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東雲のように、黄昏のように

 俺が筆を執るときの名を朝陽と定めた頃、やつはまだ違う名前だった。
 いつから、Nacht(夜)を名乗るようになったかは分からない。
 俺の書く小説に絵という何よりも雄弁な一行を添えるそいつの名は、ナハトという。
 漫画やゲームが好きで、明るく人に話しかけることが出来て、本を読むのは少し眠気を催す。付き合いも長いし、一緒にいる時間は家族よりも長い。

「へぇ、noteね。NHKの人が見てるらしいって勧められてたブログ、始めたんだ」
 スマホでぴよぴよと呟きながら絵を描く手を止め、ナハトが顔を上げる。
「何書いてんの?」
「いちばん最近投稿したのは、『薔薇色の日々』……去年文化祭用に描いた『ボーイズ・ラヴ』を連載にしたいって言ってたやつ」
 急にナハトが立ち上がるものだから、机の上のコーヒー牛乳がこぼれそうになる。
「それ、まさかTwitterにあげてる17文字お題作文みたいに俺じゃない誰かの画像使ってないでしょうね」
「え?」
 ナハトが地軸は北極と南極を貫くものだ、というように、
「あさの小説の表紙は俺が描くもんだもん」
 と言った。
「いまのとこ、Fukaseの話とか文房具屋が潰れた小説とか、全部画像なしで投稿してるよ」
「じゃあ今から描く」
 スターバックスのフラペチーノの容器を再利用している筆箱からUSBメモリを取り出し、作業を始めてしまう。
「あ、えと、表紙のイメージはあってさ、『ボーイズ・ラヴ』のときの表紙を題名だけ変えて欲しいんだけど……あの構図とドットの感じ気に入ってる」
「んじゃあ、流用するか。あれはモノクロで作ったから色乗せて、あと塗り残しちょこちょこ直して、と」
 しゃかしゃかとペーパーライクフィルムの擦れる心地いい音がする。
「ねー、俺これなんのフォント使ったかあさ覚えてない?トーン化しちゃっててテキストデータが残ってない」
「覚えてないよ……よるが挿絵をかいてる頃は別のの締め切りに追われてた、俺」
 口ではそう言いながら、一応手元をのぞき込む。
「縦長の……明朝だな」
「それしか分からないなら調べても特定できなそうじゃない?クリスタは似たようなフォントがたくさん入ってるしさ」
 ん-、と頭の中の本棚からレタリング帳を取り出し、パラパラめくる。
「中学の時にさ、ポートレートみたいな名前の、縦長のフォント、気に入ってレタリングしてたよな確か、それ肩の三角がきつい明朝だったような……」
 文章を書いている間ずっと押し黙っていた俺の発音が悪かったのか、ナハトはコーポレートコーポレートと言いながら検索条件を増やす。
「コーポレートて建物……」
「あった!」
「ぺ」
 これだ、絶対そうだ、とスマホの画面を見せてくる。
「コーポレート明朝。クリスタにもほら入ってた」
 小躍りしそうな喜びようだ。
 その昔、数学の計算を2回間違えると合ってる、という訳の分からないことを言っていたやつがいたが、それに近いな、と思った。
 言わないでおいた。

「でけた」
 PCの画面が向けられる。
 モノクロだった歩夢と由紀の横顔は、なんとまあ虹色だった。
 主線にもトーン部分にも虹色のグラデーションが乗せられ、朝日に照らされているような歩夢と夕日を受けている由紀が見つめ合っているかのような雰囲気を得ている。
「変に彩色するより、こっちの方がいいだろ?」
「……うん。すごくいい」
 LGBTとかQとか+とかIAとかなんだとか長々と書くよりも、一目で訴えかけられる。視覚情報というものは、感情に近い説得力を持つのだ。
 にやっと笑って画像をPng変換し、出来栄えに改めて頷くナハト。
「で、題名も差し替えたし、完成だな」
「編集で画像入れるからPC貸して」
「言うと思ったぜ」
 スマホやPCをいつも借りるのは申し訳ないと思わなくもないが、Wi-Fiはうちのだし別にいいんじゃないかとも思っている。

