今あえて、元妻とのことを書く

とある方の今の苦しみを綴ったnoteを読みました。それで、少し元妻とのことを思い出した。

だから、少し思い出しながら、自分の思い出を書こうと思う。

結婚して、比較的早い段階から、元妻の性格や趣味、考え方、合わないところをいくつも感じた。

それを擦り合わせようと何度も試みたけど、うまくいかなかった。いつしか見て見ぬふりをするようになった。

でも、別れてから薄々感じてた。すり合わせをするふりをして、自分の理想をずっと押し付けてたことに。もちろんこっちは譲歩しているつもりだ。
でも、彼女にとってはそこまで歩み寄ることも苦痛だったと思う。

どうしてありのままの彼女を愛せなかったのか。ありのままを愛せないなら、どうして一緒になったのか。

そこには正直打算もあった。付き合っているときに彼女の生活を金銭的に支えていた。それぞれの暮らしをしながらそれってなかなかしんどい。どうせいつか一緒になるなら、と。

結果的に彼女を苦しめたんだけど。

結局のところ、俺は彼女の何が好きだったんだろう。もちろん好きなところはたくさんあった。犬を溺愛してるところとか、ご飯を頑張って作ってくれるところとか、俺に色々合わせようとしてくれるところとか。
反面、時間にルーズなこととか、ネガ落ちしたら「詰んだ」とすぐいうところとか、ネットスラングが普通に口から出るところとか、オタク趣味があって、それを俺に隠してハマってるところとか、嫌なところもあった。

俺はそんな彼女を総じて愛することができなかったんだと思う。極力口には出さないようにしていたけど、俺が嫌なところを彼女が見せると、俺は不機嫌になってただろうし、すり合わせをしてるふりして弁が立つ俺は、彼女をこっちの理屈に合わせようとしていた。

今思えば、いいとか、悪いとか、いくらカップルでも、夫婦でも、相手を捌くものじゃない。俺がやったみたいにプロとはいえ他の女性に心を奪われたのはさすがに別だけど。
極論でいえばそれでもそんなところも好きだと言って欲しかったとは言わないけれど、そんなふうに感じていたら、ああはならなかったと思う。逆もまた然り。

あの子に出会ったらいつ何時でも恋してしまうだろうけど、そういう場面に出会わないようにしていたと思う。あの子との出会いは俺にとって雷みたいなもの。雷を避けて生きていこうとしていたら出会わなかったかもしれない。

話を戻そう。

近くなったから、思い通りにしたかったのかもしれない。近くにいないから、例のあの子には、今他の人を好きでもいい。元気に過ごしてるならそれでいいから、ただ一目会いたい。そんなことを思ってる今とは真逆の発想に感じる。

どっちが好きなのか、なんて不毛なことは考えない。今はもう同列に並んでるわけじゃないから。

ただ、振り返って、それが自分が思う「正しくない」だとしても、それを「正してあげよう」なんて烏滸がましくて。「こっちのほうがお互いのためにいいよ」は結局はほとんどが言い出した側の都合であって。
それを押し付けてしまう時点で、その人のことを好きなんじゃなくて、その間違えた「正しさ」をもってる自分が好きなんじゃないか。結局自分が1番好きなんだろう。そんなふうに思う。

そこまで考えてしまうと、今の例の子へのただひたすらの片思いも、ただの自分の願望なんだけど。無理をすると迷惑になるし、迷惑をかけることが好きとは違うとは思うけど。

そこは片思いか、お付き合い(結婚)しているか、の整理でいいんじゃないかと思う。
お互いのことを大事にしている関係なら、もっと、ありのままの相手を大事にすべきだったし、それができなかったから終わりを迎えたんだろうと思う。
だから、俺は元妻とは離婚して、少ししてから、改めて謝罪の連絡は一度してしまったけど、それ以来一切連絡してないし、この先一生、連絡することはないと思う。それでいいと思ってる。

相手を変えようとする時点で、ありのままのその人を、全力で愛することはできていないのかなぁ。

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