転職市場から__新卒市場にいる君へ_

転職市場から、新卒市場にいる君へ。

8月19-20日の2日間、スローガンのサマーインターンシップに僭越ながらメンターとして参加してきた。

内容としては、スローガンの時価総額を1,000億円にするための経営戦略を提案するというもの。
上場企業で時価総額1,000億円にタッチしたことのある新興企業の経営戦略を読み解きながら、スローガンの経営戦略にアナロジーを生かすというもので、参加者の学生は驚くほどに優秀だったし、僕自身とても刺激になった。(いつかの年末年始に個人課題として、同じテーマに取り組んでいたこともあって、思い入れのあるテーマだった。初日の朝、気合を入れようと代々木公園をランニングしてから出社したほどに)

さて、僕は日ごろ、社会人の転職市場と触れることが多い。だからこそ、この2日間の学生との時間は非日常的で、色々なことを感じた2日間だった。
そこで感じた記憶の備忘録とともに、偉そうにも新卒市場で戦う参加者の皆さんにエールを贈りたい。

転職市場と新卒市場の違い

転職市場とは、大雑把に言ってしまえば、出来ることと(Can)、やりたいことと(Will)、制約とが交差する市場だ。出来ることとは、つまりは職能。自分の能力だ。やりたいこととは、身につけたい能力だったり、ポジション、事業領域・テーマ。制約条件とは年収などがそれにあたる。第二新卒のようなケースを除けば、能力を軸にして、何が出来るかがつまりは市場価値なので、「何ができるか」が、転職できる/できない、の鍵となる。だからこそ、転職活動では職務経歴書という、これまでやってきたことや、個人の実績を記載するレジュメが必要となる。

一方で、最近ではエンジニアが、中途マーケット化しているものの、ビジネス職(総合職)をはじめとする多くの学生には、能力(ケイパビリティ)がない(もしくは選考に際して必要とされていない)。あるのはSPIのような言語・非言語のテストのようなものだ。制約もほとんどの場合は大差ない。つまりは、ほんどが「やりたいこと(Will)」で決定される市場ということだ。

自由という不自由

さて、人はないものねだりな生き物らしい。みなさんのような、学歴もよくて、テストでもいいスコアをとってしまうような方にとっては、ほとんどが選択の範囲内だ。強引なことを言えば、ほぼ何者にでもなれる。しかし、その自由が悩ましい。自分の過去を振り返ってみても、一番偏差値が高い選択を、画一的なコミュニティのなかで繰り返してきただけだ。だから、急に「やりたいことは?」とか言われても困ってしまう。それはそうだ、やったことがない、考えたこともないことを考えることはストレスだ。その自由が不自由なのだ。

だが、転職市場では「できること」の方が優先される。ファーストキャリアというものは、ロケットの発射台のようなもので、一度発射角が定まって、打ち上がってしまったら、なかなかに軌道修正することが難しい。それは、ケイパビリティの話はもちろん、カルチャーや働き方の面でもそうだ。キャリアというのは不可逆的な要素が強いので、「あーなんでこんなファーストキャリアを選んでしまったのだ」ということになる。転職者にとっては、新卒市場が羨ましい。なりたいものになれるからだ。転職市場では、基本的には、なってきたようにしか、なれない。だから新卒市場の自由が羨ましい。

正解があるという前提は正しいのか?スタイルが重視される時代

さて、就活中の学生が考えているのは「どこにいったらいいのか?」という会社選びについてだ。ただ、この発想が転職市場での大パニックの原因となっている。別に転職市場では、どこにいたか(Where)なんて問われない、あくまで問わえるのはケイパビリティ(何ができるか)だ。同じ会社でも事業や、配属が異なれば職能は全く異なる。また、戦略の基本は差別化であるはずなのに、キャリア戦略といったとたんに、なぜだかマジョリティに解を求める。そもそも、大企業のデジタルフォーメーションが進んでいったり云々、事業内容でさえフラジャイルな環境において、そこで求められる職能も不確定にならざるを得ないので、どこで、何をすれば正解なのか、という問いを立てていること自体がナンセンスにも感じる。

こんなこと言うと、何もかもぶち壊してオシマイになりそうだが、僕のメッセージはこうだ。スタイルにこそこだわった方がいい。どこ会社の、どの部署がいいか、ではなくて「選び方」にこそ執着すべきだ。

この「スタイル」というものに、とても執着しているのが今週、日本で世界大会が開催されたクライミングというスポーツだ。
アメリカはヨセミテ国立公園にエル・キャピタンというバカでかい岩がある(聞いたことがある人もいるかもしれない、MacOSの名前にもなっている)。もちろんピークは1つだが、そこには幾つものルートが引かれてる。この秋に公開される『Free Solo』という映画は、このエル・キャピタンにある「Freerider」というルートを登ったドキュメンタリーだ。

