【編集後記】「ベンチャー転職バイブル」の執筆にあたって

スローガンアドバイザリーの白鳥です。

先日、サイトのリニューアルにともなって「ベンチャー転職バイブル-Venture Career Bible-」というコラムを書いた。嬉しい反響もいただいたので、少しばかり編集後記として執筆した背景も含めて残しておこうと。

「ベンチャー転職バイブル-Venture Career Bible-」

きっかけは新卒採用だ。「白鳥さんってどんな仕事してるんですか」「転職エージェントってどんな仕事してるんですか」というよくある話だ。

「確かに、じゃあ説明してみよう」と、コラムに書いたような内容を伝えてみたところ、「知れてよかったです」とか「それって新卒から知っておいた方がいいですよね」というフィードバックをもらった。

それはそうだな、ということで少しずつ文章を書き溜めてリニューアルのタイミングで公開した。

新卒の学生も、社会人も、自分の人生をより良くしたいと切に願っているのに、自身のキャリアに対しては驚くほどに無知で無関心だ。

たしかに、世の中には沢山の成功物語が転がっている。
82歳の新米エンジニアだっているし、カーネル・サンダースだってケンタッキーを創業したのは65歳だった。
人生はいつだって始められるし、未来は変えられるんだと。

そうかもしれない、いやそうだと思うからこそ、キャリアについて少しばかり知っておくべきだ。
ほとんどの人が、いつからでも、何者にでもなれると思っている。
だが、ほとんどの人は、何かを選ばないという選択をすることで、選択肢が失われていってることに気づいていない。
それはそうだ、誰にも教えられていないからだ。学校の先生にも、職場の上司にも。

すでにホントのことを言えない人だっている。
「あと5年若かったらね」そんな努力のしようがない残酷なことは、殆どの場合、綺麗な言葉で流されてしまうだけだ。
そう、知っているだけで救われることは山ほどある。

転職市場にも原理原則はある。
大雑把にまとめてしまえば、その人の「Will」と「Can」と「Must」が重なる部分でしか、キャリアの意思決定はなされない。
「Will」とは、その人が何になりたいのか、何を創り出したいのかという意志や情熱の向かうところだ。
「Can」とは、そのまま何ができるか。つまりこれまでの経験や職能・スキルだ。
「Must」とは、年収や場所などの制約条件。意外にも年収は上げるよりも下げる方が難しい。

そして、大概の人は自身の「Can」を知らず、「Must」を甘く見ている。
「Can」とは何が出来るかだ。どこにいるかじゃない。社格は関係ない。
業界や職能が違うにも関わらず、どこにでも行ける、何にでもなれると勘違いしてしまう人があまりにも多い。
野球のピッチャーが欲しかったら、オファーを出すのはピッチャーの経験者だ。サッカーのフォワードじゃない。
そんな当たり前のことが、ブランドという偶像礼拝から見えづらくなっている。

「Must」だって怖いものだ。お金はあればあるほど、選択肢は増えると思っている。
確かにその通りだ。ただコントロールさえできれば、という条件付きでだ。
年収が1000万円あるというのと、年収を1000万円から下げられないというは、話が別だ。
後者の場合、選択肢は減っている。そう、すでにいまの状態で1000万円もらえるキャリアしか選べない。
不確実で変わり続けなければならない世の中で、変数がロックされてしまうことはリスクだ。

ただ、こんなことが言いたくて、あんな長ったらしい文章を書いた訳じゃない。

あらためて我々のミッションはこうだ。
「意志ある人の道を照らし、変革と創造の担い手を増やすことで、新産業を開花させる」

仕事は「Will」で選んだ方がいい、そんなことは数多の先人たちがとっくに証明している。
だから、意志ある人が、転職市場や市場価値というつまらないものに縛られて、意志が挫けないように。
制約条件をコントロールしながら、自身が選びたいを人生を選択できるように。

なにもベンチャーやスタートアップだけが、意志の向かう先だとは思わないが、「いつかはチャレンジしたい」とアルケミストよろしく、実現させないことで、夢を見ていられる人生というのは、あまりにも救われない。

この社会を、与えられた人生をより良いものにしたいと、そんな青い心を捨てられない皆様。変われる・変えられると一歩踏み出そうという意志ある人々に、あの記事が役に立てば嬉しい限りだ。

そう、内藤哲也も言っていた「一歩踏み出す勇気」ってやつだ。それでは、アディオス!

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