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人生の道しるべ

造形について 教祖のお言葉抜粋
造形は、だれでも自分がするのだ、と思っています。

そして、自分のイメージを自分が造形するのは、自分の勝手であるとも思っています。

ところが、「勝手じゃ、どんなもんじゃ、おれというものはここにこうしているんじゃ、おれがおれのイメージを造形したんじゃ」といばっているのですが、その「おれ」というものを、じっと凝視して掘り下げてみますと、わからなくなってくるのです。

(おれが造形できてきたのは、今までの話であって、今の瞬間まで何とか生きえて、あれこれ造形し得てきたのではあるけれど、今から先、造形できるかできないか、分からない「おれ」なのではないでしょうか。これから先、今まで同様、イメージの造形をつづけられるか、られないかが、さっぱりわからない「おれ」ではないのでしょうか。)という内容のようです。

そうしてみると、造形する本体はいったい何か、ということになると、これは自分であって自分ではないのです。

それなら神さまかといいますと、神さまだけでは造形はできない、自分というものがなくなってもいけないのです。

神と人とが一体になった境地・・・・・神であって己であり、己であって神である、いわゆる有無(うむ)を絶した有(う)の境地なのです。

(心いちずに神に祈り、神におすがりしながら芸術・創作活動に携わる素晴らしさ・幸福感に生き、創作活動を無限に進歩発展させ得る境地)ということになりましょうか。

(一本の線を引くのも、自分の力で引くのではなく、神に依って引かしめられる)という境地でしょうか。

とてもむつかしい境地のように思われます・・・・・。

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