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台湾旅行③ 一日目 九份へ

 タクシーで山沿いの道を上ること十数分。日はすっかり沈み、街灯にはポツポツと明かりが灯りだした。とはいっても空は依然薄明るいままで、眼下に広がる町並みもはっきりと見渡せる。

 運転手のおっちゃんから謎の中国語と共に中腹あたりにおろされた私たちは、九份の方角も分らぬまま、ひとまず目の前の山頂へと続きそうな階段をのぼることにした。私も友人もレンタルWi-Fiなどは持ち合わせていないため、ここでのグーグルマップの起動は通信料の死を意味する。遭難寸前まで追い込まれない限りは使用できないのだ。

 途中門の前に「仙師宮」と書かれた黄色のランタンが掲げられた建物があったものの、どうやらこれは九份とは関係ないようだった。もしかしてこの道ってこの仙師宮へのただの参道だったんじゃ・・・。という思いが友人と私それぞれの頭をよぎる。暗闇も相まって仙師宮からは、迂闊な冷やかしでは立ち入れない本格的な宗教感が漂っていた。
 余談だが、どうやらこの仙師宮は台湾各地にちょいちょいある建物だったらしい。日本でいうところの地蔵のある祠的な物なんだろうか。

仙師宮。ランタンで黄色く浮かび上がる。

 あたりはとっくに夕暮れから夜へと移り変わり、私達は覚悟を決めて黙々と夜闇の中を歩き続けていた。気持ちはもうだいぶ、九份からの帰りの電車の時間に移っている。
 どのくらい歩いたろうか、坂を過ぎ急に前がひらけたと思ったら、縁日のようにごった返す人波と、その上に無数に連なるランタンの明かりが目に飛び込んできた。視界一面の朱色に輝くランタンは、階段伝いにずっと上のほうまで続いている。ようやく待ち望んだ街、仇份にたどり着けたのだ。

夏祭りのような仇份の夜。

 それにしてもすごい人の数だ。おそらく大半が観光客なのだろうが、道からはみ出んばかりの人々の群が、めいめいランタンと自分たちとのベストショットを撮るべく試行錯誤している。普通こういった観光地で人がごった返している様子を見ると興が殺がれてげんなりしそうなものなのだが、仇分ではその群衆でさえも、祭りの喧騒のような心躍る効果をもたらしている。
 映画「千と千尋の神隠し」の舞台になったともっぱらの噂だったが、それも間違いないだろうと太鼓判を押したくなるほどに、非日常的なこの雰囲気。この街のどこかに、湯婆々の温泉宿があったってちっとも驚きはしない。むしろほんとにあるんじゃないだろうか、この先に。
 そんな思いを抑えきれない私のみならず、道行く人すべてがワクワクしながらこの空間を楽しんでいることが伝わってくる。なんなのだろうこの、陽気で雑多で新鮮で、それでいて居心地良く歓迎されているような感じは。まるで生まれて初めてお祭りに行ったときみたいだ。私がディズニーのキャラクターだったら確実に唄いだしている。 

 ランタンの連なりと共に山頂へと続く石階段の両脇にはガラスや磁器でできた中華風アクセサリーのお店や、これまた可愛らしい小物や化粧品を売る店が軒を連ねている。そのどれもがもうこの町の雰囲気にぴったりで、たまらなく魅力的だ。

 その中でも特に私たちの目を引いたのが「花文字」を書いてくれるお婆さんだ。お婆さんに自分の名前を書いた紙を渡すと、木片に絵の具の様なものをつけて紙にその言葉を書いてくれる。たったそれだけの事なのだが、お婆さんのつける絵の具の量の塩梅や色の滲み具合も相まって、ただの文字から水に浮かぶ蓮の花や差し込む朝日、尾ひれをたゆたせながら優雅に泳ぐ金魚が魔法の様に生まれてくるのだ。そしてできあがった名前はまさに「花文字」の言葉が示すとおり、華やかでとても素敵なものとなっている。

