起業家キャリア研究所(仮)_ミツモア・石川彩子氏のケーススタディ

「なぜ起業したのか」「どうやって創業のビジネスにたどり着いたのか」といったストーリーは、すでに世の中に多くあります。いまでは、リーンスタートアップをはじめとするスタートアップの成功確率を高めるための方法論も登場し、起業前後の"How"については体系化が進められています。

一方で、幼少期の体験や起業までの社会人経験をさかのぼって「どのようなキャリアの意思決定をたどれば、起業の成功確度を高められるのか」といった研究はまだ多くが語られていないというのが現状だと認識しています。

この度の「起業家キャリア研究所」企画では、注目される起業家の「起業までの人生の意思決定」に注目し、読者のみなさまが「どのような思考と行動のトレースをたどれば、目指す姿に近づけるのか」という疑問にお答えできればと考えています。

第一弾はカメラマンやデザイナーなどの事業者と消費者とをつなぐローカルサービスプラットフォーム「ミツモア」の創業者石川彩子氏にインタビュー。
外資系戦略コンサルティングファーム(ベイン・アンド・カンパニー)に勤務した後に、渡米しMBA留学。そしてシリコンバレーのベンチャー企業勤務を経て2017年2月に日本で起業。日本やアメリカの投資家からの資金調達にも成功し「ミツモア」は事業として成長を続けています。では、「ミツモア」を生んだ石川氏はどのような思考と行動の変遷をたどって、いまの起業家としての姿に行き着いたのでしょうか。

石川 彩子(いしかわ・あやこ)
株式会社ミツモア 創業者 兼 代表取締役CEO
ベイン・アンド・カンパニーでのコンサルタント経験を経て、シリコンバレーのEC企業で開発管理や経営管理業務に従事。帰国後、ミツモアを共同創業。東京大学 法学部卒 ペンシルバニア大学ウォートン校MBA取得



―まずは幼少期のお話から聞かせていただけますでしょうか

今でこそ人前で話すことへの苦手意識はだいぶ克服されましたが、幼少期はとても内気な性格でした。とにかく人と話すのが苦手。人とのコミュニケーションを楽しめるようになったのは、大学生くらいになってからです。そんな性格を見かねてか、両親、特に変わり者の父には鍛えられました。「苦労は買ってでもしろ」という考えの父親に、幼い頃から国内の野外活動はもちろん、海外にも子供だけで放り込まれました。父の仕事の関係で中国と日本を行き来することも多かったためか、海外に対する抵抗はなかったのですが、どこに行っても人と話すことは億劫だったのを覚えています。文章を書くことは好きで得意だったのですが、それを口に出して表現する子供ではなかったんです。

―価値観を形成するような原体験となっているような出来事はありますか

中学生くらいの頃、父のすすめで、海外で現地の子供と交流する地域主催のプログラムなどに参加していました。中でも印象的なのは、中学生の頃にロシアで参加した、イカダに乗って川下りをするというトムソーヤーのようなプログラムです。10日ほどの間、風呂はなし、食事は自炊で、汗でベタベタになりながら生活をするという過酷なものでした。強烈に今でも覚えているのは、その時に食べた大量の虫入りスープ。参加しているみんなで、夕食にスープを作ったんですが、川下りという自然の環境ですから、いろんな虫が寄ってきてたんです。試しに懐中電灯をつけてみてびっくり。せっかく作ったスープは、虫がびっしりの"虫スープ"でした。ほかに食べるものもなく、仕方がないので食べました。大抵のことには動じないというか、環境適応能力、「何とかなる」の精神でとりあえず行動できちゃう性格は、こういった経験から培ったのかもしれません。

人間って、自分の知らないことに直面した時、「もっと知りたい」と思うか、「怖い」と思うかのどちらかだと思うんです。私の場合は、幼少期の経験のおかげか、未知への拒否感はなく、「面白い」と思うんです。むしろ自分の知らない色んな世界を見たい。そう思うようになったのは父の影響でしょうね。

―学生時代はどんな学生でしたか?

