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嫌で嫌でしょうがない

新年の抱負を、とか思っているうちにあれよあれよともう9日。
もはや正月飾りも外されていますね。

さて私は昨年秋ごろから2つ学んでいることがあります。
ひとつは楽しい。参加すればほっとするし、笑顔で講座を終われる。
誰でも受け入れてもらえて、居場所がある。

だけどもう一方は正直苦しい。
1回目からそう。周りの人たちの発言とかなんかすごくて、
みんな若いのにしっかりしていて「年の功」すらない。
横文字が飛び交い、わかるのは助詞だけなんて話も。
なんか場違いなところに来ちゃったかなと始まりました。

やっていく内にみなさんの目の付け所や考えどころが
ゆるりと生きてきた自分とこんなにも違うんだなと気づかされる。
「アイディアへの一発勝負!ではなく、ただただ実直に必要なことを
行っていくだけ」と講師から言われるのに、それができない。
自分なりにやっているつもりでも、なんか点ばかりが増えて
線にならない。しかもその点も、ゴールを描くためのいいポジションに
あるわけでもなく、なんでこんなところに点を打ったー?って
思わず突っ込みたくもなるようなところにも。
(いや、点が増えるだけでも自己成長であることはわかるのよ、
わかるのよ、でもでも…)。
きれいに線がつながって形になっていく人のなんと羨ましいことか。

今日はその講座のプレゼン発表だったけど、2日前の有志の勉強会も
正直嫌で嫌でしょうがなかった。
有志のはちょうど「なんかできそう、自分!」ってちょっとポジティブな
時に声をかけてもらったのでお願いしたものの、そのあと方向転換し
明らかに薄っぺらっぺらな状態で…参加するのが恥ずかしかった。
でも断る勇気も出し切れず…。
でも参加し終わってみると、いい意味で皆も模索しているのがわかり、
ちょっとした仲間との雑談が沁みた。

で、いよいよ本番。
前日に自称優しい中国人にいろいろな話を投げかけられ、何がやりたいのか
また混乱する。つまり軸がないってことね、私。
でもやっぱり講義を休むのは、それをやっちゃうと逃げ癖がついて
ここに戻ってこれなくなる自分がわかるから、出る。
でもできていない自分を見なきゃいけない、人が認められていくのも
嫉妬心持ちながら見なきゃいけない。悔しくて目に涙がたまる、
そんなもろもろの自分も嫌だ。

自分の弱いところを見つめるって本当に嫌だ。
でも見つめなきゃ改善もできない。
もっと自分を誇れる人になりたい。


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