 もちろん友人と私の二人ともこの花文字を書いてもらったのだが、その差は歴然。友人の方は花束のような豪華絢爛な出来になっているのだが私の方は完全に元の文字が読める程原型を留めている。
 「この婆ちゃん、私の時にはダルくなって手ぇ抜いたんじゃ・・・。」
 相手に通じないことをいいことに悪態をつく私の隣で友人は
 「いや、字画の差でしょ、ははっ。」
 と言いながらご満悦気に自分の華麗な名前を見つめていた。
 確かにこの花文字、文字の一部一部を絵に見立てるものなので、必然的に単純で字画の少ない文字は地味に、字画の多い文字は派手な仕上がりになる仕組みとなっているのだ。自分の名前の画数について我こそはと自信のある方は、是非とも台湾の花文字を御体験願いたい。かさばるようなものではなし、所要時間も十分程度。世界に一枚だけの花文字を仇份の思い出と共に持ち帰るのも素敵ですよね。婆ちゃんに手を抜かれた疑惑があるのにも関わらず、なんだか花文字業者の回し者みたいになってしまった。

 お婆ちゃんに花文字を書いてもらった後は、仇分一有名なお茶屋へ向かうことにした私達。石段を進んでしばらく歩くと、暗闇の中真っ赤に輝くなランタンにずらりと縁取られた三階建ての黒い大きな館とこれまた黒い木の門構えにかかった朱色の看板が見えてきた。これが「阿妹茶酒館」だ。

阿妹茶酒館。黒と赤のコントラストがカッコいい。

 ここは「千尋の神隠し」の湯婆々の館のモデルとなったとの噂もあるお茶屋で、モデル説も頷けるほどの怪しげな雰囲気を醸し出している。まず建物の全体が黒木のため室内の煌々とした明かりが強調されており、そこに真っ赤なランタンが連連と灯されているものだからもう、端から見たらあの建物の中では怪しいけれど心躍る何か、それこそ神々の宴でもあってるんじゃないかという気持ちにさせられるのだ。

 門から中の建物を覗いてみると、窓枠沿いにツタが這っているだけでなく、当然のように幼子一人分ぐらいの大きさのある、能面の様なものが飾られている。しかもこの能面、ベーシックな薄顔のものから翁、そして怨霊風と、外から見るだけで三つも飾られているのだ。そのどれもが眉をしかめて口を半開きか、あくび寸前の様な表情を浮かべており、能面たちの不快感がひしひしと伝わってくる。なにより陰影で純粋に怖い。

巨大能面。たくさんある。

 謎の能面に目が釘付けになりながらも店の扉をくぐると、「お茶していきますか?」と店員さんから日本語で尋ねられた。しますします。この阿妹茶酒館、ガイドブック情報だと外観のみならず料理も良く、スイーツも美味しいとのことなのだ。是非とも絶品と名高い芋の白玉ぜんざいを食べて帰らねば!
 息まく私達を屋上の席へと連れていく店員さん。テラス席からは、阿妹茶酒館はもちろん、仇分の夜景が一望できていかにも「台湾に来たな!」と実感する雰囲気の良さだ。ここでこのまま映画の撮影ができる。さて、大分お腹も減ってきたし、暖かい芋ぜんざいと美味しいスイーツを二、三頼むとするか。
 うきうき気分で待つ私達の元に、店員さんがようやく戻ってきた。煮えたぎるぶんぶく茶釜のような物を持って。
 えっ・・・? 茶釜に圧倒される私達をよそに、手際よく茶釜コースの説明を始める店員さん。どうやらこのコースは、この茶釜で自ら最上のお茶を沸かし、お茶菓子と共に愉しむ体験ができるらしい。  
 どうしてこうなった?  まさか最初の「お茶して行きますか?」は「ここで一杯やってくかい?」的なニュアンスのものではなく「本場中国三千年の歴史が誇る本格茶体験をおまえもまた所望するのか?」的なニュアンスだったのだろうか・・・?
 間違いなくそうだ。そして正直お茶より芋ぜんざいが食べたい。優しい甘さでとろりととろけるという噂の芋ぜんざいが。 そんな切ない胸中など知る由もなく、一通り流れと作法を説明し去っていく店員さん。残された煮えたぎる茶釜と大量の茶葉。むろん私も友人も、説明などろくに聞いていない。

