マサラ上映という熱狂

誰がために祝福はある 好きという気持ちの数の紙吹雪投ぐ

ただ君を一秒彩るため切った千の吹雪よ、燃えつつ落ちよ

          #推し短歌  三月の手紙

「いま感情が全部ある…」「わかる…」

都内のある劇場で、涙を浮かべながら隣の名前も知らないオタクと呟きあう。
踊り狂った後の身体は汗ばんでいて、足元は紙吹雪で埋まっていた。人生で初めての「マサラ上映」を終えたあとのことだった。

2023年1月、私は『RRR』というインド映画を観て、ドハマりした。『RRR』の内容や魅力については色んな人が色んな言葉で語っているので割愛するが、私はその『RRR』の応援上映に、数ヶ月に渡って、何度も行くようになった。

応援上映は(上映によって細かいルールが異なるが)、ペンライトやうちわ、タンバリンなどの鳴り物を持ち込んで良かったり、掛け声(応援)をしていいという上映だ。映画館で声を出していい、目の前の推しに「かっこいい」「キャー!」と言っていい。推しが常に画面の中にいる私には、新鮮な喜びだった。

しかし、応援上映に何度かいくうちに、「マサラ上映」に挑戦したいという気持ちが芽生えた。

マサラ上映は応援上映より更に出来ることが増える。紙吹雪を撒いていいし、クラッカーの持ち込みも可能だ(これも上映によりルールは異なる)。推しが登場した、推しがかっこいい、そんな瞬間を紙吹雪やクラッカーで最大限に祝福することが出来る。紙吹雪は観客が自分で紙を切って持ち込み、上映終了後は観客みんなで片付けをする場合が多い。しかし、さすがに広い劇場では出来ないので、いわゆるミニシアターでの開催がメインだ。席数が少ないゆえに当時、都市部のマサラ上映はチケットが激戦だった。東京住みの私はなかなか行くことが出来なかった。

しかしなんとかご縁があって、参加することが叶った。100均で数十発分のクラッカーを買い込み、寸暇を惜しんで薄紙を大量に重ねて切って紙吹雪を作り、指にマメまで作って当日を迎えた。

『RRR』は男二人の物語で、それぞれ炎と水を纏って戦うために、ちゃんと「推し色」として赤と青が割り当てられている。推したちの登場や好きなシーンで、私はもう腕なんか外れてもいいと思いながら、何度も何度も、紙吹雪を高く投げた。推しを出来るだけ長く、その吹雪が彩ることが出来るように。自分が投げた紙吹雪と周りのオタクのそれとが混じり、視界は赤や青一色になった。「ああ、私はこの光景を観にきたんだ」と思った。

クラッカーも推しの登場や推しの決めシーン、銃声などに合わせて鳴らす。観客みんなが鳴らすクラッカーで火薬のにおいが立ち込める。まるで匂いまで再現した4DXのようだった。

声が出せる、ペンライトも持てる、タンバリンも鳴らせる、紙吹雪とクラッカーも使える、ダンスシーンではダンスも踊れる…となると本当にやることが多かった。事前にやりたいことを絞り、荷物を取り出しやすく整理しておかないと訳がわからなくなる。しかも、常に後方から大量の紙吹雪が降り注ぎ、膝の上も足元も荷物も、カラフルな紙吹雪の豪雪に埋まっていくのだ。狂乱である。

この狂乱の中で、ただでさえ濃い内容で三時間もある『RRR』を観終えたら、気づいたら泣いていた。喜びでも悲しみでもない、なんだろう、全ての感情がある、と思った。そして多分同じ何かを感じているであろう隣のオタクに、話しかけてしまったのだ。

「いま感情が全部ある…」「わかる…」

映画館を出たあと、私は高校生男子のように肉を食べた。疲れ切っていたけれど、明日からの日常を戦う覚悟は、なぜか十分すぎるほどにあった。

#推し短歌

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