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キタニ、救世主になるな

去る'24/01/10、キタニタツヤの待望のニューアルバム、『ROUNDABOUT』がリリースされた。
これは拗らせ厄介逆張りオタクがアルバムを聴いた感想である。

今回インタビューなど一切確認していないこともあり、本来の意図を読み違えている部分が多々あると思われる。

私個人の感想であり、他の感想を否定するものではない。
ただ吐き出すために書き殴った感想である。


ROUNDABOUTとは

まず、roundaboutという英単語には以下の用法がある。

【形容詞】
1. 遠回りの
2. 遠回しの、婉曲な、回りくどい
3. 間接の
4. 裾の平らな、肥満した
【名詞】
1. 回り道
2. 〈英〉メリーゴーラウンド、回転木馬
3. 〈英〉ラウンドアバウト、ラウンダバウト、環状[円形]交差点
4. shell jacket(服の名称)

アルク - 英辞郎

アルバムを通して聴いてみた感じ、おそらくここで使われているのは「婉曲な、回りくどい」とか「回り道」あたりだろう。

キタニ…お前教祖になるんか?

今回のアルバムは全体的に教祖じみていて、率直に言ってしまうと気持ち悪かった。
崇め奉る系のファンも増えているから風刺でもあるのだろうが、実際のところ目に入る感想は「救われた」「神」「教祖」「カリスマ」とかそういうのばかりで、風刺として成立していないのでは…?と思う。

教祖ムーブで笑いを取りたいのかもしれないけど、もう実際に教祖になってしまっている。
教祖が「おれ教祖みたいでしょww」とやっていても面白くないし笑えない。

『私が明日死ぬなら』のラジオOA後のSNSとか同じような感想ばかりで、ディストピアにでも紛れ込んだか?と思うほどだった。元からディストピアかもしれないが。

明日死ねるなら困ってません

『私が明日死ぬなら』について、『クラブ・アンリアリティ』と同系統と言っている人がいた。
私としては、これには断固反対したい。

『クラブ・アンリアリティ』は去る者は追わず来る者は拒まず、という雰囲気が強い。
「人生カスだし人間もゴミだけど、それでいいじゃん」「死ぬのはまた後にして、とりあえずここで遊ぼうや」みたいなイメージで聞いていた。
感覚的な話になって申し訳ないが、伸ばした手を取ってくれるという感じの曲だなーと思う。

それに対して、『私が明日死ぬなら』はバチボコにこちらへ手を差し伸べてくる。

こっちに上から手を差し伸べないでくれ。おまえも一緒だと思っていたのに……上に行けたならそれはよかった、幸せになってくれ、でもこっちはもう見ないでくれ……みたいな気持ちである。
一緒に藻掻いていた人が解脱してしまって悲しい、みたいな感じ。私はただ寂しがっているだけなのかもしれない。

私なんかに手を差し伸べてくださったところ大変申し訳ないが、ありったけの力で払いのけたくなる。

雑解釈をすると、明日死ぬなら最後の一日は穏やかで素敵な日にしたくなるよね、そんな最後の日を積み重ねて、辛くても生きていこうよ的な曲だと思う。
素晴らしい曲!人生賛歌だ。どちらかというと祈りだろうか。

でも私は、そんな曲は1秒も聴きたくない。
明日死ねないから困っているわけであって、明日死ぬと言われても出掛けたいところはないし、会いたい人もいない。音楽を聴いて、本を読んで、映画を見て、ついでにアニメも見て、ゲームを始めたあたりで死ぬだろう。

ご丁寧に歌詞まで投稿してくれてどうもありがとう。救うなら他の人を当たってくれ。

青のすみかの良さがわからないから死にたい

キタニタツヤの知名度は、『青のすみか』で大きく上昇したと思う。
私は呪術廻戦を読んでいないしアニメも観ていないので、曲ありきでの評価しか出来ない。歌詞が深い(深いって何?)らしいので、真の良さを分かっていない可能性もある。

それにしても『青のすみか』はダサかったと思う。イントロで期待させておいて陳腐に終わった曲という感想がどうしても拭えない。

とか思っていたら爆伸び&紅白出場までしたので、私にセンスがなかったのだろう。でもなんか……私は『素敵なしゅうまつを!』の方がだいぶ好きかな、と思う。

ただ、アルバムで『私が明日死ぬなら』と並んでいたらそんなに違和感はなかった。どちらも好きな曲ではないので、似た系統なのかもしれない。

滑稽だね、笑うよ

アルバムのラスト曲、『大人になっても』は『私が明日死ぬなら』と対称的な曲になっていると感じた。
この曲はこう締められている。

「なんとなくで幸せに生きてる 滑稽だろ、笑えよ」

キタニは前から幸せな瞬間も幸せな思い出もあっただろうが、「なんとなく幸せ」というムードは感じていなかった。
世の中に広く評価されて、紅白にも出て、幸せになって良かったと思う。皮肉とかではなく、応援している人間として純粋に。

幸せになってこちらに手を差し伸べてきたキタニタツヤを、私はクラブアンリアリティから全力で笑おうと思う。
いつでもこっちに帰ってきていいからな!


ちなみに、伊藤健人への提供曲、『サッドマンズランド』は個人的に好きだった。やや懐かしいノリ。


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