 その後、増えるワカメばりに増殖する茶葉や熱過ぎる茶釜に苦戦しつつも、どうにかお茶を入れることに成功した。少し肌寒いくらいの屋外で、温かいお茶をすすりながら砂糖菓子や胡麻のお菓子、甘い梅干しの様な何かを食べると、これはこれで台湾らしくて爽やかな心持ちがする。結果オーライ。ただ、芋ぜんざいへの思いは拭い去れないけれどな。

所望していないが体験することになった本格茶

 大量のお茶を飲み終わった私たちは再び仇份の街並みへと繰り出した。暗闇の中無数のランタンが連なる仇分の路面店には、他にもベタベタなお土産屋からパワーストーンの様なものを売るお店、そして何より食べ物関係の店が多く軒を連ねていた。
 その中でもやはり一際異彩を放っていたのが「臭豆腐」だ。なんでもかの西太后も愛したと言われる曰く付きの一品で、独特の臭みがありながらも、台湾でいまなお変わらぬ人気を誇る一品らしい。
 この臭豆腐、実は私が仇分でランタンに次いで密かに注目していたものなのだ。そもそもこの臭豆腐の熱狂的ファンである西太后自体が夫の愛人に残虐な刑を処したうえであえて生かしただとか、清王朝を滅ぼしただとかクレイジーすぎる噂の絶えない人物。そしてそんな西太后の愛した臭豆腐もまた、その名が示すとおりとにかくもうやたらめったら臭くてとても食物とは思えないとの専らの評判なのだ。こんな話題性溢れる豆腐を食べずして、台湾に行ってきたと言えようか。いや、言えまい。十中八九まずいこの豆腐をあえて食べることによって、「台湾で古来より伝わる名物料理を食べてきた。めちゃくちゃ臭くてそのうえまずかった。」という文化的体験を人生の一ページに加えることができるのだ。なによりどんな匂いでどんな味なのかが気になって仕方ない。食べねば!

 決意を胸に臭豆腐屋を必死に探していたのだが、どうやら私は自分でも気づかぬうちに、店が視界に入るずっと前から臭豆腐の気配を感じ取っていたらしい。実は仇分の町並みを探索し始めたときからずっと、ある臭いがしていたのだ。けれどもこれはおそらく町の整備が完全には行き渡っていない為であろうと思い、さして気にもとめていなかった。
 というのもその臭い、例えるまでもなく事実「ほとんど人が立ち寄らずろくに掃除もされていないど田舎の公園のトイレ」の臭いそのものだったからだ。ど田舎出身者以外にはさっぱり分からない例えで申し訳ないが、辺境仲間ならきっと「ああ、はいはいあれね。」と膝を打ってくれることかと思う。そう、まさにあれだ。
 まさかそれが、食べ物の臭いだったとはな・・・。大概のものならば話の種に食べる気満々でいたのだが、さすがにこれには決意が揺らぐ。だってもっと、チーズ的な意味での臭さだと思ってた。発酵してますよ的な。それがトイレと寸分違わぬ臭いだなんて・・・。臭いって空中に漂う分子とかを鼻の細胞が関知することにより感じるものだった気がする。ということはど田舎の公衆便所臭のするこの臭豆腐はつまりど田舎の公衆便所と同じ成分ということになるのであって・・・。食べたくないあまり急に理屈っぽくなってしまった。ガイドブックにも「臭い」だけじゃなく「相当汚い公衆便所の臭い」と明記しておけよな。

 と、私には若干怒りつつも食べるかどうか逡巡するだけの余裕があったのだが、友人は完全に参っていた。
 「ほんと、無理。ほんと、吐くわ。」
 避難訓練さながらにハンカチで鼻と口を覆いつつ。最小限の言葉で宣告する。
 友人は毛虫などを見ても「やだ~!気持ち悪いー!!」と大げさにリアクションするタイプではない。低い声で「うわ!きっも!」と吐き捨てるタイプだ。つまり今現在、冗談抜きで本当に無理で、本当に吐きそうなのだ。
 いやいや、こんな雑踏の中吐かれたらえらいことになるぞ。言葉も通じない異国で、ゲロまみれの友人の介抱とかちょっとハードル高すぎるぞ。
 思わぬ事態に友人の心配より先に保身に走ってしまったが、ひとまず「はやくこの店を通り過ぎようか。」という場当たり的な解決策を提示してお茶を濁す。友人は眉をしかめたまま頷くと、前方の人波をものともせず駆け出していった。 えっ!?そこまで!?周りの店も見ず!? 予想以上のスピードで店を通過する友人に一瞬呆気にとられたが、即座に追いかける。こんな雑踏の中携帯電話も使えない二人がはぐれたら、再び出会える可能性など無い。

