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日本食口がコリアン・ドリームを嫌う理由

基元節は未完であるという記事で、基元節の3つの意義について書きました。
①真の父母の完成期の聖婚式
②真の家庭の三大王権の完成(三世代集結)
③韓半島南北統一

文顯進会長は韓鶴子総裁の「ひとりで捧げた基元節」を、無効だと考えておられます。
①と②が未完であったのみならず、③も(象徴的なかたちですら)実現していないからです。

文顯進会長は文鮮明師の生前から南北統一運動を進めて来られました。
しかしこれらは結局、日本食口の支持を取り付けるには至りませんでした。
2009年に教団から「異端認定」された上に、著書である統一コリアへのビジョン(Korean Dream)が「反日思想」と判断されたからです。
私が家庭平和協会に入会する少し前、この本を初めて読んだ感想を記事にしていました。

この本はしばらく前に渡されていたのですが、なかなか読み進めることができませんでした。
読み始めてすぐに、想定読者が日本人ではないことに気付いたからです。
反日歴史観をそのまま踏襲しており、「(安保法案で)軍国主義が復活するのではないか」などと言う考えが真面目に書かれています。
あくまでも南北統一は民族の問題として自分たちで解決するというスタンスであるため、日本から援助を引き出そうなどと媚びた姿勢はありません。
つまりこの本は日本語に翻訳されてはいますが、朝鮮総連や民団が読むことを想定しているのだと思います。
そうやって第三者として客観的に読み進めるのは、なかなか苦痛を伴うものでした。
朝鮮民族が「弘益人間」理想を檀君神話以降ずっと継承してきたとか、弘益人間によって世界の道徳的権威となるのだという主張などは、およそ現実と乖離した絵空事にしか聞こえません。
韓国人のことを全く知らない外国人ならともかく、嫌な側面ばかり見せられてきた日本人にとって、共感するのは難しいです

コリアン・ドリームの率直な感想

日本の勝共関係者は、大半がこの書籍に躓いたと伺いました。
韓半島統一における日本の役割が殆ど書かれておらず、(いろいろな意味で)日本を利用し尽くした文鮮明師とは対照的だったからです。
たとえ苦労ばかりだとしても、無視されるよりは必要とされる方が嬉しいということなのでしょう。

私は今年の年頭に文顯進会長と直接お目に掛かり、日本に対してどうお考えなのか窺い知ることができました。
そこで分かったのは、南北統一運動に対する文鮮明師と文顯進会長の情熱は同じでも、アプローチや戦略は全く異なるということです。

メシアを全知全能の神と同一視する食口にとっては、「お父様と違うことをしている」というだけで躓きの石となるのでしょう。
しかし両者とも人間であり、生まれ育った文化や時代背景に影響を受ける以上、特定の課題へのアプローチが違うのは当然です。
また文鮮明師の主戦場であった冷戦期とは、国際情勢も宗教の影響力も大きく変化しています。

たとえば文鮮明師は、「南北統一のコストは日本が負担すべきだ」という信念を持っていました。
しかしこれを提唱した時代、日本はバブル経済真っ只中、経済規模において世界一になるかという勢いでした。
韓国経済が日本に追い付くような昨今、いまも当てはまる「真理」とは言えないでしょう。
メシアと呼ばれる人間がこの考えを「神託」とした悪影響については、説明の必要もありません。

信仰の論理で食口を隷属させるのではなく、未信者の「市民の力」を引き出すのが特徴です。
また「投資を呼び込んだ開発と経済発展」という観点が明確に示されており、永続的に食口に資金提供させることも考えていません。
何よりも未信者から見て、「父の遺志である南北統一を実現する」という主旨が明確に伝わることは、とても大切なことだと思います。

コリアン・ドリームの率直な感想

大正生まれの文鮮明師は、田中角栄よろしく清濁併せ呑む豪傑でした。
袖の下くらい幾らでも渡す度量がなければ、金日成やゴルバチョフとの会談も実現しなかったはずです。
アメリカ育ちの文顯進会長は、時代の変化を受け入れて違うアプローチを採用されます。
東西ドイツの統一を参考に、(政治主導ではなく)市民運動としての南北統一を掲げるのです。

ビジョンの根底にはOne Family under Godがありますが、はじめから一神教の信者のみを対象とはしませんでした。
「弘益人間」という朝鮮建国神話を共通のビジョンとして掲げ、様々な思想信条を包摂した南北統一を、ゴールに設定されたのです。

統一コリアへのビジョン(Korean Dream)の第1章には、モンゴルを統一したチンギス・ハンの言葉が巻頭言に紹介されています。
暴力的なイメージが先行するチンギス・ハンですが、宗教の自由を重視した政治手腕は、後世の政治家からも高く評価されているのだそうです。

文顯進会長はそうやって、キリスト教が最後まで反対した場合にも備えておられるのかもしれません。

しかしながらこれまで散々必要とされながら、突如ハシゴを外されたような日本食口の気持ちも良く理解できます。
「日本抜きで統一するなら、勝手にやってくれや、自分たちには関係ない」と、無関心になるのも無理はありません。

文顯進会長のビジョンでは、日本は「あってもなくてもどうでも良い存在」ではありません。
ただ文鮮明師とは異なる期待を寄せているのであり、それは時代の変化に即した実現可能な内容となっています。
項を改めて、コリアンドリームと日本の国益について書きたいと思います。


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