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小説始めちゃいました。第三話

 あのピアニストとの奇跡的な出会いから半年、Aは彼の音を聞きたくて欲求不満の頂点にいる。あの、優しく問いかけてくるような音色は頭をふり取り除こうとしても脳内に残り続ける。まるで束縛の激しい恋人のように。

 今日は週に1回しかない貴重な休日だ。したいことが山のように積もっていてどれから手をつけようか迷っているすきにやる気が遠のいてしまう。やりたいことの多さに比べ体は1つしかないのだと思い残念にそして非力さに鬱になり、「ここで彼がいてくれれば、ほかのやりたいことなど放り投げてピアノの傍にいき何時間でも聴くのに……」と一人部屋で嘆いた。

 Aは、彼の演奏を思い出した空想に浸ろうと目をつむると、あの時のピアノが彼の目の前に浮かび上がる。あの時と同じ音色が頭の中で鳴り響き音でいっぱいになる。それは至福の時間と言っても過言ではないものだった。その鳴り響く音の中で彼の顔を探した。どんな顔だったかとおもいだそうとしても、見えないし見当たらない。それは、まるであの時のおじさんのようにモザイクで幾何学的な恐ろしい何かで恐ろしくなり目を見張らいた。

 「まさか。」と言い、テーブルの引き出しから乱雑に日記を引っ張り出してあの日のページを見ようとペラペラと音を立てて探した。一枚一枚ページがめくれると、同様に脳内でも記憶を一日一日とフラッシュバックさせる。友達との思い出や、ピアノのこと、ご飯のことなど色々な情報が頭の中で駆け巡り、パンク寸前になり手が無意識に閉じようとしていた。その時、本命のページが表れた。73ページの‘‘あの日‘‘の出来ことだ。

 深く息を吸い、大きく吐く。それを二回繰り返し、腹を据えるその日の出来事を日記とともに頭の中の記憶を確認する。やはり、そこには見た目は異なる顔の見えないおじさんがいた。

それがまたメッセージであることはおおよそ検討がつくが「なぜ、音楽なのだろうか」と疑問に思った。

 「時間は不可逆的なもの。」そう脳内で繰り返される。

 音楽と時間。何の結びつきがあるのだろうか。何も関係性のない両者のようだがそれだけで終わらせられるわけがなくいろいろな考えを巡らせる。そうしていると、脳内にとある人物がうかんできた。それはベートーヴェン。ベートーヴェンの曲と言えば、何を思い浮かべるだろうか。Aは間違いなく交響曲九番だ。第一。第二。第三と続き、第四楽章で今までの音を否定して、これが私の求める音だと歌う。そんな交響曲九番は彼の最終の交響曲としてふさわしいと私は思う。最後の交響曲としてふさわしいという理由にはもう1つの理由がある。それは、メッセージ性だ。第九以外にも、彼は優しく平和や幸せを祈る曲があるが、その中でも第九は後世をこえて永遠に続く平和や調和を歌ったのである。それは、今もなお欧州から遠く離れた極東の日本でも100人の第九と称し歌われている。これが伝えることはなんだろうか。音楽は不可逆的なものではないということだ。音楽というのは数直線上に表せるようなそんなものではない。私たちの魂が音楽を追いかけ、それを常に感じて表現している。それは永遠に紡いで行くものではなかろうか。

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