 それにしても、大分走っているというのにいっこうに臭豆腐の臭いが薄らぐ気配がない。何故なんだ。注意して周りを見渡しようやく謎が解けた。どうやらこの臭豆腐、台湾では本当に人気のメニューらしく、十数メートルおきに点々と店が並んでいるのだ。つまり全速力で臭豆腐の店から遠ざかる行為は同時に一つ先に店を構える臭豆腐屋に近づく行為となり、ランナーがバトンを受け渡すがごとく延々と臭豆腐臭のリレーが続いているのだ。そしてその結果、賑やかな出店や美しいランタンをろくに見ることもなく人混みの中を疾走し続ける私達。なんなんだこの地獄。臭いだけで人をここまで駆り立てる物を好んで食するなんて、やっぱり西太后はただもんじゃない。

 もう諦めてくれ・・・。受け入れてくれ、この臭いを。 いい加減息もあがった私の強い願いをものともせず、友人は振り向くことすらなく走り続けている。こいつ、実はめちゃくちゃ元気なんじゃ・・・?
 仇分の町並みは緩やかなカーブと分かれ道で構成されており、同じ様な店の並びと相まって、自分が同じ場所をぐるぐる回っているのではないかという錯覚に陥る。いや、錯覚ではなく実際ぐるぐる回っているのだろう。いくらなんでも通りが膨大すぎる。
 臭豆腐の臭いから逃れることを目的にむやみやたらに走り回っていた結果、ほとんどランタンの無い薄暗い路地裏にたどり着いた。店もほとんどなく、古風な住宅が立ち並んでいる。正直仇份について、そのあまりの賑やかしさからてっきり日光江戸村のような、外国人に「台湾らしさ」を体験させてあげるための架空市街地の様なものかと勝手に思いこんでいたため、こんな毎日お祭り騒ぎの町で普通に生活している人がいるということに驚く。ごくまれに民宿の様な所もあったりして、仇份に泊まれるのかと二度びっくりだ。一眼レフと共にここに泊まって、日の出から町中の明かりが落ちるまで、仇份を撮影し続けるのもいいかもしれない。きっと人生でも素晴らしい一枚が撮れるだろう。

 なんだか路地裏は静かだし、夜風が心地よい。真っ暗になった空に、たまに現れる年季もののランタンが渋くていい感じだ。
 心穏やかにゆらゆらと歩く私達の元に、風に乗って音楽が届いてきたのはその時だった。
 チャラチャラチャララン♪チャラララン、チャラララン♪
 クラシックへの造詣が全くない私にでも分かる。これはあの超有名なベートーベンの曲、「エリーゼのために」だ。それもピアノではなく合成音バリバリの。
 それはともかく、何故? 流れてくる「エリーゼのために」は一向に止む気配が無く、それどころかだんだん音が大きくなっている。音源が近づいてきているのだ。はじめは微かなオルゴール程度だった音量も、今では通常の伴奏程度にまでなっている。正直むちゃくちゃ怖い。
 「いやいやいやいや・・・。」
 前門のエリーゼ後門の臭豆腐、どちらに動くこともできない私達が顔を見合わせている間に、音は爆音といっても良い程の音量となっていた。次の瞬間私たちの目の前に現れた黒い大きな影は、その大きな口で次々と路地裏にあるものを飲み込んでいった。ごみの収集車が来たのだ。
 そう、ごみの収集車が来たのだ。心底ビビりあがり友人と二人で「おお・・・おお・・・。」と言いながら立ちすくんでいた事からすればなんとも情けない結果だが、台湾のゴミ収集車は夜に爆音でエリーゼのためにを流しながらゴミを収集して回るという知識を得た。正直どう活用していいのか全く分からない知識なので、出来ることなら全人類に分け与えたい。
 だいたいなんで夜なのにこんなにガンガン音楽を流しながらゴミを回収するんだ?観光客が気づかずゴミ収集車にひかれないようにするためか?住民から苦情とかでないのかな?そもそもよりによって合成音でのエリーゼのためにとか怖すぎるチョイスをなぜするんだ?
 疑問はとどまるところを知らなかったが、答えは出ようもないので考えることを止めた。きっと台湾の人は爆音も気にならないくらい大らかで、エリーゼのためにが好きなのだ。 