空想しがちで無計画な学生でした。落ち着きがあって、しっかり計画できる人がうらやましい。私はそういうタイプではないので、世の中の大半の「計画を持って行動できる人」をすごいと思うんです。今では内向的な性格はだいぶ克服されましたが、子供の時から変わらないのは、いつも他のことをボーっと空想し、そそっかしく無計画なところです。経営者として直さなければいけない点なんですが…、常に思考が止まらない。だから、うっかり反対方向の電車に乗っちゃうことなんて日常茶飯事です。

常に何かを考えている"というのは、目の前のことをきちんと考えているという訳ではなく、自分の好きなこと、興味のあることだけをひたすら考えている状態です。大学生時代も趣味のダンスや歴史のことで頭がいっぱいでした。だから肝心な目の前のことはあまり考えず無計画で、とりあえずその時が来たら行動に移してしまいます。海外にMBA留学をしたときも、計画性なく、とりあえず渡米したんです。そしたら、家賃の支払いに必要な銀行口座もないという状態に、行って初めて気づき、しばらくは借りる予定のアパートの廊下に寝袋で寝ていました。

―ファーストキャリアはどのように選ばれたのでしょうか?

大学卒業後に官僚になるか、コンサル会社に入るかの決断の際は、かっこよく言えば、成長するチャンスがコンサルの方があるから。でも正直なところは、私みたいなボーっとしているのに行動先行型の性格で、お役所できちんと仕事が務まるか不安だった、という後ろ向きな理由も一つです。大学卒業後に入社したベイン・アンド・カンパニーでも、チームで仕事をすることが多く、無計画な私の性格では苦労しました。社会に出るまでは、計画のなさは自分にしか影響がなかったんです。例えば、学校のテストは徹夜の一夜漬けでもなんとかなってきた。でも企業に入ると、そうはいかない。自分だけなら付け焼き刃でも通用した計画性のなさは、チームで動くならネガティブにしか働かないですから。ベインではチームで働く上で、優先順位を明確につけ、計画をたてることを、徹底的に教えられました。行動力だけが取り柄だった私が、なんとか経営をできているのは、ベインでの経験のおかげです。

―ベイン・アンド・カンパニーではどのようなプロジェクトにアサインされていたのですか?

ベイン・アンド・カンパニーには5年ほどいました。経験したプロジェクトは、医療・ヘルスケア領域の販促プロジェクトや、あまり前例のないファイナンスに関するプロジェクトなど。特に印象に残っているのは、地方銀行向けのプロジェクトにアサインされたことです。ここでの経験が、後のミツモアのアイデアにつながっています。地方の中小企業の経営者と話をする機会に多く恵まれました。業種業態も様々。製造業の工場もあれば、飲食店や小売店。いまのミツモアの顧客でもある清掃業者などのサービス事業者まで、一つの地域に集中して様々な中小事業者と話をする場を持てたことは貴重でした。そしてそこに愛着と尊敬の念を感じられたことも大きかったです。

―起業にいたるまでの背景を教えてください

コンサルの仕事をしばらくやっているうちに、いつかは自分でも何かやりたいと思うようになりました。もともと「起業したい」「ビジネスを始めたい」という想いが特に強かったわけではないんです。ただ、「いつかは自分の力で何かを成し遂げたい」という想いは持っていました。特にその頃感じていたのは、「日本の中小企業は営業に時間を使いすぎている」という課題。その解決のために「いつか何かやりたい」と思っていたんです。そして「自分で何かするなら成長産業のIT業界。そしてせっかくなら世の中を大きく変えられることをやりたい」という理由で、ITの最先端技術が集まるシリコンバレーでの就職を見据えてMBA留学を決めました。

MBAでは、これまで自分のこともだいぶ勝気だと思っていましたが、周りの人達は、私のレベルどころでなく、さらに気が強いことに驚きましたね。そんな人達に負けずに卒業後は現地で就職しなければならない。とにかく狙った企業の人に会ってもらえるように、Linkedinで片っ端からメッセージを送りました。アメリカで仕事をするためにはビザが必要ですが、その手続きは就職する先の起業が負担する部分も多く、結構面倒なんです。企業のHRからすると、わざわざビザの手続きが面倒そうな日本から来た私よりも、現地の他の人材を選ぶこともありえます。だから「あの子いいよね」ではなく「あの子じゃなきゃだめだよね」とならなければならない。会って仲良くなるだけでなく、必要な人材と思ってもらえるように、「絶対にこの子じゃなきゃだめだ」と思われるように、知り合いに頼んで企業の人に顔を繋いでもらったりもしていました。そして会えるチャンスを掴んだら、その企業の課題を考え、自分がジョインしたらどうやって、どのようにその課題を解決するか、「私じゃなきゃできません!」というオリジナルの案を毎回持って行きました。

