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地上から取り去られた真の父母

人類最初の真の父母として選ばれた、文鮮明・韓鶴子夫妻は未だ完成していません。

文鮮明師は聖和される10年も前から、基元節の意義について語ってこられました。
①真の父母の完成期の聖婚式
②真の家庭の三大王権の完成(三世代集結)
③韓半島南北統一
文鮮明師の聖和後、韓鶴子総裁によって奉献された基元節は、このどれにも該当しません。
韓鶴子総裁はこれまで何度も「基元節は真の母ひとりで捧げた」と発言しており、「完成期の聖婚式」は未だ挙行されていないのです。

基元節は未完である

家庭連合の教理研究院は、「分派はこうやって真のお母様に責任転嫁し、メシアの位置から引きずり下ろす」と非難してきました。
しかし人間の責任分担というものは、生命ある限り有効だと見るべきでしょう。
韓鶴子総裁はいまも生きておられる以上、晩年の文鮮明師に課された宿題を果たす責任があります。

文鮮明師が韓鶴子総裁に残した宿題

韓鶴子女史が聖進様を隔たりなく我が子として愛したかと問われると、否と答えるしかありません
韓鶴子女史は「お父様は独生女と出会う前に結婚してはいけなかった」と発言しており、崔先吉女史との婚姻に摂理的意義を見出しておられません。
その価値観では聖進様は「不義の子」と言うことになり、哀れみの対象ではあっても神的価値を見出すことはできないことでしょう。
その後成長された聖進様は、韓鶴子女史から一方的に拒絶される現実に直面し苦悶されるようになります

韓鶴子女史にとって聖進様の存在は何を意味するのか

文鮮明師の聖和後に家庭連合に残った食口は、韓鶴子総裁に変わらずお仕えした自負心があるはずです。
一方で全ての分派は、そのような宗教的情熱を認めてはいません。

家庭平和協会の文顯進会長は、韓鶴子総裁が(このまま責任分担を果たせないのであれば)真の父母の栄光を受けるのは困難だという見解です。
サンクチュアリ教会の文亨進・國進両氏は、文鮮明師を(本人の承諾なく)韓鶴子総裁と離婚させました。
三弟子として家庭連合に残った金栄輝先生も、最近になって独生女支持を撤回しました。

私はここまで家庭連合の多くの知り合いに議論を呼び掛けましたが、根底にあるのは感情的な問題だと感じました。
「人間が責任を果たさなければ摂理は延長する」という残酷な現実を、誰も直視することができないのです
「お母様を否定したら信仰を放棄したも同然、そこまで落ちぶれていない」という絶対信仰は、強情と紙一重でしょう。

アブラハム家庭然り、モーセ路程然り、イエス路程然り、復帰摂理は延長の連続でした。
イエス路程に至っては、キリスト教徒が本来の計画を見失って2000年が経過しています。
人類最初の真の母だけが、責任分担不履行を見逃してもらえる原理はありません。

「お母様だけが絶対正しい」という基準にひたすら自分を合わせた食口は、神様の摂理とどれ程ずれたか感じ取れないかもしれません。
主の花嫁が無原罪で生まれるという原理はありませんし、聖婚式が完成する前に基元節を「ひとりで」奉献してはいけません。
歴史の目的は独生女を迎えることではなく、真の家庭が三大王権(三世代)を実現することにあります。

教理研究院の護教神学が何であれ、食口の宗教的情熱がどれだけ篤くとも、真の家庭が破壊された現実を覆い隠すことはできないでしょう。

破壊された真の家庭

イエス様が十字架によって地上から取り去られたように、人類最初の真の父母も地上から取り去られました。
そこからは真の家庭理想を取り戻すための延長摂理が、はじまることになります。
「お母様だけが絶対正しい」と目が曇っている食口には、見ることができないでしょう。

人間には自由があるので、時に間違えます。
私もそうですし、真の母として選ばれた方もそうです。
間違えるからこそ、全力で責任を果たすことに価値があります。
「絶対正しい」を誰かに委ねた瞬間に、食口は自らの責任を放棄しているのです。

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