エル・キャピタンの初登者はウォレン・ハーディングという酔っぱらいで、すでに1958年に初登されている。それをより困難なルートから登ろうということで、いくつものルートが引かれている訳だが、『Free Solo』という映画の主人公であるアレックス・オノルドが驚異的なのは、このエル・キャピタンをフリーソロしたことだ。
クライマーという人種はスタイルにこだわる。ウォレン・ハーディングがエル・キャピタンを登ったスタイルは、エイドクライミングと呼ばれる岩に金槌で支点を打ち付けながら登るスタイルだった。それが、フリークライミングと呼ばれる金槌で岩を傷つけずに登るスタイルが現在では主流になった(命綱はつけている)。が、このアレックス・オノルドはロープも使わずに登ってみせたのだ。使ったのはクライミングシューズと滑り止め用のチョークだけだ。クライミングでは、どこの山の、どのルートを登るのか、と同じくらいにこのスタイルがリスペクトの対象となっている。

キャリアも同じなんじゃないだろうか。どこの山に登るのか(どの会社に入るのか)、どのルートを選ぶのか(どの事業、部署を選ぶのか)も大事だが、スタイル(どう考え、決断したのか)の選択が大事になってくる。選んだのは同じ結論かもしれないが、どう考えて、どう行動して、その結論にたどり着いたのかで、その後のキャリアが全く異なると言っていい。

キャリア・コンピテンシーを高めるファーストキャリアの選び方

キャリア・コンピテンシーという言葉がある。それは、個人が自らのキャリアを自らで切り開く能力のようなものだ。具体的な職能はあっという間にコモディティ化する時代だ。だからこそ、何を選ぶかじゃなくて、考え方・選び方といったスタイルこそ身につけたい。自らの内面と向き合い、社会の変化・動向に考察をたて、自身のポジションを選択し、決断してコミットメントする。そういった自分のキャリアを、自律的に設計していこうという姿勢が大事だ。

社会人になっても、そうやって自分で考えて、腹をくくって仕事を選んだ人は楽しそうに仕事をしている人が多い。逆に短絡的に会社や職能で選んだ人は脆い。そういった会社選びをして、「こんなに転職市場で評価されないなんて思ってなかった」と嘆いたり、事業や職能で選んだら、想定していた事業やポジションに配属とならず、入社すぐに転職活動を開始する人も多い。功利的な選び方には脆さが伴う。

自分探しをするより、世の中の課題に目を向けてみたらどうだろうか

じゃあ、自分で考えるといっても、何を考えたらいいんだろうか。よく「やりたい仕事がわかりません」、だから意志(Will)がないんです、という相談を受ける。だた、「自分が何者なのか?」なんて考えることがナンセンスだ。自己分析なんてしたところで、本当の自分なんて見つかる訳がない。

自分を定義することなんてやめて、「自身がつくりだしたいものはなにか?」にフォーカスした方がいい。つくりだしたい成果そのものに意識が向いているとき、人はいい状態で働けるし、実は成長もしている。「自分が」とか、「まわりが」とか考えている時点で、エゴや自己愛に支配されている。「つくりだしたいもの」を知るためには、自分自身に目を向けるんじゃなくて、世の中のイシューにこそ注目しよう。時間があるなら、足をつかって、直接見てみるといい。「行かずに死ねるか!」だ。
別に、人生を捧げるテーマなんて見つからなくていい。ただ、少しでも気になったら立ち止まって、取り組んでみてもいいんじゃないだろうか。最初に情熱がなくなって成功した人は山ほどいるし、情熱は育てられる。一番ヤバイのは、「もういいや!」と低きに流れて大衆に迎合することだ。

どれが正解なのかとか、どうやったら評価されるのか、とか自分の外に答えを求めるような選び方は、もうやめようじゃないか。
もうそういう時代じゃなくなったし、自分で選んだという感覚があるからこそ、自分の人生に責任がとれる。それが、みずみずしい日々に続くんじゃないだろうか。
あなたの選択には、社会の未来を変えるだけの価値がある。君たちくらい優秀な人間には、それぐらいワイルドな人生が似合う。

p.s. 打ち上げの懇親会で、「司馬遼太郎なんて読みませんよ」と言われ、なんだか寂しかったので、それにあわせて就活には役に立たないかもしれないが、きっと人生の良いスパイスになる5冊をお節介にも紹介してみる。

就活には役に立たないかもしれないが、きっと人生の良いスパイスになる5冊

・『旅をする木』/星野 道夫 著
大学生の頃、友人の死をきっかけ「好きなことをやっていこう」と決意する星野青年。そして彼はアラスカに向かう。

・『自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか』/岡本 太郎 著
渋谷駅にある「明日の神話」を描いた人。どうせ生きるなら、これぐらいの気合で立ち向かいたい。

・『「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講』/泉谷 閑示 著
なぜマジョリティは間違うのか。なぜマイノリティは苦しいのか。精神科医が語る自分らしい生き方への処方箋。

・『峠』/司馬 遼太郎 著
僕のなかでの司馬ベストはこれ。30そこそこまでフリーターのような生活をしていたラストサムライの物語。これを読み終わった瞬間、長岡行きの電車に飛び乗ったのを覚えてます。

・『仕事の思想 なぜ我々は働くのか』/田坂 広志 著
仕事よりも大切な死生観についての話。正装正座でお読みください。

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