 「そろそろ帰ろうか。」

 どちらからともなく言い出した私達が帰路につくころには、あれほどごった返した人々の群れもどこかに消えていて、周囲の店もほぼ閉まっていた。人がほとんどいなくなった仇份は、先ほどと同じ町のはずなのに全く違うところに迷い込んだ様な気持ちになる。通りで聞こえるのは、私達の話す声のみ。あの喧騒が嘘のようだ。

 もう、街は静かに眠っているのだ。そしてまた明日になれば幻のようなお祭り騒ぎで、多くの人を笑顔にする、ずっとずっと前からそんな毎日を繰り返してきたのだろう。せっかくの休息時間に、余所者がいつまでもうろうろするのは野暮というものだ。早々にお暇しなければ。それにしても、本当に素敵な街だった。

 完全にグロッキー状態の友人と共にホテルに帰りつき、一つ気付いた事があった。夕飯をお茶と茶菓子しかとっていなかったのだ。せっかくの台湾での数少ない食事の機会をみすみす棒に振るだなんてもったいない!この旅の唯一の常備薬が胃薬である事が象徴する通り、食には全力投球すると決めているのだ。胃袋は常に満たしておかなければ!
 その使命感のもとホテルのルームサービスを頼んでみたのだが、友人にいたっては注文したメニューがうどんという早くもホームシック丸出しの状態。
 「なんでまたうどん・・・?帰ってから好きなだけ食べればいいじゃん。もっと名物料理を頼めばいいのに。」
 私からの尤もな問いかけに対して、ベッドの上の友人は陸に打ち上げられたトドの死体のような状態を保ったまま応答した。
 「いや・・・ほんと無理。なんか台湾の料理みんな太田胃散感がするじゃん。ただでさえ吐きそうなのに、これ以上太田胃散摂取するのは本当にもう無理だわ・・・。」
 さっきの臭豆腐騒ぎ以来、食に対する友人の接頭語が「ほんと無理」に固定されている。なんなんだこの急激なネガティブ。
 それはさておき確かに友人の言うとおり、台湾の料理はどれもとても美味しいのだが、使っている香草薬草の関係かどれも「仕上げに太田胃散をひとつまみ振りかけました」としか言いようのない風味がするのだ。この旅で、胃もたれにだけは気を付けようと日本から太田胃散を持参してきた私達としては、毎食前に飲んでいる太田胃散を食事でも摂取している様な錯覚を覚えて、正直もう過剰摂取だ。叶うならば厨房に行って、仕上げの一振りをしようとするシェフの腕を抑えたい。
 「まぁ確かにね・・・。それでもうどんはもったいない気がするけど。」
 かくいう私もクラムチャウダーを頼んでいるのだから人のことは言えないがな。
 そんなだらだらしたやりとりをしていた所でルームサービスが到着した。友人もベッドからのそりと這い上がり、大儀そうに椅子に腰かける。けっこうなお値段がするだけあって、注文した料理はどれもピカピカの食器にきれいに盛りつけられていた。
 「いや~、今日はいろいろあったねぇ。濃かった!」
 ざっくりと一日の総括をする私の横で、唐突に友人が口からうどんを吹き出さんばかりにむせ返りだした。きったねぇ!どうしたんだ一体。
 無言でうどんを示す友人。薄々予想しながらも、器を手に取りうどんを一口食べてみる。
 おお・・・。これはまさに、太田胃散で出汁をとったとしか思えぬ味わい・・・。台湾人の太田胃散へのこだわりとともに、一日目の夜は静かに更けた。

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