 ナハトは勝手に戸棚から、今朝貰った美松のシュークリームを取り出してもそもそ食べ始める。
「ん……?あさも食べるか?」
「食べる、食べるけど……」
 なんかエラーでも出たのかよ、とナハトがシュークリームを素手で差し出しながらPCをのぞき込んだ。
「画像が灰色になる。全部じゃなくて、上と下が」
「あ゛」
 喉を絞められた猫のような声でナハトがうめいた。
「どゆこと」
「これ、画像の縦横比が決まってる……うっそだろ何対何だよ」
 ぼて、と落ちかけたシュークリームは俺が失敬するとして、B5の縦置きで描いたイラストを横長にするなんてことが出来るだろうか。
「回転させるとひとりさかさまになるんだよな……文字は縦書きに出来るけど、グラデを直さないと……」
 ナハトがぶつぶつ呟いている。
「noteの画像サイズ……1280×670⁉これの2倍以上じゃねえか」
 悪態をつきつつ、画像を編集している。
「うわあ画質が低い……こんなことに使うことになるんならトーン化する前のデータも複製して残しとくんだった……それかレイヤー結合させないままで……」
 深いため息をつくが、まあ忙しかったのだから仕方ない。当時のことを思い出しながら、ふとそのとき言い忘れていたことに気付く。
「あ、そうだ」
「今度はどうした!」
 俺の分のシュークリームをひと口かじり、ナハトを見る。
「俺ね、1個だけこのイラスト気に入ってなかったとこあんの」
「へ?」
「元のイラストだと上下でふたりを配置しただろ。そのとき、由紀が下なんだーってとこ。確かに由紀の身体は女子だけど、嫁はどっちかって言ったら歩夢で旦那が由紀だから」
 ナハトが意外そうに、
「お前BLだめじゃなかったっけ……?」
 と呟いた。
 中学時代はそれはもう、BLアレルギーに苦しんだものだが、今となっては割と平気だ。あれこれ投稿するうちにそっちの方が伸びると割り切れるようになったからかもしれない。
「BLに限らず受け側が下だろ」
「いや、確かにそうだけど」
 右耳にピアスを描くために顔の向きを指定される歩夢から描いただけで他意はないのだろうが、伏線ハリハリ人間からすると読み解きたくなってしまう。
「じゃ、こっちは由紀を左にして、歩夢を右にしとくか。ユキアユだ」
 しばらく画像を切り貼りしていたようだが、すぐにPCの画面が向けられた。
「いい感じじゃね?」
「まあ、いい感じだな。ちょっと遠いのは否めないけど」
「それはまあな。画面がでかくなっても絵には描いてない部分ってものがあるからな。このトーンのグラデを再現するのはかなり、つか無理」
 新しいのも描いてやりてえなあ、と言いながら、ふたりを保存する。
「歩夢の姉ちゃんとか、ほかのキャラがたくさんいるじゃんか。それも今度描かせろよな。途中にもイラスト入れられるらしいし、表紙はこれにするにしても挿絵とか。新しいの描きてえなー」
 鮮やかな衣装をもらった記事に微笑みかける。
「俺も、描いてもらいたいものが溜まっている」
「あ~~受験はよ終わらせてえなあ……」
 本当にその通りだ。
 俺だって時間を忘れて小説を書きたいし、他の物書きの方との交流だってしてみたい。ナハトも描きたいものが溜まっているだろうし、人並み外れて強い好奇心も抑制されてかなり不満だろう。態度に出さないようにしているのだろうが、わかる。

「あ!お前、俺のシュークリーム食ったな!」
「お前が渡したんじゃないか」
「皿かなんかに置くかと思うじゃんか!食べるやつがあるかよう」
 もう一つ食べればいいだろ、と言うと、言われなくても!と帰って来るのはタイミングまで想定通り。心地よい会話だ。
 この先、互いに有名になれば違う相手との仕事もあるだろう。自分のことが忙しくて喧嘩をするなんて、今でもある。それでも、俺の作り出す世界に最初に色を与えるのはやつだ。
 それだけは変わらない。


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