そしてようやく決まった現地のスタートアップ企業Zazzleで仕事をしながら、自分の国のために日本でビジネスをするなら何だろうと、いくつかのアイデアを練っていました。その頃考えていたいくつかのビジネスアイデアのうちの一つが、今の「ミツモア」です。アメリカでは、既にいくつも地域密着型サービスが開発されています。でも日本ではまだまだ未開拓の分野です。ベイン・アンド・カンパニーで働いていた頃から感じていた「日本の経済を支える中小企業や個人事業主の専門知識とスキルを、もっと効率よくビジネスに繋げたい」という想いもずっと持ちつづけていました。海外に出ると、すっごく海外好きになるタイプと、逆に愛国心が芽生えるタイプと2通りに分かれると思うんです。私は後者のタイプで、帰国して起業するという道を選びました。アメリカでは、超優秀な100万人くらいのトップクラスの人達が、世界の難しい問題を解決しようとしています。とても刺激的な環境でしたが、私は日本で、日本のために何かしたいと思ったんです。起業家の需要も日本の方が高いとも感じていました。

アイデアを形にするために帰国してから起業までの数か月は、本当に不安だらけでした。共同創業者のエンジニア探しに数か月かかったんですが、この時期は特に「本当にこのアイデアで大丈夫なのか」と悩むことや、焦りもありました。ただスタートアップは、最初のエンジニアが優秀でなければその後のエンジニアが集まらない。だから最高のエンジニア探しにこだわっていたんです。その頃、たまたま、メルカリの山田進太郎さんが主催する100人規模のBBQに参加しました。そこでエンジニア界で超有名な方に知り合い、何とか彼にお願いをして、現在のCTOを紹介してもらったんです。アメリカでの就職活動も日本での創業の時も、人との繋がりや出会いに助けられました。

―起業家として意識していることはありますか?

今では、ありがたいことに「ミツモア」にはメンバーも増え、あまり得意な分野ではないのですが"まとめ役"に奮闘しています。スタートアップは特に、いろんなバックグラウンドや考え方の人が集まっています。でも、どんな人がいても、会社では定めたミッションを元に、一つの方向に向かって行かなければいけません。いろんな個性を持った人達を「ミツモア」のチームとして一つにまとめるために、まずは人に興味を持ち、一人一人を理解することを大切にしています。
会社も人も、「変わり続けていないものは淘汰される」と思っています。自分も含め、どんなバックグラウンドを持っていても、常に変化が必要。まだ経営者としてはバージョン0.001程度の私ですが、自分の弱さや悪いこと、ダメな部分を直視して、変わり続けていこうと思います。

―研究員のコメント―

取材前は戦略的に起業家を志していたバリキャリ女性社長像をイメージしていました。が、実際にお話を伺ってみると、幼少期は内気だった少女が必死に環境適応を試みていくうちに、挑戦を楽しめるようになったことが原点にあったということが分かり、驚きでした。

ミツモア社が提供する事業者と消費者とをつなぐローカルサービス「MeetMore(ミツモア)」は広く分類すれば、インターネットメディア事業、クラウドソーシングのビジネスモデルとなりますが、これは石川氏のこれまでのご経験があったからこそ見つけられた市場という訳でも、彼女だから成功させられたビジネスモデルという訳でもないと思います。

むしろ、これまでの経験に固執することなく、起業に伴い急速にキャッチアップされ、CTO・COO等ご自身の弱い部分をしっかり補足出来る方を仲間に引き入れていらっしゃる点が、これまでの事業成長に繋がっているのかと思います。

今回のインタビューを通じて感じたことは、現在の石川氏の姿は、「コンサル」や「MBA」といった、典型的な輝かしい経歴の"お陰"ではではなく、築いたキャリアを良い意味で損切りできる決断力、その背景には高い好奇心・楽観性・愚直さがあったということです。

「いつか起業したいと思っているがどこか不安」、「どのような経験を積んでおけばいいのか」という、起業を志すものなら必ず抱く感情はやはり普遍なのでしょう。ただ、その状況で「まずやってみる」という勇気と、その環境に対して必死で適応しようとすること。そして、その適応能力の高さは「まずダイブする」といったこれまでご経験の積み重ねから得られた適性なのでしょう。という意味で、もちろん先天的な素質もあるかと思いますが、リスクや不確実性が小さいところから、ダイブ経験を積み重ねる、というのが起業家としての環境適応能力を高めるのだと、本取材を通じて感じました。


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GoodfindCareer

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