縫いとジグザグ縫いができれば良いから、一番安いミシンを買った。

次に「着物リメイク」の本を買ってみた。
付録の型紙では母のサイズは作れない。
「ぽっちゃりさん」用の本を買った。
母に合うサイズの型紙は、ある。

問題は型紙の取り方だ。
着物は幅が狭いから、つなげる。
つなぎ目がどこにくるかを考えて、型紙を取る。

しかも、着物をほどく、という作業から始まる。
着物の柄とデザインの組み合わせを考える。

床いっぱいに広げての作業だ。

当然、そんなに作業ははかどらない。
急ぐ必要はないとはいえ、完成イメージが頭の中にできると、早く仕上げたくなるものだ。

そうやってできたワンピース、チュニック、ブラウス、スカート、コートまで…。

余った布でバッグやコサージュも作ってみた。

コサージュも作った

なかなか良いのでは?
 
母は気に入ったようで、着てくれている。

母が余所行きにも使えるチュニックを着て、共布のバッグを持ち、妹とお出かけした時のこと。

お店の方から服とバッグがステキ、と言われ、
母は嬉しそうに「娘が作ってくれて…。」と言ったとか。

光景が目に浮かぶ。

私が頑張ったことで、母が喜ぶ。
母が喜ぶのを見てみんなも喜ぶ。

良いサイクルではないかな?

自分の中の何かを探す

調子にのった私は今、様々なモノを作って楽しんでいる。
人にあげて喜んでもらう。

喜んでもらう、ということが嬉しいし、エネルギーになるのだと知った。

もしかしたら、自分の中にまだ気づかない何かが眠っているかもしれない。
年齢は関係ない。これまでの経験も関係ない。
自分の中に眠っているかもしれない、何かを探してみよう。
まだ時間はある。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?